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InterOperette (ブダペスト・ペストヴィガトー) [2000 in Budapest]

InterOperette (2000年9月28日ブダペスト・ペストヴィガトー)

 この日の会場・ペストヴィガトーはリストやバルトークも演奏した由緒あるコンサートホールである.しかしその内装は奇抜.ちょうど聖イシュトバーン教会と同じように,東洋的なオレンジを基調とした壁の色に緑の装飾.なんだこれは・・・・

 ステージ向かって右側にオケが配してあり,左側奥にカーテンが,そして左側(下手)の出入り口も,使っての入場・・・

 曲は主としてオペレッタから取ったものばかり.全曲歌であるが,バレエが縦横無尽に活躍する.歌い手は,ドラマティックとコロラトゥッラのソプラノが計3人.貫禄のバリトン1人,普通のテナーが2人,イタリア歌曲専門のイタリア人と思しきロー・テナーが1人.そのほかに,歌って踊れる,どちらかというと「ミュージカル系」のソプラノ&ロー・テナー.そしてバレエ専門が4ペア.なかなか豪華な感じである.

 演奏は,見事なレベルである.歌で魅せる人,歌と踊りと両方で魅せる人,歌に演技も付けて笑いを取りながら魅せる人,もちろんバレエも合間,というような半端なものではない.おまけに指揮者まで巻き込んでのパフォーマンス.本当に楽しく魅せてくれるものであったと思いました.他でも書きましたが,見る側は難しいことを考えずに楽しむ,もちろん出す側は高いレベルでないとウケないからだめ.プラハでさんざんオペラを見て思ってきたことをここで改めて考えました.

 最後にアンコールでやった「ラデツキー」までもネタが仕込んであったのには笑いました.

 もちろん,まじめに堅い「交響曲」なんてのも好きなのですが,一方で,こんなに笑いを取れるものでなくて良いから,こうした軽い感じのコンサートをやってみたいな,と思うこのごろでした.

マジャール・ジプシー・オーケストラ(ブダペスト,ブダ・ヴィガトー) [2000 in Budapest]

マジャール・ジプシー・オーケストラ(2000年9月25日 ブダペスト,ブダ・ヴィガトー)

 「ヴィガトー vigato」というマジャール(ハンガリー)語の意味をよく知らないが,コンサートホールのようである.ドナウ河によってBudaとPestに別れているこの街に,ブダ・ヴィガトとペシュト・ヴィガトがある.ペシュトの方が有名であり,こちらは普通の大きな宮殿の中にわざわざ特設ステージを作ったようなものだった.でも昔からコンサートホールとして使われていたそうな.

 ハンガリーの音楽,ジプシーの音楽.私自身もあんまりよくわかっていなかったのだが,例のNHKの C.デュトワのシリーズで言っていたように,ブラームスやリストが紹介した「ハンガリー音楽」は正確には「ハンガリー周辺のジプシーの音楽」であって,本当のハンガリーの民俗音楽ではなかったのである.この街に来てみてそのことを再確認した.こうした民俗音楽を発掘して世に大きく出したのは,あのバルトークとコダーイであった.

 その昔,私が学生だった頃,コダーイ・ゾルターン(この国では姓,名の順でかく)の音楽劇「ハーリ・ヤーノシュ」の組曲をやったことがある.そこにはツィンバロンという楽器が出てくる.これはピアノの中身を取り出して,先端に羽が付いたようなばちで叩いて音を出す,他にない楽器で,ピアノの一つの祖先とも言われている.この街の観光客が集うようなレストランにはよく,ツィンバロン&Vn&Cl+ベースやギターやアコーディオンというようなバンドが,音楽を奏でている.そしてその固まりみたいなものとして,このオーケストラがあるようだった.

 その前に,ブダペスト国立歌劇場のショップで,こんな名前のオーケストラのCDを買ってみた.そのジャケットには,ツィンバロン6台とフルの弦楽合奏50人と少しの木管楽器,という写真があった.そんな大きなものではなくて・・・と思いながら行ってみたのだった.

 この日の編成はツィンバロン2台,1stVn4, 2ndVn2, Va2, Vc1, DB1, Cl 2. そして前にソリスト兼指揮者のVn.典型的な編成なんだろう.始まった.まあこうしたものは当日の本番の前にリハなんかやるわけはない.毎週同じような出し物で演奏をしているんだし.だから我々より遅く来た奏者もいたぐらいだった.そのことを割り引いても,まあ我々が普通に思っているオーケストラのアンサンブルとは全く違う.まずみんな割合好き勝手に弾く.だから悪く言えばぐちゃぐちゃだ.だが,昼間にどこかのレストランで見たバンドの兄さんも,また大昔ブダペストに行ったときに見た記憶でも,みんな好き勝手に弾く.ギトギトにヴィブラートをかけることやすごいスピードで弾きまくって見せつけてやろうという感じが全員に見える.確かにその通りで,この日はやらなかったが名曲「ツィゴイネルワイゼン」なんてのも,そういう曲だと思えば大いに納得がいく.どこに行ってもそうだが,特にこの日すごかったのは,ツィンバロンの2人である.何しろ速く弾くことを競いまくる.全く手の動きが見えないぐらいだ.目をつぶって聞くと,ピアノのように10本指で弾いているように聞こえる.だが両手に撥を1本ずつ持っているだけだ.まさに神業である.そしてこの日,笑ったのが,ご存じ,モンティ「チャルダッシュ」である.4,5人のバイオリンが,お互いにけしかけ合いながら,速く速く弾くのである.

 これを見て思い出したことがある.ある有名なトロンボーン吹きである.彼は自分の弟子たちと4重奏団を組んで世界中を旅行している.そのレパートリーにこの「チャルダッシュ」が入っているのである.私の知っているトロンボーン吹きでも,「あれはすごい」と賞賛し,真似てみようとする人が何人もいた・・・私はトロンボーンでそういうことをするのが嫌いである.ヴァイオリンやピアノ(この場合はツィンバロン?)にかなうわけはないのである.もちろんこのトロンボーン吹きのように対抗してしまうことは,他の人にはまねができないのだからすごいと言うべきなのだが,自分ができないからというだけではなくて,トロンボーンには他にすべきことがあるのではないか,ということである.

 さて,演奏はそんなギトギトに速く,と言うようなものだったのだが,もう一つ面白かったのは,ツィンバロンとクラリネットの「アドリブ」のことである.時々彼らがコンマスから指名されてソロを取るのだが,もうこれは完全にジャズの世界と一緒である.何も違いはない.ただリズムのスタイルが「スイング」ではなく「マジャール・ロマ(ジプシー)」というだけのことだ・・・

 楽しめた.そしてネタもわかった.だから勉強になった.コダーイもバルトークも,もちろんリストもブラームスも,まあモンティも,こんな風に演奏したら面白い,というヒントを得たコンサートであった.

ブダペスト歌劇場について(2000年秋) [2000 in Budapest]

ブダペスト歌劇場について

 画像などは,公式ページ(と思われる)をご覧下さい.マジャール語のサイトしか見つからないけど・・・・


入ってみた印象と劇場の建物

 初めてブダペストの歌劇場に入って思ったことは、内部の装飾がすごいということである。もちろん、他にもすごい劇場はあると思うのだが、例えばプラハの国民劇場 Narodni Divadlo と比べてもさらにすごい.ウィーンやパリのオペラ座と比較してみたいものである。そして劇場の中に入って思ったことは、オケピットが大きい。この日の4日後に劇場を見る「visit tour」というのに行って聞いたら、NYのMETのピットと張り合って世界有数だということである。実際、この日はバルトークだし、お膝元で,オケピットが小さすぎてできません、というわけには行かないだろうから.その時代に大きなオケピットに作り変えたのだろうか.

公演の回数

 さて,私が2000年4月から(12月まで)過ごしているプラハの歌劇場と他の点で比べてみたい.年間プログラムのようなものをもらい損ねたので,今一歩わからないのだが,公演の回数はプラハの方が断然多い.プラハ国民劇場&エステート劇場だけをとってみても,もっとはるかに公演回数が多い.はっきりはわからないが,プラハ国民劇場は月平均でシーズン中は20日ぐらいは公演しているだろうか.オフシーズンも別興業が毎日あるから,年間でそのぐらいである.プラハ国立オペラは,7月から8月中旬までの1ヶ月半を除くと,国民劇場バレエ団などの公演を入れれば,月平均25日ぐらい興行している.それと比べるとブダペスト歌劇場の公演はいかにも少ない.あるガイドブックには10月からシーズンが始まると書いてあるけど,そうだとすればそれも少ないし,しかもオペラばかりでなくて,オケのコンサートの公演も数えてやっと月25日ぐらいの興業の感じである.人口はおそらくプラハと変わらないだろうし,プラハの方が倍以上あるという感じだ.

公演の質

 もちろん,一晩観ただけで劇場そのもののレベルを論じるのは不謹慎なのだが,今まで聞いてきた範囲だけで強引に判断するならば,ブダペストの方が少し丁寧な感じがした.プラハは劇場が多く,業界の人に聞くとその割には歌手などの数が少ないので,どうしても危なめの仕事になるんだ,と言うが,私が聞いてきたのは6月に入ってからの公演なので,シーズンも最後だし,トラが入ったりもしていたのだろう,確かにそんな感じがした.オケの質に関しては,はっきり言ってしまえば,6月頃のプラハのどの劇場のオケよりも上手い.もっともこっちはチェコ・フィルなんていうすげえヤツがあるから,そっちに人をとられているのかも知れないけど.まあ,バルトークをやるのだから,オケもいいメンバーを選りすぐって集めたのかも知れないし,ご当地ものだからやりやすいし,気合いが入ったのかも知れないのだが.

 注意:秋の新シーズンに入って,プラハの劇場,特に Narodni Divadlo のオケはめちゃくちゃ巧いことがわかった.6月は何してたんだろう・・・

チケットの値段

 日本とは比べものにならないが,ブダペスト歌劇場のそれは,だいたいプラハよりも高い.高い方のプラハ国立オペラよりもさらに高い,という感じだった.もちろん日本よりは遥かに安い.価格については,公式ページをご覧下さい.

Visit Tour

 上にも書いたように,この劇場は建物だけでも観る価値がある.もちろん,プラハの3つの劇場(Narodni, Stavoske, Statni )もどれも立派な建物で,観る価値があるのだが.ブダペストでは建物を観るツアーを毎日午後3時からと4時からの2回行っている.行程は約50分.マジャール語,英語,フランス語,ドイツ語 etc それぞれに別れてガイドが説明をしてくれる.とても素敵なのだが,いくら何でも1人1000フォリントは高すぎる.いや,日本人には大したことがない額なのだが,つまりはそんなことでばっちり金稼ぎをしているということである.

 プラハの劇場と総じて比較してみて,どちらがどう,と言うことは意味がない.どちらも意義深い存在である.だが私は連日色々な演目代わる代わる見られ,場合によっては同じ演目が違う劇場(もちろんちがう演出)で観られるこのプラハの方が良かったとは思う.

バルトーク バレエ「The Wooden Prince」 /コダーイ オペラ「Spinners」(ブダペスト国立歌劇場) [2000 in Budapest]

バルトーク バレエ「The Wooden Prince」 /コダーイ オペラ「Spinners」(2000年9月24日(日),ブダペスト国立歌劇場)

 劇場についての私の感想はこちらへ

バルトーク「The Wooden Prince」

 この日のもう一つの出し物ともに邦題をなんというか良く知らないので、とりあえず英語での題を上げておきました。ご存知の方はお知らせ下さい.筋としては、森にいるお姫様に恋をした王子がお姫様にそでにされてそれでもやってきたのに、相手にされず、木でできた森の精になってしまう。ところがお姫様はそれをみて、そちらに惚れてしまう。最後は王子様の体にその魂が戻って・・・というハッピーエンドであったようである。筋はともかく。


 オケは大きな編成である。ラッパが4+1本,ホルンが6本いる。トロンボーン3・チューバ。木管は良くわからないが、いる人数は3管か4管のようだった。そして木管が指揮者に正対して横に並んでいる、いわゆる演奏会スタイル。さすがに金管は下手に陣取る。早くやってきた恐らく2ndトロンボーンだと思うのだが、基礎練習をしている。柔らかくていい音。音程が抜群にいい。基礎練習を聞いて気持ちがいいのは久しぶりだ。結構延々やっている。やっと皆出てきた。さて、チューニング。他の金管もいい音だ。おっ、ホルンがチューニングのAにかぶせてFの和音を吹いている。完璧だ。素晴らしい音。おっ、チューバが加わった。トロンボーンも。いい音だ。豊かで柔らかく大きい。今日は来て良かった・・・しかしどんな曲なんだろう。まあバルトークだから難しいんだろうなぁ。

 始まった.案の定、難しい曲だ。高い音域で弦と木管がppでハモっている。生でこれぐらいやるならすごいや。バレエは完璧といっていいだろう。その他大勢に当たる「木の精」達がばっちりだ。そして王子様の化身になる木の精が完璧だ。素晴らしい。お姫様は葉っぱの上に寝たままずっといるけど舞台の上で何もせず、しかも見られているのはどういう気持ちなんだろう。
しかし何といってもこのオケだ。大体、いくらお膝元だからって、こんな難しい曲の生演奏でバレエをやるとはすごいとしか言いようがない。驚いているうちに1時間少々のバレエが終わった。


コダーイ「The spinners」


これも邦題を良く知らない。筋は、糸紡ぎ工場の女工さんとその「彼氏」の話なのだが、オペラには良くあることだがまあ大した事もない筋だからまたどこかを調べてもらいたい.今度は前のバルトークほどオケは大きくない。それはともかく
これを見ていて正に「ハンガリーに来た」と思った。実際、ハンガリーの糸紡ぎ工場だから皆民族衣装で出てくるし、そのバレエ/合唱団がすごい。何ともいえない、完璧に体に染み付いたもので演じている。もう何も言うことはない。これだ。これがハンガリーの音楽・踊りだ・・・



というわけで、よくわからない割には2倍楽しめたこの夜でした.


 どちらについてもよく知らないまま観て知らないまま終わっているので,ご存じの方は教えてください.

ブダペスト コダーイ広場と地下鉄1号線 [2000 in Budapest]

作曲家のコダーイの記念館に行きました.合わせて,世界で2番目に古い歴史を持つ,ブダペストの地下鉄について紹介します.

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地下鉄一号線には,作曲家・音楽教育者として名高いコダーイの名前を冠した駅があります.これはこの広場に面してコダーイが住んでいたからで,その家は記念博物館として公開されています.

 駅構内は木目調で,開業当時を再現したものになっています.あまりいい画像がなかったので,これはいった人のお楽しみに.

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コダーイ広場だけでなく,地下鉄1号線の入り口はこんな風になっています.ほんの20段ぐらいの階段を下りるとそこはもうプラットフォーム.もちろん小さい改札機があるだけです.上下線は別階段で,一つしか出入り口がありません.車両も小さい3両編成.実はブダペストの地下鉄はロンドンに次いで歴史が深く,1876年開業です.現在のものと比べると,ちょうどトラム(市内電車)がそのまま地下に潜った程度のものと言えばちょうどいいでしょうか.でも運転間隔が短く,頻繁に来るのでとても便利です.

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コダーイ記念博物館は,ガイドブックで見ないと絶対にわからない,普通の建物の中にあります.しかもインターフォンを押して開けてもらわないと中に入れません.これは一旦中庭に入ってから建物のなかにはいるドアです.コダーイの旧宅を使っているからなのですが,それにしても飾らない・・・

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記念館が面しているコダーイ広場はこんな感じです.天気のせいもありますが,暗い感じです.ちなみに他の人の銅像はあるのに,コダーイのそれはありません.


ブダペスト 王宮&マチャーシュ教会にて [2000 in Budapest]

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 ブダペストの「王宮」のある丘も,王宮そのものだけでなく,多くの教会や施設があり,全体で「中枢部」となっていたと思われます.それは街の作りと同様,プラハの Hradcany(プラハ城) と同じような形態です.ただしブダペストの方がその領域が広く,大きなものとなっています.

 この画像は丘の中央にそびえ立つマーチャーシュ教会の塔ですが,その隣,画像右側の白い建物が Hotel Hilton です.私は15年ほど前,学生のときに演奏旅行でこのブダペストの地を訪れました.そのときに泊まったのがこのホテルです.200人を越す団体を泊めることができ,しかも中で練習することが可能なスペースを持つのはここぐらいしかなかったのでしょう.

 今回この王宮に行ってみて,当時のことを思い出しました.と同時に何も思い出せませんでした,ブダペストの街については.当時はまだ日本からヨーロッパへの直行便はなく,北極回りでアラスカのアンカレッジ空港に一旦降り,そこで給油してヨーロッパへ向かうのがいわゆる「北回り便」で,それでも19時間ほどかかったように覚えています.確かハンブルグかどこかで一度降り,さらにウィーン?まで行ってそこでハンガリーの航空会社・マレーヴ航空の,ソ連製と思われる飛行機に乗り換えてブダペストへ来ました.さらに,今回も若干そういうことがありましたが,そのときには持ってきた楽器のすべては「西側のものである」として,事細かに税関で検査され(結局出国の時には細かい検査がなかったので無意味だったのですが)疲れ果ててこのホテルに到着しました.時差のこともあり,思い返してみるとバスに乗って団体で観光した以外は,ホテルから全く出なかったのです.だから,街の色などは覚えていましたが,市内交通や市内の地理については全く記憶がありませんでした.言ってみれば,ブダペストには今回ほとんど初めて行ったようなものなのです.この景色を見ながら,そうした感が強くしました.

 今はガイドブックなども充実していますから,特に若い皆さんは「団体パック旅行」などでなく,自分の足でどんどん歩き回るような旅行をされることをお勧めします.

Budapest にて [2000 in Budapest]

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ゲレルトの丘から見たブダペストの街です.

向かって左が王宮のあるブダ地区,右側が市街地になっているペスト地区です.

 直接の仕事のためではないのですが,長期入国査証の申請をあきらめた妻子がプラハに期間中滞在するために,一旦国外に出なくてはならず,またこの9月下旬に大きなイペントがあってプラハの街が混乱することが予想されていたため,その間ブダペストに行って来ました.

 もちろん,音楽を愛する私ですから,リスト,バルトーク,コダーイが活躍し,「ジプシー音楽」をたくさん聞くことができるこの街は大いにエンジョイしたのですが,考えてみれば,世の中には観光案内というようなものはたくさんあり,それをさらにここで行っても単なる自慢話になってしまうので,今回はたくさん画像を公開することをやめ,この街で思ったことを述べるのを中心とすることにしました.

街の印象


 まずこの街について思ったことは,この街はプラハと基本構造が同じだということです.大きな河の両側に街があり,片側が市街地で経済の中心,もう片側に丘があってその上に王宮(城)があり,そこが政治の中枢になっているということです.しかし街を歩いてみた感じだけで言うなら,ブダペストの方が都会の感じがします.それは西側に早くから解放されているということもあるでしょうし,アジア系の人々が住んでいるからかも知れません.少なくともプラハは「繁華街」と言うべき場所が中心に固まった感じがあるのに対し,ブダペストはいくつかの(それほど大きくはない)繁華街が分散しているという感じです.日本の都市に例えて言うなら,2つの都市はサイズはあまり変わらないと思いますが「ブダペストは大阪,プラハは札幌」といった感じでしょうか.

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ドナウ河に架かる橋の中でもっとも美しいものと言われる「鎖橋」の夜景を撮ってみました.三脚無しですから,これで勘弁して・・・・

 ブダペストを流れるドナウ河は雄大で素晴らしい景観ですが,個人的な好みではプラハのヴルタヴァ河とそれにかかるカレル橋の方が好きです.

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これが聖イシュトヴァーン教会です.ハンガリー建国の父・イシュトヴァーンⅠ世が聖人として祀られています.中はあいにく改装中だったので写真は撮りませんでしたが,その色使いや構成はおよそ西洋のものとは別のものというべきでした.少なくとも,同じ「聖シュテファン」教会でも,ウィーンのそれとは全く別物です.

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リスト音楽院の正面玄関です.街の中心にそびえ立ちます.まわりは楽器を持った人がたくさん行き交い,練習する音が盛んに聞こえてきます.

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これはブダペスト歌劇場正面玄関脇のF.List の像です.反対には創立者の作曲家・F.Erker の像があります.歌劇場についての私の感想はこちら

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この奥に見えるのが,王宮の入り口・ウィーン門の脇にある建物です.何の建物かはよく知りませんが,とてもおしゃれな外装ですね.こうした建築はプラハにはあまり見られません.

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これは中央市場です.珍しい色使いだろうと思います.やはりマジャール(ハンガリー)人はアジア系の人々で,西欧の人たちとは違うセンスを持っているようです.上の聖イシュトヴァーン教会や,コンサートホールとして,リストやバルトークも演奏した Pest Vigado の内装は,これをもっとはっきりさせて持ち込んだようなものでした.

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特別なものではありません.泊まったオペラ劇場の近くのホテルの部屋の窓から撮ったものです.たとえばプラハと比べると,それぞれの建物の外装にとても凝った装飾が施されています.しかし今はそれをきれいに塗り直す経済的な余力がないようで,この建物だけでなく,多くの建物が無惨な姿をさらしています.


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もうお決まりとなってしまった,私の「ビール姿」です.これはなかなか素晴らしいビールでしたが,残念ながらドイツのビールだったようです.

街並みを保存して欲しいなぁ


 似たような大きさの街でもムードは違います.それ以外にも大きな差が色々あります.今回は「観光地価格」で飲み食いなどをしました.あまりに高いのでびっくり.日本の8割ぐらいの値段というところでしょうか.プラハでは「観光地価格」でも半値程度なので,大きな違いです.またここにあげた写真に解説を付けたように,ブダペストは洒落た感じの建築が多いのですが,それぞれの状態がひどい.壁が崩れて破片が落ちてくることなどしょっちゅうです.プラハではそんなことはない.同じように「旧東側」の国であっても,国力が違うのか,人々のお金のかけ方が違うのか,物価が違って補修・改築ができないのか,理由はわかりませんがとにかくブダペストの方がひどい.もしこれをきれいに改修し直したら,ものすごくロマンチックな素敵な街なのに,と思いました.地下鉄は歴史があり,昔の姿を保存・再現して今も使っているのですから,街並みもそうできればいいと思います.少なくともプラハならそういう悲しさは思わなかった.

プラハに負けるな

 どうしてもプラハとの比較になってしまいますが,ブダペストでは正直なところレストランに苦労しました.たとえば地下鉄1号線の「Oktogon」周辺は,どう見ても繁華街というべきですが,レストランが少ない.カフェは多いのですがレストランは絶対数が少ない.だから食事の時に困りました.やっと見つけても他と比べてみるわけにはいかない.もちろんヴァーツィ通りやドナウ河の河畔にはたくさんあるのですが.プラハでは繁華街といわれる辺りをはずれても,いくらでもレストランがある感じ.これでやっていけるのか?というくらいに.飲食関係には手厚い保護をしている?というような国の施策のせいかも知れませんが,どう見てもプラハの方がコンパクトにまとまっていて,過ごしやすいのです.

 それから,空港にはがっかりしました.ブダペスト空港のターミナルは最近建てられたらしい近代的な建築.ターミナルが2つあり,アメリカへの直行便もあるようで,おそらく本数はプラハよりは多いんでしょうが,地元のマレーヴ航空が発着する,ヨーロッパ線(日本の国内線の気分)のターミナルには,土産物屋もほとんどないし,出国手続きをしたあともしてもろくなレストランがない.プラハをひいきにするわけではなくて,この空港にはいたくないと思ってしまう.またミニバスのようなものを使わないと,町中に行くのにはあまり便が良くない.これらは明らかにプラハ空港よりも劣ります.

 よく知らない人は今でもハンガリー,チェコなどを「東欧」などと呼んで一緒くたにしていますが,本当の東欧,バルト3国など旧ソ連に入っていたところとも違うはず,もっと旧西側のいいところが入ってきています.ただその程度にはいろいろと差があるものだと思いました.

そのほかこの街に滞在していて思ったこと


全く個人的な回想と感想なのですが,若い学生さんたちには見てもらいたい,「王宮の丘で思ったこと」「市内交通に関連して思ったこと」のページもご覧下さい.


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