SSブログ
このブログのあり方 ブログトップ
前の10件 | -

half million [このブログのあり方]

誕生日を前にして,このブログへのアクセス(ページビュー)が50万件に達しそうです。
こんな身勝手な主張ばかり並べたサイトにお越し下さった方に,御礼を申し上げます。

一応ネット的な意味では弁えて書いているつもりですが,一般社会における立場としては,相当過激な主張を繰り返しているわけで,それで私個人に対する評価がひどく下がっている部分もあるのですが,まあそれは仕方がないことだと思っています。イヤなことはイヤ。自分の価値観を曲げるぐらいなら出世は諦めた方がいい。まあそんな心境です。

とはいえ、今後ともよろしくお願いいたします。

SNSとBlogと [このブログのあり方]

気がついたら9月は1つも記事をエントリーしていなかった。確かに体調の問題や、学会活動の忙しさなども会ったのだが、それより何より「Blog記事が書けない」という感じだったのである。

このブログも書き始めて4年以上経った。毎日どんどんBlogに記事を上げて何年も続けている人や、週一メルマガを出してなおかつtwitterに書きまくって、それとは別に紙媒体に執筆する人もいることを思えば、このところの為体は恥ずかしい限りである。

しかし一方で、書きたいと思うネタがないわけではない。忙しさにかまけているうちにタイミングを失して捨てた記事もいくつかもある。だがもっとも大きな問題は、このBlog記事が実はネット上では未来に渡って残るということなのだ。

別に偉くなる予定はないが、過去の記事をたまに見ると、まあ自分はぶれてはいないと思うのだが、今書くことが将来にわたって問題を残さないのか?ということについて怯えてしまう。そうすると、半端なことは書きにくいのだ。

現在500本を超えた記事があるわけだが、教育関連である種の尖った物言いをしていることもあって、こんな辺鄙なところでも毎日300~500件ほどのPVがある。検索に掛かって寄ってくれるようだ。定期的に見て下さっている方もあるようだが、ご期待に添えずゴメンナサイ。

一方でtwitterやmixiやfacebookは毎日ちょこちょこ何かやっている。

twitterの投稿が一番多いだろう。色々な意見が飛び交うところで、好きなことを言っている。もちろん基本はぶれないつもりなので、万が一誰かに魚拓を取られても構わないが、それでも時間が経てば埋もれていくだろうという気持ちもあって、比較的気軽に書いている。だが「むくり」「おやすみ」みたいな発言は避けようと思っている。学生や卒業生が見ていることもあるので、ある程度は彼らに対する情報も出しているが、基本的には硬派なネタだ。

mixiは時代遅れ呼ばわりする人も多いのだが、一応ハンドル名だしもちろん肩書きを出していないので、トモダチ絡みのベタベタな感じの投稿をしている。もちろんリアルで知っている人も多いが、そんな人と飲みに行ったときにする会話という感じかな。ネタは車とか酒とか、お遊び絡みが多い。

顔帖は毎日みて、ひとにコメントしたりはしているのだが、自分のエントリーは少ない。あそこは学生時代の同級生や、音楽関係の人が多い。毎食写真をエントリーしている人がいるのだが、正直言って読む側からするとうんざりだ。だからリアルで近しくてもフィード講読を止めちゃったひともいる。最初に外国人の音楽関係のよく知らない人たちと友だちになったこともあって、「私は芸能界に出たいんです」みたいなおねいさんが、きれいな写真を挙げていることもあるけれど、そんなのに脂下がっているヒマはないので結局フォローを破棄することも多い。こちらもどちらかというと音楽活動関連の、よそ行きの記事ばかりだ。

ちなみにgoogle+にもアカウントはあるが、一生懸命活動していないのと、リアルの知り合いがいないので、ほとんど過疎状態。

そこで。

このBlog にもやはり挙げる文章には自分なりのハードルを設けている。しかしそうなると、〆切がないため話はかどらない。この前のエントリーを挙げた頃に論文の寄稿依頼があって、レフェリーとのやりとりも含めて1ヶ月弱で書き上げた。年末には公になるようである。だがその間にBlog投稿は無し。〆切があるとやはり頑張らなくてはならないと思うのは、弱い性である。Blogを起点に広く活動をしている人もおられるようだが、やはりそんな方と比べると甘いのだ。

というわけで、更新がままならないこんなブログですが、どうかお許しを。

感謝:開設3周年 [このブログのあり方]

今日はこのブログを開設してちょうど3周年である。
延べ25万に近づこうかという訪問者の皆さんにはお礼を申し上げる。

ただ,だんだんこちらもネタが尽きてきた感じがある。いや,それよりも,世の中に起こったことに対してすぐに飛びついてガツガツ意見を表明することがいかがなものかと思うようになってきたのだ。

時間の経過ももちろん大きな要因なのだが,やはり3月の東日本大震災は自分にとって大きな出来事であった。基本的な立場は全く変わっていないつもりなのだが,このショックを受けて,これまでと同じように発表して良いものかどうか考えるようになったのである。

いわゆるブロガーとして考えたとき,私など取るに足らない存在だ。平均して240 pv /日,2日に1度に満たない更新頻度のブログにそれほど社会的な影響があるとも思われない。しかし一方で国立大学の教授職にあるわけで,しかもそれを名乗って書いているわけだから,そのことを無視するわけにも行かないのだ。

その上で考えたとき,例えば原発問題についての個人の意見は,マスコミを通じて世間の大勢だと言われているようなものとはずいぶん違う。それを大きな声で主張しても瞬間の気分は良いかもしれない。しかし今後自分がどういう立場になっていくかを考えたとき,やはり慎重にならざるを得ないのだ。

それでもRSSなどで読んでくれている方があることを思うと,その期待にも応えたいと思う。

相変わらずの駄文,しかも更新頻度は落ちているが,これからもおつきあいいただき,ご批判をいただきたい。

だから,「心配するな,ダメに決まってる」 [このブログのあり方]

内田樹氏のツイートが拡散している。

日本の若者の自閉性は属人的な問題ではなく、「正解」を知ろうとする焦燥と、誤答を罰されることへの恐怖が作り出したものです。茂木さんの言うtroll たちはこの焦燥と恐怖が人格化した存在です。「名無し」たちは生きる横並び主義です。個体識別できない点ではマスメディアと変わりません。

http://twitter.com/#!/levinassien/status/88802929020116992

その通りだと思う。私はいつも講義で言っている。

間違えても良いから黒板を写さずに,まずは自分でやってみろ。


数学が出来なくなるためには,消しゴムを多用せよ。


正解を求めよう,それ以外はダメだ という考え。それは人間としての自分の存在を否定していることだ。

間違えたのも自分。失恋したのも自分。すべて自分のこと。そんな<過去はすべて正しい。それを否定して,
本当の自分はこんなはずじゃない
などと言いながら,自分の首を絞めている若者たちよ。

心配するな。ダメに決まってる。


夏潮 [このブログのあり方]

今日(2011.6.4)付の朝日新聞be(週末版)のアンケートは「復刊して欲しい雑誌」についてである。

色々な雑誌が上がっているのだが,そもそもこういうアンケートをすること自体が,新聞というのが年寄り相手のメディアに成り下がっていることを如実に物語るものだと思う。

しかしその中におもしろい話があった。その一部を引用する。

例外が10位『噂の眞相』である。休刊時も公称20万部を誇り、創刊時からの編集長、岡留安則さんは「赤字でやめるのではない。1人の編集長でやるのは25年ぐらいが限界」と語った。(中略) 雑誌の魅力はどこから生まれるのか。亀和田(武)さんは「個性的な編集長が好き勝手にやるところ」と考えている。ソーシャルメディアの伸展は、情報の民主化とも称されるが、雑誌が生き残るためには、「独裁的なスター編集長」こそ必要とされていると。


この多様化した世の中では,大きなマーケット相手に大きくやっていくことができるのはごく一部のことであって,細分化されたニッチなものこそ必要だと思う。

私自身も(パートタイム)音楽家として,クラシック音楽を本来の姿で楽しんでもらうようなシリーズを6年間続けてきた。後継者を育てられず,自分自身の本業との兼ね合いもあって頓挫したが,何かポリシーをしっかりと持った,それほど大きくないものがこれから重要視されていくのだと思う。

折しも同じ日の朝日新聞be(週末版)にはサッカー専門新聞「EL GOLAZO」 の発行人の山田 泰氏がのインタビューが出ていた(忘れなかったらWebに上がったときにリンクを張ることにする)。まさにこれがそう。もちろん今の世の中を思ってデジタルな媒体とどう共存するかについて非常にはっきりとしたヴィジョンを持っていて,その典型例だ。

そうそう。これからの人がやらなくてはならないのはこういうこと。実はこのブログだって最初の意気込みはそういうものだったのだ。最近は筆が鈍っているけれど,教育について一生懸命考えていることを人々に伝えたい、それで我が国にまた人類に貢献できれば。そんなことを思っている。本当はメルマガなどを書ければいいのだが,それほどの力がないことは自分でもよくわかっている。だが私の思っていることを多くの人に共有してもらい,場合によっては議論していきたいのだ。

ところで。

なんで今日のタイトルがこんなものになっているのか。それは手元に, 「夏潮」2007年8月創刊号 があるからだ。

これは私が密かに慕う,俳人・本井 英氏の主催する,同名の俳句結社の俳誌である。

高校の時に現代国語と古文を習った先生であるがそれだけではないことは前にも書いた

定年までの時間をずいぶん残して退職し,この結社を立ち上げ,この俳誌を創刊されたのだが,その号をみてなるほどと思っている。

元の文部大臣・有馬朗人氏や,俳人の稲畑汀子氏ら,素人の自分でもわかるようなすごいメンバーからの祝辞。すごい気合いの入りようだと思った。

実は他にも私が薫陶を受けた,鈴木貞雄行方克己といった俳人たちが,形は少し違うけれども同じように活動している。年齢的なこともあるだろうが,どの方も自分の結社を率いている。(この方々はすべて俳人・清崎敏郎の門人であり,私が中学高校で国語や書道を習った人たちである。)

こうしたものを立ち上げる苦労について,多くの人が述べている。だが彼らは自分たちの強い思いに動かされてそういうことをやっているのだ。「噂の眞相」の岡留氏しかり。上記の山田氏しかり。不肖私めも。

これからもこうやって,たとえその存在が小さくとも,しっかりと生きていきたい。

ずっとこのことが書きたくて『夏潮』創刊号を手元に置いていたのだが,そろそろ季節も『夏潮』の時期になってきたし,ちょうどこんな新聞記事を見たのでこんな表明をしてみた。

大震災のあと [このブログのあり方]

3/11 に東日本をおそった大地震は大津波を引き起こし,激甚なる災害をもたらした。

この一報を受けて以降,どうもこのブログに何かを書こうという気になれなかった。

このブログで私は言いたい放題である。私の表明に怒りを覚える人があることなどもよく理解している。だが次の言葉が私を救う。
@kawabou (daisaku kawase) 「批判される人間でいろ。 決して評論家になるな。何かをやっていれば必ず評論家みたいに批判する人が出てくる。 批判をされるということは何かをしていることだから」 NHKプロフェッショナル仕事の流儀 脳外科医 上山博康さんの言葉

しかし今回の大災害を受けて,発言をしたくない自分がいる。

何でもかんでも自粛する風潮には少し待ったをかけたいのだけれど,東京電力がどうしただの,枝野官房長官がどうだの,などということを言いたくない。原子力発電について思うこともあるけれど,なんかモヤモヤして,言いたくないのだ。

そんなわけで,Twitter で他の人の意見をRT(これは「羅列」と読むべきか?)するだけで日々が過ぎていったのだが,東浩紀氏 @hazuma のこんなツイートが目に付いた(togetter にもまとめている)

突然気がついた。 2011-03-20 04:09:19


ぼくは要は「専門家でないひとの考察」に興味がないのだ。だから自分でも全然考察する気がないし、ブログやツイッターを見てもほとんど信用する気が起きなかったのだ。それが違和感の正体だ。 2011-03-20 04:13:51


そして今回はどうも「専門家による考察」が麻痺している。専門家はみな慎重に両議的なことをばかり聞こえる。その空隙をついて、素人たちの「考察してみました」発言ばかりが増殖している。だからストレスが溜まるのだ。 2011-03-20 04:16:36


しかし裏返していえば、ソーシャルメディアの時代ってのはこういうものなのかもしれない。みなが勝手に考察する。専門家は麻痺する。つまりぼくは今回ネットの本質的な「アマチュア性」に苛立ち続けていたのかもしれない。 2011-03-20 04:18:57


この1週間、ツイッターをずっと眺めていた。いままでとはいろいろ考えが変わった。というか変わってしまったことに突然気がついた。以上、自分用のメモ。 2011-03-20 04:20:41



このラインにうっかり入りそうな自分がいやだったのだ。数学や数学教育,またネットや社会のことについては,当事者なのでどんどん書こうと思うが,今回のことについては全く素人。そういう発言をしてしまいそうなことがいやだったのだ。

「何でもかんでも自粛するな,日本全部が沈んでしまう!」とは言うけれど,自分自身が落ち着いてものを考えられるようにならない限り,当分の間,それ以外の震災に関連した発言はしないだろうと思う。

ファッションの進化 [このブログのあり方]

タイトルとカテゴリーが全然合わないと思うかもしれないが,おつきあいのほどを。

我々が着ている「スーツ」は,諸説あるらしいが,英国の「ラウンジスーツ」に始まるという説がある。
フロックコートのようなきちっとしたものでディナーを終えた後,ラウンジでくつろぐための服。

だから最初は楽に着られるものだったのだという。
しかしそこにファッション性が入ってくると,だんだんきちっとした形になってくる。
その結果「スーツにネクタイは堅苦しくて嫌い」という人まで出てくる。

ジーンズもそう。もともとは作業着。農作業に耐えるような頑丈なズボンがもともと。
多少擦り切れてもいいや,というシロモノ。

しかし最近はファッション性が上がって,また目の玉が飛び出るほど高いものもたくさんある。
擦り切れたものがカッコいいという価値観も根付いてきたようにも思う。

ラフでイージーなもので始まったのに,だんだん堅苦しい方へ向かってしまう。

実はこのブログもそう。mixiに匿名で好き勝手に書いていたのだが,その内容,文章レベルが低いことに気付き,いわゆる「その他大勢」を形成していることがいやになって,この実名ブログを始めた。

最初は結構緩いことを書いていたのだが,読んで下さる方が増えてきて,だんだん恥ずかしくなって,1つ書くためにはせめて本を1冊読もうとかいう話になってしまって,それは破綻気味。さらに同僚の教育学関連の気鋭の若手研究者たちがこれを読んでくれていることを知って,まさに汗顔の至り。

それで始めたtwitter。それほど好きではないのだが,緩く書くつもりだったのに,気になるのはまじめなネタ。結局まじめなことをガンガン書く人ばかりフォローするようになって,そういう人にフォローされるようになって,いい加減なことが書けなくなってしまった。

何度も同じ顛末に至るとは,本当に学習しない自分である。

さらにめげてきた [このブログのあり方]

昨日も書いたように,このブログに書き連ねていくことに飽きてきたところで,
さらに追い打ちをかけられた気がする。

2,3日前,新しい投稿をしたわけでもないのにずいぶんアクセスが多かった。
そこでどういう検索ワードでどのページを見に来られたのか調べたところ,どうやら

NHK総合
プロフェッショナル 仕事の流儀
「あきらめなければ、道はひらける~浅川智恵子~」2010.1.12

を見て,この浅川氏について知りたいと思って検索した人が多かったようだ。
私が書いたのはこのページ

私もこの番組は見た。もちろんすごいなと思って感心したのだが,前に書いたとおり,特別扱いしたくないという気持であった。だが,多くの人々の感覚とは違うようだ。

どうも私の視点がずれてしまっているようだ。一人で先走りしすぎているらしい。

こんなことでは多くの人に読んでもらえる記事にはならない。。。


そうだなあ [このブログのあり方]

珍しく「週刊新潮」を読む(11月5日号)。定期的に読んでいるわけではないので知らなかったが、藤原正彦「管見妄語」は同業者として楽しく読んだ。少し引かせてもらう。

数学者にはバランス感覚の稀薄な者がよく見られる。バランスなどを気にしていたら、一点突破を目指し寝ても覚めても猛進を重ねるような数学研究はうまく行かないからだ。

藤原氏は物書きとして広く知られている。数学者たる彼がこういうバランスを取ってする仕事に長けているのは不思議と言えばそうだが、そういう人もいるのである。

どっぷり研究に浸かって仕事を成すのは立派なこと。でもそんな人ばかりでは大学も社会も回らない。研究をしているエネルギーと肩書きを振りかざして社会に物申して行くようなことをする人も無くてはいけないと思うのだ。

くだらない文章をブログに晒すのは研究者として使えないからだ、と言われそうだが、まあぼちぼちやって行く。


続:なぜこのブログを始めたか [このブログのあり方]

ネット上で匿名でモノを言うことについての利点はわかるのだが,ネットの特性を思ったとき,少なくとも「数を数える」ということだけはしたくないと思っている。

そこで,最悪の場合火の粉をかぶることも覚悟しながら自分の意見を公にすることにした。すなわち実名で書くことにしたのである。

最近面白かった記事。
日経ビジネスon line
小田嶋 隆: 「非・匿名」の羊はそっと眼鏡をかける ~誰もが石で打たれる場所で~
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090904/204013/?P=1


前の10件 | - このブログのあり方 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。