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続・続・偽装問題 [社会の問題について]

昨日の話の続き。私なりの結論から言う。

作曲家・新垣 隆氏には罪は無いと思う。

だが氏は記者会見を開いて,頭を下げた。確かに関係することで「世間は騒いだ」。だがそれだけだ。

原因を作ったのは新垣氏ではない。本人は一生懸命まじめに音楽をしただけだ。少なくともその作品を聴いて良いと思った人がいるのだし。

とにかくこんなことで新垣氏を責めるべきではない。むしろそんなに売れる曲を書いた人だという評価をしたい。

追記: 新垣隆氏の信念を伝え聞いた。
「音楽はどんなに素晴らしい物であっても、 音である以上人の迷惑になるかもしれないものだ・・・」

https://www.facebook.com/fumi.igarashi.12/posts/447905968669518?stream_ref=10

私はこの話に痛く感動した。

続・偽装問題 [社会の問題について]

「続」って本編がなくての話なのだけれど。

全聾の作曲家の作品について,少々スキャンダラスな話題が出ている。

ちょうど先日当地でもその演奏会があった。このところ多忙で,聴きに行くことは出来なかったのだが,テレビでその一部分を聴いたことがある。

まあ特に曲に惹かれたわけではないけれど,現代の作曲家を何らかの形で応援しなくてはいけないという気持ちはあるので,気にはなっていた人である。

で,話は「作者偽装」問題である。いくつかはゴーストライターが作曲していたということのようだ。
「ショックを受けた」 「がっかりした」

などなど,ネット上でも色々な意見が出ているが,私は全くそれに与する気はない。なぜなら,誰が作ろうが曲が良ければいいわけで。

だがこのことが明るみに出て,またその作曲家のバッシングが始まるのだろう。もういい加減にして欲しい。

例の「食品偽装」の話と全く同じ構造である。

友人であるマーケティング/人材育成プランナーの山本直人はあのときこのようにブログに書いた。
「固有名詞」を食べてきた日本人。
http://www.naotoyamamoto.jp/blog/archives/2013/11/post-146.html

「全聾なのに大きな交響曲を作曲をした」 「現代のベートーヴェンだ」

売らんかなのこういう宣伝文句は,確かにキャッチーだが,それは単なるとっかかり。曲を聴いて良ければそれで良いのではないか。「食品偽装」を食べてみて見破るのは容易くないが,こちらはいずれにせよガチンコ勝負。良い曲なら良い。好きでなければ好きでない。

それだけだ。

「人々は音楽ではなくてその周囲の物語を聴いている」


誰かがそう表していた。それはどうぞご自由に。だがこの問題があってもなくても,あの曲が良ければ良いのではないだろうか。

実際,ゴーストライターが書いているものというのは,世の中にはたくさんある。いわゆるタレント本のようなものの多くはそうだという。かつては何冊か読んだ,ある教育者の本も,最近は1つもおもしろくないので,多分そういうことになっているのではないかと思っているし。

この話が早く忘れ去られ,誰の作でもいいから良い音楽がたくさんの人に聴かれることを願いたい。



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