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スメタナ 楽劇「売られた花嫁」(Narodni Divadlo) [2000音楽三昧 in Praha]

スメタナ 楽劇「売られた花嫁」(2000年11月11日(土) 14:00 ~Narodni Divadlo)

 時間帯まで書いたのは,夜同じ演目を再度上演するからである.この「売られた花嫁」は,昨年のプルミエを見る幸運に恵まれた.そのときの感想は

あ~あ,これぞチェコだ,こんなバレエは他では絶対に見られない,すごい歌,特に合唱・・・・

という,感激,感激であった.それをまた見に行ったのは,もちろんまたそれを味わいたいからだが,本当の目的は,3歳になった息子・ぴよのしんに見せたいということだった.すでに「Brassisimo・Wien」の演奏で曲を知っていた序曲,そして各幕ごとに踊られる3つの舞曲をCDで連日さんざん聞かせ,直前2週間は全編もののCDまでかけて息子の耳になじませてこの日を迎えたのだったが,それが結果的に私自身にも大きくプラスに作用した.もうすぐに終わったという感じ.息子を抱いて,1stバルコンサイドでの観賞だったが,息子はもう1幕はノリノリ.終わってすぐに「あ~面白かった」と曰う始末.だが息子を膝に抱いていた私も,あっという間に過ぎた1幕であった.2幕,3幕も同様.最初に見たときはちょっと長いなと思ったバレエのシーンも,もうすぐに終わってしまったという感じだった.演出,バレエ,共に最高.もうこれをプラハで見るチャンスがある人は本当に幸せ.

 この日の演奏について述べよう.この演目の音楽担当はこの劇場の音楽監督の B.Kulinsky である.他のページで「今日は Kulinsky だった,がっかり」みたいなことを書いたが,それは私が彼のことを知らなかったからであって,色々と他の指揮者を見ていくうちに,「他の人が作った音楽を,代わりに指揮して,自分の音楽にして上演する,しかもリハーサル無しで」というのはどんなにすごいことなのかが分かったのだった.だからあらためて Kulinsky が自分で作った音楽を,そう思ってもう一度聴きたかったのだが・・・・この日の指揮者は,また知らない人.Premysl Charvat という人.出てきたら,結構ベテランじゃないの.ふーん,わかい指揮者がどんどん出てきて,ロートルはメインの音楽担当なんかさせてもらえないんだろうなぁなんて失礼なことを考えたのだが,序曲が始まってその考えは全く一変した.序曲の指揮は完璧.オケも頑張ってそれに答える.おやおやすごいね,この人.さすがベテランか.舞台が始まってもその緊張感とツボを心得た指揮は変わることがない.正直に言えば,ソリストは Jenik の A.Zdunikowski 以外は気に入らなかったのだが,この指揮者とそれに答えたオケ,合唱,そしてバレエだけでも充分見に来が甲斐があった.最高だった.妻はすでに先日これを見ているが,比べても同感だという.驚いたのは

最後のカーテンコールで指揮者に向かって後ろの合唱団,ソリスト全員が大きな拍手をしていた

ことだ.まずこれまでそんなことは見たことがない.だれもがその指揮ぶりを認めたのだろう.そして指揮者にも花束贈呈.贈呈者は誰だかよく知らないが,普通女性が,と思うところ,年配の恰幅の良い男性だった.つまり劇場のお偉いさんなんだろう.どういう経緯かは全く分からないが,とにかくこの指揮者の演奏で聞くことが出来たことは本当に幸せだった.ちなみにこの日の夜の部は B.Kulinsky の指揮.こちらも立ち見でも行こうかと思ったが,それは品がないのでやめた.ソリストは全員入れ替えだろうがオケや合唱団はそうはいかないだろう.こういうときに後から入る側は辛いだろうなと思った.

 
追記: Premysl Charvat 氏は2005年に他界。立派な指揮者だった。引退公演だったのかな。
http://en.wikipedia.org/wiki/P%C5%99emysl_Charv%C3%A1t
(2013.10.28 記)

モーツァルト 楽劇「魔笛」 (Statni Opera) [2000音楽三昧 in Praha]

モーツァルト 楽劇「魔笛」 (2000年11月10日(金)プラハ国立オペラ)

 つい先日,Stavovske divadlo でこの「魔笛」を見てきたばかりである.はっきり言ってあれは酷評した.ああした「現代風」の演出を決して嫌いではないが,演奏がきにいらないとどうも怒りっぽくなってしまう.これまでいくつかのオペラを Narodni/Stavovske と Statni で見比べてきたが,むしろその分大いに期待してこの日は見に行ったのであった.

 演出のベースは伝統的なものである.原語上演だったが,それはどうせ私にはドイツ語だってチェコ語だってほとんど分からないから,同じようなものだ.だが,今回は「笑わせてくれる」感じはあったと思う.どう見てもむちゃくちゃな理不尽な筋書きだが,そんなことはオペラではどうでもいい.面白ければ.その点では合格.舞台は明るい作り.客席まで張り出しての演出は,この劇場を上手に使った感じで楽しかった.

 演奏について.まず3人のPrayer(巫女かな?)は声の質が合わな過ぎて,どうしようもない.どちらかというとその3人を分けたような感じの演出ではあったが,音楽は,少なくとも3重唱はハモらなくては.その点が最低.ザラストロも,威厳を出すためかも知れないが,頑張って低音を一生懸命歌っている感じ.ちょっと哀れ.低音の発声が難しいのは分かるが.完全に気に入ったわけではないが,名前を挙げたいのは夜の女王のD.Vankatova. 高くてやばい,有名なアリアについて,最高音域にチェンジしたらそこはすごく美しかった.その少し下の高音域との行き来も難しいが,これは練習とキャリアでどうにかなるものだ.最高音域の美しさを生かして,これからさらに頑張って欲しい.

 このまえの Stavovske でもそう思ったのだが,子供はまじめに一生懸命練習し,そのまま演じるから,波は少ないようだ.今日も一番良かったのは3人の子供たち.

 直接関係ある話ではないが,J.Chalupecky がこの「魔笛」の音楽担当だそうだ.彼の指揮をさんざん Narodni 系で見ているが,そちらは自分が作ったものではないからか,あまり良くなかったが,この音楽づくりは良かったようだ.この日の指揮者のR.Hein も他の演目の音楽担当をしていることからも分かるとおり,評価が高いようである.この日はたとえば序曲などは上手にドライブしていたが,場所によってはあらが目立った.人がテンポを決めてくれたものをリハーサル無しで覆すのは大変なんだろうと思った.

モーツアルト「Cosi fan tutte」(Stavovske Divadlo) [2000音楽三昧 in Praha]

モーツアルト「Cosi fan tutte」(2000年11月9日(木)Stavovske Divadlo)

 この Stavovske Divadlo は「ドン・ジョヴァンニ」「皇帝ティトの慈悲」をモーツァルト自身が指揮をして初演するなど,ゆかりの劇場であることは広く知られている.また単に古いだけではなくて歴史的にも色々な意味を持った劇場である.現在は国民劇場 Narodni Divadlo の分館として,ステージやオーケストラピットが比較的小さくても上演できるもの(オペラ,演劇,バレエなど)がほとんど毎晩行われている.そんなことから,モーツァルトのオペラも常にそのレパートリーに数多く取り上げられているようである.実際これまでにも,「ドン・ジョヴァンニ」「魔笛」,また夏の「モーツァルト・カンパニー」のシリーズで「ドン・ジョヴァンニ」「皇帝ティトの慈悲」をすでに見た.どうせだから,どんどん見てしまおう,というのがこのところの目論見である.さらにいえば,「魔笛」で述べたように,国立オペラ Statni Opera で同じ演目が行われるので,比較も楽しいだろう,というのがもう一つのねらいである.

 さて,この「Cosi fan tutte」は多くの場合,原語のままの名前で呼ばれるようである.強引に訳せば「女はみんなこうしたもの」という題になるそうだが,それではちょっと下品だというのが理由なのではないか.こういう言い方は無礼だが,初学者が最初にトライすることをよく勧められるのがこの「コシ」であるようだ.どういう理由なのか,前に見たことがあるはずなのだが,全く記憶にないので,そんなことも含めて楽しみに行った.

 あらすじなどは詳しく書いてあるページがあるのでそちらを参照されたい.舞台装置は,有名な Daniel Dvorak の作品らしい.道理で思い切り凝っている.金も掛かっているんだろうなぁという感じ.決して華美であるのではない,ただ装置が凝っているのだ.びっくり箱の趣もあるので詳細は述べないが,Stavovskeの「ドン・ジョヴァンニ」,前に見た「ティト」,そして「魔笛」などに見られるような,舞台装置を思い切り簡素化して行くような方向ではなく,どちらかといえばこってり見せる感じだ.一応,舞台となっているのが18世紀頃のようで,登場人物は「普段人前に出るときはカツラをかぶっている」という状況だ.だが演出は古風騒然としたものではなく,溌剌と生き生きとしたものだった.演目としては,どんどん見せてくれる感じである.モーツァルトらしい,笑える筋書きを余すところなく観ることができ,また単に観ていてもきれいで楽しい,仕掛けもいっぱいある,歌も魅力的.これだけ作品が豊かなら,それを生かすためのアイディアはいくらでも生まれるのだろう.「魔笛」や「ドン・ジョヴァンニ」と比べてどちらが有名かよく分からないが,このプラハでこれまで見比べた感じで言うと,もっとも面白いのはこの「コシ」だ.

 もうさんざん見てきているからなのだろうが,この日の演奏レベルではもう物足りなくなってしまった.合唱団はさすがだ.とにかく Narodni の合唱団は良い.それから歌や台詞のない人たちはバレエ団だろうが,これらの演技も面白い.問題は歌手.「コシ」は男声2重唱,女声2重唱がよく出てくるのだが,1幕の最初3分の1を過ぎた当たりからだんだん乗ってきたようで,うーん,聴き応えがあって,笑える演出で,今日は楽しいものを見せてもらって・・・・と思うことが多かったのだが,少しすると交代で誰かが音程をはずしたり,声が部分的に曇ったり,そういうムラが見えた.またオケもtuttiに飛び出したり,ということが前半にいくつかあった.見ている限りは,指揮者がバタバタし過ぎのようだ.無駄な動きが多く,見間違えたのではないか.この指揮者はよく当たるのだが,満足した試しがない.まあ若い人だし,これからの活躍を期待して,名前を挙げるのはやめておこう.

 この日のソリストで本当に良かったのは,Despina 役の M.Bauerova が一番.Alfonso のJ.Sulzenko はまあまあというところか.他のメンバーも個性があって良いのだが,ムラなく歌ってくれたら良かったと思った.

 「魔笛」ではさんざんこき下ろしたが,このStavovske の「コシ」はオペラを知らない人でも楽しめる.筋書きをちょっと知っているだけで充分だ.「この劇場を見るために」オペラを観る人もあるようだが,そういう人には「魔笛」よりもこの「コシ」の方を絶対に勧める.

P.フルニエ/プラハ響FOK ベルリオーズ「ファウストの劫罰」(Smetana Hall) [2000音楽三昧 in Praha]

パトリック・フルニエ指揮プラハ交響楽団FOK ベルリオーズ「ファウストの劫罰」(2000年11月8日(水) Smetana Hall)

 初めてプラハ交響楽団FOKを生で聴く.日本では,と言うよりもどこでもチェコ・フィルの方が圧倒的に有名だが,こちらも立派なオーケストラだという評判がある.

 この日の指揮者は中堅のP.フルニエという人.フランスを中心にオペラで活躍する人らしい.この曲目をこなすぐらいだし,結構期待して出かけた.

 ちなみに,このベルリオーズの音楽物語「ファウストの劫罰」を聴くのも初めてである.第一部の最後にある「ラコッツイ行進曲」だけはスコアの隅々まで知っているが,それだけだ.まずインターネットでこのあらすじを探す.ゲーテの「ファウスト」を読んで感激したベルリオーズが・・・しかしゲーテのそれをはるかに越えたものを作り出した,というような話である.実際,この「ラコッツイ行進曲」は元々ハンガリーで知られていた曲で,ファウストには何も関係ないのに,強引にそれを演奏する場を作ったぐらいだから,まあ「ベルリオーズのファウスト」と言うべきだろうか.

 その解説書を手にしながら聴く.100人ほどの合唱と3人または4人のソロ歌手.フルオケ.演奏会形式のオペラ,ということで最初は作られたというその名の通り,演奏会形式である.解説書にあった素晴らしい表現を借りるなら,この曲はまさに「多様性」の音楽である.色々なアイディア,色々な曲想が溢れ出ている.「ジャンジャンジャン」と場面転換を挟みながら,話はどんどん進んでいく.どうもベルリオーズの書きたい音楽が溢れまくってしまって,従来の「オペラ」という形に収まらなかったのだろう.音楽を重要視した彼は,舞台のほうをあきらめてしまったのだ.この音楽で舞台をやろうという試みもあるようだが,それはそれで面白いだろう.詳しい曲の解説はそうしたHPをサーチしてください.

 この市民会館スメタナホールでは,前にもNYフィルなどを聴いている.そこに書いたとおり,NYフィルのようなオケには響きすぎだ.だがここを本拠とするオケならどうか,それが楽しみで,一番高いバルコニー席(日本で言うなら2階)を取った.案の定,いい具合でオケのサウンドが聞こえる.一つにはベルリオーズのオーケストレーションが良いのだろう,もう一つは演奏が良いのだろう,随所にブルックナーなどとは違う,オルガンの響きが聞こえた.あれれ,この曲オルガンあったの?でもオルガン演奏席は開いてないよ・・・という感じ.チェコフィルよりももう少しストレートな感じのサウンドか.オケのサウンドとしてはこういうのも嫌いではない.古典的なサウンドの中に随所にベルリオーズの書いた斬新な響きがして,とても楽しい.筋書きが変で,話が長く,飽きると言えば飽きるのだが,男声合唱のサウンドも面白い.N響の定期に単独で出てしまうような某音楽ではない大学の男声合唱団がこの曲の男声合唱版を演じたときの曲目解説にもあったが,ベルリオーズの合唱の使い方もすごい.合唱は最初は少しばらけたサウンドだったが,だんだん合ってきたようだった.オケは・・・

 オケのトータルなサウンドについては素晴らしいと思った.今まで聴いたこともないような素晴らしい音だった.だが細かい点では言いたいことがある.弦楽器は冒頭からとても集中していた.ハンガリーの平原はとても大きく,ゆったりとしていた.弦楽器にこれだけ色が見えたのは,久しぶりだ.チェコフィルも美しかったが,色が微妙に変わったか,というとそうではなかった.指揮者がよかったこともあるのだろう.だが,ラコッツイ行進曲ではバスドラムが一つ落ちた.全体的にバスドラの音色が不揃いで,あんまり上手ではないと言う気がした.木管のソロ,たとえば3部のオーボエやコールアングレなんかもとても美しかった.さらに驚いたのは,別隊で鳴る3部以降のファンファーレ.1階客席後方で演奏していたようだったが,これが完璧だった.普通バンダはおまけなのに,そっちの方が上手かったかも知れない.それに比べるとメインオケでは,ホルン4重奏は,「あ~ぁいいなぁ」と思った次の瞬間に1人でぶっ壊すヤツがいた.トロンボーンは1stの人の音楽性が残念ながら低い.一生懸命楽器を振ってコラールを合わせようとしていたけど,それは日本の高校生がやることよーん.実際,3/4部で女性コーラスとの掛け合いでは何をやっているんだかわからない.このまえのチェコフィルの悲愴と比べると,明らかに見劣りした.

 正直なところ,聴いた経験は大きかったと思う.マーラーなんてのはよく日本でも演奏されるし,アマチュアでもやるが,ベルリオーズは「幻想」をのぞくとあまり演奏しないのではないか.良いものを聴いたと思う.指揮者が良かったこともあって,細部は別として演奏は良かった.ただ,さすがに曲目がこうだからか,1500人近く入るスメタナホールは,1階後部の高い席を中心に空席が目立った.6割強の入りか.舞台がある楽しいオペラがたくさん見られるこの街で,2日連続で行われたこの公演に,3000人の人を呼ぶのは少々難しかったのかも知れない.

 

モーツァルト 楽劇「魔笛」(Stavovske Divadlo) [2000音楽三昧 in Praha]

モーツァルト 楽劇「魔笛」(2000年10月31日 Stavovske Divadlo)

 考えてみたら,この Stavovske 劇場ではモーツァルトより大きいサイズのオペラを上演することは難しいのではないだろうか.実際,オケピットが狭いので,大きな編成は入らない.だが由緒もある素晴らしい劇場だし,大事にしてもらいたいと思う.もちろん「ドン・ジョヴァンニ」「皇帝ティトの慈悲」がここで初演されたという由縁もあって,観光客も一度は見ておきたい劇場だと思う.

 たとえば「カルメン」についてのところで書いたのだが,この Narodni-Stavovske のオペラの演出の傾向は,演劇を前面に出した感じがある.そしてどちらかと言えば斬新だ.Statni がどちらかと言えば伝統的な物であるのに対して,である.この「魔笛」は93年プルミエというから,もう8年目に入った.オペラとしては全く斬新である.まず緞帳が上がっている.20分前に席に着いたときにすでにそうである.そして舞台装置は何もない.後ろの反響板のような物もなければ,サイドのそれもない.だからスタッフがウロウロしているのも丸見えだ.そして白い服を着た女の子たちが座っている.ステージ上に,しかも開演の10分以上も前からだ.そこに黒い作務衣のような服装の人たちが加わって演奏が始まった.序曲の最中はその人たちがオケピットの間際まで来て,オケを見ている.一体なんだろう・・・・と突如白い大きな幕がわ~っと降りてきて・・・あとはお楽しみなのだが,現代演劇のノリである.タミーノって王子様だったよね,でもなんか王様みたい.ザラストロはタキシード?パミーナは・・・

 正直に言って,何だかわけが分からない舞台である.ちょっとこれを現代版にするのは難しいんじゃないの?という感じ.それでもOperaは色々な楽しみ方があるから・・・・・・・・

 ・・・・・・・と言っては見たものの,この日の演奏の出来ではちょっと.パミーナの L.Aghova はよかった.パパゲーノの Z.Harvanek は中盤から声が伸びてきて楽しめた.3人の巫女(でいいのかな?)は,代役が入ったと掲示があったけど,最初はふざけんな,もっとちゃんと音程を合わせろ,という感じ.後半になったらすごく良くなった.なんだ,できるんなら,代役なんだからちょっとはリハをやったらどうなの?1幕をリハ代わりにするのは失礼だよ.3人の子供たちも中盤から音程が合って声も乗ってきた.でも他の役の人についてはコメントしない方がいいよ,本人たちのために.

 音楽は途中に録音を入れたり,笛のソロはモーツァルト時代の扮装をしたオケのメンバーが舞台で歩きながら吹いたり,色々とやっているんだけど,はっきり言って中途半端.映像を使った部分もあるんだけど,「魔笛」の笑える部分があんまりなくて,何のために現代版にしたの,という感じ.「ドン・ジョヴァンニ」がモダンスタイルでやっていることを悪くいう人がいるようだけど,はっきり言ってこっちの方がもっと悪いな.

 もう一つ気に入らないのは,チェコ語でやっていること.もちろんそれ自体は当然のこと.でもこの劇場のチケットは Narodni よりも,Statni よりももっと高いのである.正直に言えば,普通のプラハ市民がおいそれとは来られない額である.だから当然旧西側からの観光客が多いだろう.たとえば日本人もこの日は20人以上見かけた.この劇場には字幕の装置が無いならしかたがないがそうではないはず.それに,チェコ語がわからない我々にとって劇の進行はよく分からないのだが,それでももっと笑える演目のはずだ.そしてチェコ語がわかる人もそうそう笑っていたわけではなかった.それでも8年目までこの演出で続けるというのはいかなることか.おそらく外国人ばかりが見ていて,その評が主催者側に伝わっていないのではないか.プラハに観光に行ってみよう,ちょっとはオペラも楽しんでみよう,と楽しみにしている方には申し訳ないのだが,この「魔笛」は勧めない.劇場を見るために来るのなら良いのだが,これに来るぐらいなら,Statni に行った方がましだとおもう.1階平戸間に陣取っていた,年配の日本人の皆さんに感想を聞いてみたかったくらいである.

ビゼー「カルメン」(Statni Opera) [2000音楽三昧 in Praha]

ビゼー「カルメン」(2000年10月29日(日),Statni Opera)

「カルメン」をプラハで見るのは2回目である.まず今回の国立オペラ Statni Opera で見た感想について述べたい.

 先日プラハに遊びに来た友人から聞いたが,ある音楽の専門家の寄り合いで「娯楽系と悲愴系分けて,最高のものは何か」という話になったそうである.そのときに,娯楽系でぶっちぎりのNo.1になったのがこの「カルメン」だったそうだ.

 この日の「カルメン」は良く知られた筋書きをちゃんと描いてくれる公演だった.各幕ごとの始まりが前奏曲ともう1曲終わってからの幕開きだったので,若干間延びした感もあったが,子供の兵隊,兵隊たちがタバコ工場の女工員さんたちとじゃれ合うところ,から始まって,知られたとおり展開されていた.また舞台が明るく見易く作られていて,楽しく明るく見ることができた.

 演奏では,カルメン役に代役が付いたような掲示があったようだが,ちゃんと確認はできなかった.しかしそうだとしたらすごい代役.ドン・ホセ役の L.M.Vodicka も最後までバッチリ歌っていた.エスカミリオ役の R.Janal は,最初はマイクが仕込んであって,天井近くにスピーカがついているのではないかと思ったほど,豊かで広がりのある声.ただあの歌い方は私は好きじゃないけど.それから ミカエラ役の M.Tkadlcikova はものすごく言い声の持ち主だが,端から端まで全部フルに Vibrato をかけちゃあはっきり言って食傷気味だよ,という感じ.確かに声やテクニックは素晴らしい歌手だ.

 オーケストラについては,本当に考えを変えた.前はこのオーケストラは全く信用していなかったのだが,今回で考えを変えた.前に聞いたのはシーズン終わりで,色々な意味で荒れていたのだろう.そう思うことにした.とにかくオケは良かった.ただしバレエの見せ場はもの足りない感じ.それから合唱はちょっと気に入らない.数でパワーで押すところは良いのだが,アンサンブルが必要なところ,しかも全員が前を向いているのに指揮と全く合わず合唱団だけで会わせていてオケとピッタリずれていた(変な表現!).指揮者は当然色々変わるんだろうが,オケは熱演を見せていただけに,合唱団のやり口にはがっかりした.

 総じて言うと,国内,プラハの市民にはこの Statni Opera は Narodni Divadlo と比べたら人気がないのだろう.まあチケットも高いこともあるかも知れないが,当日の午後で1stバルコニー(ボックス)の一番いい席が空いていたのだから.逆に言うと観光客には取りやすいようで,同じボックスにも日本人が2人いたし,劇場全体でもおそらく30人ほどは日本人が見に来たであろう.日本から観光で来る予定の方々へ.この「カルメン」は,ほとんどオペラを見たことがないが,本場で一つぐらい良いものを,と思う方,また伝統的なオペラをとても良く知っていてそれが好きだという方にはお薦めである.このプラハの街は Don Giovanni が有名だが,そちらは人形劇で見ることにして,この「カルメン」を見る,というのが私のお薦め.

 ところで,オペラについてさらに専門的にご存じの方,また色々と勉強してみたいという方には私のこちらの感想もお読み下されば幸いです.

ビゼー「カルメン」 Statni Opera と Narodni Divadlo を比べて [2000音楽三昧 in Praha]

ビゼー「カルメン」 Statni Opera と Narodni Divadlo を比べて

「カルメン」をプラハで見るのは2回目である.前回は国民劇場 Narodni Divadlo. 人気のある演目だから,競作になることはわかる.こちらとしてはむしろ見比べてみて違いを考える方が面白い.そう思って,前回は「リゴレット」を,前に Statni Opera で見たが Narodni Divadlo のでも見た.そこで述べたように「比較」によって色々と面白いことがわかったので,今回もこれについて述べたいと思う.

 2つの「ドン・ジョヴァンニ」についての賛否両論,2つの「リゴレット」でもそうなのだが,Statni Opera はどちらかと言えば伝統的な演出であり,従来の路線に沿ったオペラ公演であると言えよう.今回の「カルメン」も前ページに書いたとおり,正に知られているとおりの筋をちゃんと追った形になっている.ストーリーは皆さんご存じ,設定されている背景も皆さんご存じ.さらに「スペイン・セヴィリアの」と言えばそれなりのイメージを持っているはず,という前提の下にこの公演は作られている.

 一方,Narodni Divadlo の演出は,そうした前提を仮定せず,登場人物の内面を明らかにして,観客に共感を起こさせることを意図している.

 後から見た Statni Opera の公演を見ながら驚いたのは,妙な話であるが「こういう筋書きだと言うことを Narodni の公演で感じなかったなぁ」ということである.別の言い方をすれば,知識として持っている「筋書き」の知識を必要とするかしないか,という違いである.

 「ドン・ジョヴァンニ」は,Stavovske(Narodni 系)はいわゆる「モダン・スタイル」誤解を恐れずに言えば「翻案物」に近い感じであった.そして「演劇」の要素を前面に出し,我々日本人のような「前提とすべき知識」が薄い観客を対象としている感じである.全くの想像であるが,Narodni 系は人々のそうした変化に対応して新しいOperaのスタイルを目指しているのではないかと思う.演劇を非常に身近な物として感じるこのプラハの町の人にとっては,おそらくこうした新しいスタイルが受け容れられやすいのだろう.それにたいして Statni では従来からの伝統に則ったものを出している.伝統を守ることと新しい物を生み出していくこと.この相反する2つのことを並べて見ることができるこの時期にプラハの街に住んだことは大変幸せだったと思う.

 やはり私個人は,演奏やバレエなどの出来については抜きにしても Narodni 系の新しい形の方が性に合う.

 

スメタナ「リブシェ」(Narodni Divadlo) [2000音楽三昧 in Praha]

スメタナ「リブシェ」(2000年10月28日(土),Narodni Divadlo)

 スメタナという人は,我々日本人にはなじみがあると言うべきか,ないと言うべきか分からない作曲家である.交響詩「モルダウ」のメロディを知らない人はいない.もっともモルダウというのはドイツ語名で,こちらでは Vltava というのだが.「ヴルタヴァ」は交響組曲「我が祖国」に入っている.ところがその中の2曲目である「ヴルタヴァ」と第1曲目の「ヴィシェフラド」(高い城)は結構聞き覚えがある人が多いのだが,他の曲を知っているか,というとほとんど知られていないのではないだろうか.あとはオケの難曲として知られる「売られた花嫁」の序曲ぐらいだろう.たとえば「チェコ舞曲」なんてのも私は全く知らなかったし,多くの人はそうなのではないか.

 しかしこのチェコにおいては,スメタナはもっとも尊敬されている作曲家である.もちろんドヴォルザークもマルティヌーもヤナーチェクもなのだが,スメタナほどではない.そして彼のことを「戦闘的音楽家」と評した人もいる.実はこの日の「リブシェ」はそれを知るのに絶好の機会だと思って大いに楽しみにして行ったのであった.

 なぜこの日か・・・この日はチェコ&スロバキアが(一つの国として)長いハンガリー=オーストリア二重帝国の占領下から独立した日である.もちろん祝日であり,各地で色々な行事が行われる日.特に「チェコ民族の独立の日」であって,非常に彼らが誇りにしている日なのだ.

 そしてもう一つ.この「リブシェ」はこの国民劇場 Narodni Divadlo のオープン・こけら落としのために作曲されものだからである.この Narodni Divadlo は,プラハの市民が資金を出し合って「チェコ人のための劇場を」と建てたものである.当時この国はドイツ語人の支配下にあり,それまでドイツ語の使用を強制され,チェコ語は人形劇などでしか使うことを許されていなかった当時の彼らにとって,こうした立派な劇場は民族の誇りであった.そのオープンを間近に控えたある日,この建物はなぜか全焼してしまった.支配階級の関係者の放火ではないかという噂があったそうだが真偽のほどは分からない.それよりもすごいのは,もう一度募金を集めて2年後に再建したという話である.(放火しても意味がなかったので?)支配者・ドイツ語人は対抗して大きなオペラ劇場を作った.それが Statni Opera である.Narodni Divadlo の大きな舞台の上には「国民自身のために」と大きく書いてある.そのオープニングのためにスメタナが書いたOpera,それはこの国の発祥の伝説になっている王女「リブシェ」の物語である.伝えられるところ,7世紀頃,その「ヴィシェフラド」に「リブシェ」という王女が住んでいた.聡明な支配者であったが,女性であることを不満に思う民も多かった.そこで,まわりの勧めに従い,村の聡明な若者を,あなたが王になるのです,私がお願いするようにちゃんと国を治めてくれますか?と言って説得して結婚し,このプラハおよびチェコはこれで将来大きく発展する,と宣言したというのである.

 この話が真実であるかなどはどうでもいい.ただチェコ人たちがこれを誇りに思っていることは事実だ.そしてスメタナは二重帝国の支配下にあってこれをオペラ化し,「チェコよ,永遠なれ」と高らかに歌ったのである.スメタナはこのように圧制に心まで屈しないように,民族の誇りを人々に呼びかけた,つまり音楽を通じて反二重帝国闘争をしたのである.

 昨年の新演出をたまたま見ることができて,近いうちに再度見る予定になっている「売られた花嫁」も,こういう露骨な形ではないにせよ,チェコ民族の踊りや音楽をふんだんに盛り込んだオペラになっており,当時の人たちに大いに受けたことは言うまでもない.

 そんなことを知った上で出かけたのだが,結論を言えば予想を上回るものすごい舞台,ものすごい音楽,ものすごい観客の盛り上がりであった.メインキャストである リブシェのE.Urbanova の堂々たるステージ,そのほか P.Cervinka, L.Vele, V.Okenko, M.Podskalsky, J.Kubik, H.Kaupova, M.Volkova, V.Novakova, J.Sobehartova, P.Aunicka, M.Svejda・・・プログラムに名前が載っている人はこれだけだが,彼らの素晴らしい歌唱,また合唱団の重厚かつ綿密な歌声,そして何といっても O.Dohnani と Narodni Divadlo のオーケストラ.感想文としては全く失格だが,とにかく綿密で熱い.敢えて思い出すところを取り上げて言えば,序曲の金管,そしてそれに続く各セクションの音の充実ぶり,2幕1場の後奏の弦楽器の美しさ,3幕冒頭の木管のアンサンブル,3幕最初の「リブシェ様,あなたが選んだあの者と結婚なさいませ」の女声合唱の重厚さ(!),そして最後に向かっての E.Urbanova の歌と合唱の盛り上がり・・・・いちいち挙げるのが野暮である.

 そういう内容だから,と言うことだけではなく,お客さんが総立ちになったのは演奏があまりにも素晴らしかったということの現れであると言えよう.

 夕方5時から始まったこの日の公演であるが,人々は着飾ってきて,同時に子供を連れた人の姿も結構見た.このサイトは国立大学の中にあり,私も国家公務員,教育職公務員であるから政治的に偏向した主張をするつもりはないが,彼らをみていて,国・民族についての見方をもう一度考え直さなくてはいけないと強く感じた.今の日本人の若い世代に,自分の存在として家族,社会,国,地球という存在をしっかり認識している人がどのくらいいるのだろうか.たとえば「天照大神が」とか「神武天皇が」と言うとすぐに「右寄りだ」「軍国主義の復活だ」と騒ぐ人がいるが,教え方が悪いから軍国主義などになってしまうのであって,だから知らせない,というのは全くの間違いだ.国旗・国歌についてもそうである.あれは歴史がしっかりあるのだ.そしてその多くの部分は悲しいものとして認識している人が多い.それを全部含めた上でしっかり教え,しっかり掲げ歌い,そして将来日本が世界に冠たる平和国家になっていくように導くのが教育者の務めであると思う.

ドヴォルザーク 歌劇「ルサルカ」(Narodni divadlo) [2000音楽三昧 in Praha]

ドヴォルザーク 歌劇「ルサルカ」(2000年10月21日(土) Narodni divadlo)


 ドヴォルザークのオペラというのは,少なくとも日本ではあまり知られていなくて,昨年(1999年)チェコ・フェアがあって日本にこのNarodni が来て初演だったという話です.このシリーズは98年プルミエで,逆に言うと日本公演を見越して作り直したということもあると思います.もちろんこのチェコでは作られて以来ずっと演じられ,人々の誇りになっていたもので,特に1960年プルミエのシリーズは30年にわたり700回近くも再演されていたというから,その理由を調べたくなります.

 筋書きこのNarodni Divadlo の日本公演のパンフレットの解説が他のHPに書いてあったのでそれに譲ることにしましょう.見終わった感じで勝手なことを言うと,正直なところこのオペラが日本ではほとんど知られておらず,どちらかといえば人気がないのはわかる気がします.一言でいうと「真っ白だがどことなく泥臭い白鳥の湖版人魚姫」.話も水の精と湖だからわかるのですが,楽しくオペラを見るには辛気くさい,まじめに見ようと思うと泥臭くて飽きる.そういう作品と私はおもいました.

 ところが,ところが.この日は昼の部(13:00~)にこの「ルサルカ」,夜に「椿姫」の変速ダブルヘッダー.夜の部のことについては(妻が見に行ったので状況は聞いたのですが)述べないことにして,昼の部なので子供連れも多い.もちろん子供たちはおめかしをして,颯爽とやってきます.一年に一度あるかどうかの晴れの場ですから,もちろん彼らは騒ぐようなことはなく,どこかの国から来て,フラッシュをバンバン使って写真をとりまくっちまうような不届きものとは違います.そして,当日の料金設定も,演目ごとに決まる,3段階あるうちの一番安い設定.つまりそうしてあまりお金持ちでない人にも,国の宝のオペラを見てもらおうということ.それに痛く感動しました.しかも・・・

 演奏は・・・・もう最高 失礼.でも確かに最高.やっぱり歌手の名前を書いちゃお.ルサルカ=D.Bureshova, 王子=V.Prolat, 水の精=L.Vele, 魔女=Y.Skvarova, 他国の王女=A-L.Bogza, 森の番人=J.Jezek, 皿洗いの少年=M.Bauerova, 3人の妖精たち=E.Drizgova, P.Aunicka, J.Maxova, 狩人=I.Kusnjer.全くケチを付けるところがない.良いメンバーをずらり揃えて,それらが競って歌う.声質のためもあるのだろうが,前に Statni で見て以来,忘れられないドラマティック・ソプラノ・A-L.Bogza でさえもがどちらかといえばメインではない他国の王女.さらにこのキャストの中で特に気に入ったのは,冒頭の3人の妖精の3重唱.良く内容を知らないであらすじだけで入って,いきなりの名演には本当に驚きました.しかも歌だけではなく,バレリーナに混じって踊るダンスも,一瞬どれが歌手か?と思うほどの熱演.もう端役からしてこうですから,あとは推して知るべし.そして J.Belohlavek の指揮も,歌劇場オケの演奏もあまりに素晴らしい.この日はチケットが取れなくて,上手側に配された金管のベル向かいのボックスバルコニーに座ったので,それも良く聞くことができましたし,指揮者もよく見えました,彼が音楽を作ったことから当然かも知れませんが,とにかくこのまえの O.Dohnanyi と同様,完璧な指揮を見ることができました.

 演奏が良かったからかも知れませんが,実はドヴォルザークも良い譜面を書いたなと思いました.ドヴォルザークは新世界の終楽章のようにダサいオーケストレーションが多いというのが私のイメージですが,この日のサウンドは非常に充実したもので,これは演奏だけではない,譜面もだ,というきがしました.(ビェロフラーベクの書き直しだったりして・・・)

 演出は,こうした泥臭いものにも関わらずとても美しい舞台で,父・水の精の幕を使った登場などはかっこいいという感じ.チェコにいなかったら見ないだろうけど,そして日本公演があっても高いチケットを買ってまでは見に行こうとは思わないだろうけど,正にチェコならでは,見て良かったと思える舞台でした.

小林研一郎指揮 チェコ・フィル(Dvorak Hall) [2000音楽三昧 in Praha]

小林研一郎指揮 チェコ・フィル(2000年10月20日(金) Dvorak Hall)

 初めてチェコ・フィルを生で聞いたのがこのまえの All Rise.これはすごかったけど,どちらかといえば「際物」に属するかも.それに対して,今回は「悲愴」など普通(っぽいと思われる)曲であるから,普通のチェコ・フィルを聞けるという意味では,初めてといっても良いものである.

 ドヴォルザークホールはヴルタヴァ河のほとりに立つ「芸術家の家 Rudolfinum」にある.チェコ・フィルの本拠なのだが,ちょっとホールは小さめか.席が前の方しか取れなくて,かぶりつきだったのだが,まあ仕方ないということにしよう.チェコ・フィルのチケットを入手することは結構大変で,オペラよりは取りにくいと言っていいだろう.

 「こばけん」さん(と呼ぶことにさせてもらう)はもちろん大指揮者である.そしてこのチェコ・フィルの終身客演指揮者である.それほどチェコ・フィルの,そしてプラハの人たちに親しまれているのだ.そういうことも見たいとおもってこの日は出かけたのであった.

 1曲目.グリンカ「ルスランとルドミラ」序曲.オケをやっている人ならみんな知っている,弦の難曲である.しかし彼らには正に朝飯前のようである.にこりともせず,普通にさらりと弾いている.ただ「こばけん」さんがブンブンドライブするのでその通りには演奏している.実力をまざまざと見せてくれる演奏ぶりであった.

 2曲目.「こばけん」さん自身が書き,今回リメイクした「パッサカリア」.演奏の前に曲の背景,構成について説明.日本語で話してチェコ語の通訳が付く.前にいるから良く聞こえてよくわかるが,まあそれはプログラムにも書いてあるから良いことにしよう.3管にピアノにハープにオルガンと,オケは大きいのだが,私にはそれほど大きな編成にしない方が良かったのではないかという気がしたのだが,まあ素人意見である.

 3曲目.休憩後の演目はチャイコフスキー「悲愴」である.私がこの曲のスコアを買ったのはもう20年以上も前になり,隅々まで知っていて,特に聴きたい曲ではない.おそらくプロのオケの演奏を生で聴くのは初めてではないか.しかしこれは「こばけん」さんとチェコ・フィルの信頼関係を聞くには良いプログラムだった.1楽章序奏の最後はクラリネットと(チャイコフスキーは書かなかった)バスクラリネットの最弱音で終わり,主部に入る.このピアニッシモの美しさは本当に涙が出た.主部は荒々しさを前面に出した演奏なのだが,演奏レベルが高すぎて荒くはない.変な表現になってしまうがそういう感じだった.この楽章の最後のトロンボーンのコードは,こんなに良く音が合った,しかも柔らかいコードをこれまでに聞いたことがない.こういう響くホールには最高のサウンドだと思う.ちなみに同じことは4楽章にも言える.全体からみて出色は2楽章と見た.中低弦から始まるメロディと木管の掛け合いは,完璧というか入っていく余地がない.この割り切れない「不安な5拍子」がぎくしゃく聞こえない.完璧だ.だが「不安」なのだ.3楽章,4楽章についてはもっと違った別の感想をもった.正直なところ,「こばけん」さんの解釈は嫌いだ.ああやってねじ回す3・4楽章は私は好きでない.そしてそう思う人は他にもいるのだろう.普通だったらオケの団員も,だ.突然東洋から来た客演の指揮者があんな解釈でやったら,オケがそっぽをむくこともあるかもしれない.だが,だがしかしである.オケは「こばけん」さんの意に忠実に添って見事な演奏をしている.だから良く聞けば「オレは違うぞ」と思うのだが,さっと聞けば素晴らしい演奏なのだ・・・

 これはおまけなのだが,ステージ上の「こばけん」さんと団員の様子が見られたこともとても幸いだった.「こばけん」さんは曲が終わるごとに団員にも深々とお辞儀をした.実際,「こばけん」さんはコンクールもそうなのだが,チェコ・フィルを指揮しての演奏で世に認められたのだ.おそらく「こばけん」さんにしてみれば,自分はチェコ・フィルに育ててもらったという気持ちなのだろう.そしてあれだけ世界で活躍している今でも,そしてメンバーが当時とは入れ替わっているとは言ってもやはりチェコ・フィル,その気持ちをいつまでも忘れないのだろう.そうした「こばけん」さんの人間性と共に,チェコ・フィルの団員たちがいかに「こばけん」さんを尊敬しているかがその表情・振る舞いからもよくわかった.これじゃあプラハの人たちもチェコ・フィルも「こばけん」さんを離したくないわけだ. 

 音楽は人間が奏でるもの.心を持った人間が作り出す音が音楽の根本.そうしたことを改めて心の底に刻み込んでくれた演奏会であった.演奏会終了後,プラハでもっとも美味い Plzen Prazdroj の店で飲んだ味は格別であった.

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