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呆れてはいるが,少し語れるようになった [社会の問題について]

数日前,怒りにまかせて雑な文をアップした

まあ公開してしまったので,取り消さずにおこうと思うのだが,前から買って積んであったこの本を読んでから書けばもっとしっかり書けただろうと思う。


教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)

教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)

  • 作者: 本田 由紀
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2009/12
  • メディア: 新書


私と同じ歳である彼女の主張は,社会的な状況,若者たちの現状をみて,
自分よりも後から世の中に歩み入ってくる若者に対して,彼らが自らの生の展望を抱きうるような社会を残しておきたいという思い
から立ち上がってきたものだという(同書p.215)。

すばらしいと思うし,大いに賛同するし,自分もそう行動しているつもりである。

本田氏は若者が社会に出る(仕事をするようになる)にあたって必要な能力として
働かせる側からの(時として理不尽なことも多い)要求に対して<抵抗する>ための手段
仕事の世界からの要求に適応するための手段

の2つを挙げている。

一見矛盾し,また同居していることもあるようなこの2つをバランス良く持つことが必要だというのはよくわかる。

たとえば,私は卒業して教師になる学生たちに
「PTA会費の会計や,学校の掃除などは教師のすべき業務ではない」

ということを繰り返し述べている。「学校支援ボランティア」などで学校現場に出向く機会が多い昨今の教育学部生は,現状がそうなっているのでそういうものだと思いがちなのだが,こうした仕事は本来は事務専門のスタッフがすべきことであり,教師は子どもたちと関わることに時間を割くべきであることを繰り返し説く。そういう仕事を抱えなくてはならなくなっても,本来は事務職員を雇うべきなのだから,上手くできなくても仕方がないし,優先順位も下げるべきだと。この問題は同書p.85に述べられている「職務を明確化しない日本的雇用」そのものである。つまり<抵抗する>方法までは行かなくても,少なくともその問題を認識するようにという教育は行っているつもりだ。なぜなら私の職務は「教員養成」だから。つまり職業訓練校だから。

だから内容として大いに納得できる。

そして同書には,このことと一見関係ありそうな「キャリア教育」の問題点についても述べられている。
これまで行われてきた「キャリア教育」では
勤労観・職業観,意志決定能力,将来設計能力といった「よきもの」を持たねばならない
という強い圧力が,それを得るための手段・方法を欠いたまま突きつけられてきたとし(p.150),その結果
やりたいことがわからない,見つかっても実現できるかどうかわからない
という不安だけを若者にもたらしたのだという。

私の嫌いな言葉に「自分探し」というのがある。さすがに私がボロクソに言うので周囲では聞かなくなったが,若者たちがこうした不安を抱えている弱さを見せまいとして被っている鎧なのではないかという気がしてきた。

さて,この本を読んで「教育の職業的意義」については改めて認識したところであるが,それでも

 学生への「職業指導」、大学・短大に義務化へ 文科省
  朝日新聞 2010年2月24日付け
  http://www.asahi.com/edu/news/TKY201002230502.html

には強い不快感を覚える。その重要性はわかるにしても,お上が音頭を取って一律にやれというのはよろしくない。今までやってこなかった大学からすると,とりあえずそういう名称の講義を出せば良いんでしょ,ということになる。さらにすでにこういうことをしっかりやっている大学はまた制度設計の変更が必要になり,面倒なことになる。

この手のことに関する文部科学省のやり口は常に最悪だ。今までこうやって上意下達でやったことで評価できるものなど全く記憶にない。

というわけで,質の違う話が混在してしまった。お許しを。
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