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頼まれ仕事 [算数・数学教育について]

昨日は算数・数学教育関連の「研究大会」というのに呼ばれて,はるばる行ってきた。

私が出席したのは,「高等学校部会」の中の「数学Ⅱ・B・Ⅲ・Cの指導法」という分科会で,発表を聞いてコメントをする役である。

ところが。

4つの講演のうち「数学Ⅱ・B・Ⅲ・C」の話は2つしかなかった。残りは「予習をしましょうキャンペーンをしてアンケート調査をしたところ,予習は意味があるという感想を得た」「定期試験の前に確認テストをしてアンケート調査をしたら定期試験が勉強しやすくなったという感想が得られた」という話である。

事前に資料が送られてきたので見て愕然とした。コメントのしようがない。すなわち

「発表のジャンルが違う」「数学教育の研究としてあまりに稚拙」

である。昨今入ってきた統計学関連の教材にするデータとしては良いと思ったが,それだけだ。

残り2つのうちの一つは生徒に手を動かさせる実践の報告で大いによかった。しかしもう一つは「○○の指導法」なのにその「○○」の実践の話はなく教科書にない隣の内容をやってみたという話。「○○」については実践はしていない指導についてのアイディア報告はあったがそれも含めて,その「○○」が数学的にわかっていないことから起きるトラブルを解消するために「関係しそうなことを勉強しました」レベルのこと。

ひどいレベルだった。

参会者も時間の無駄だったと思う。

同時にこの研究大会の運営について見直さなくてはならないと思う。これは中四国9県の持ち回りで,発表者もコメンテータもみんな持ち回りの当て振り。なんだかこの分科会で発表しろと言われたけどネタがないから、これをやっちゃえというレベル。

この学会と関わることは今後永久にないと思うので,ズバリ「この分科会ですべき発表ではない」「内容も稚拙(というう言葉は使わないがそういうこと)」と言ってしまった。

頼まれ仕事を真面目にしてしまった私。



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続・考える力をどうつけさせるか [算数・数学教育について]

今日は近隣の中高一貫の県立校で研究授業。

中高それぞれ一人ずつの先生方が授業された。お二人とも非常に意欲的な内容を上手く料理して生徒たちに考えさせていて,検討会では細かい授業テクニックで文句をつけてはみたものの,そんなことを後からグダグダ言わないと言うことがないくらい頑張っていたと思う。

前回,指導案検討に行ったときに,
間違えた生徒/途中まで考えが進められた生徒 の意見をうまく使う

という話をしたのだが,それを見事に取り入れて授業をしていた。

グループ学習の形式ではあるが,協同学習をきっちりやるというよりもみんなで内容を検討しようという感じ。あの学校のレベルなら十分だと思う。

前に述べた

 考える力をどうつけさせるか
http://takuya-sobukawa.blog.so-net.ne.jp/2013-10-25

 間違いの持つ豊かさ
http://takuya-sobukawa.blog.so-net.ne.jp/2013-06-12

といったことをしっかり考えてくれているようだ。

検討会が終わった後,中2のクラスで授業をされた女性の先生が
何かこれから改善すべきことはありませんか
ときいて来られたので
ない
と即答した。すべきことは,今のつもりでどんどんやってみること。そして生徒たちに今の進め方の癖をつけさせること。これが考える力の養成である。


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ノートの作り方 [算数・数学教育について]

真面目に一生懸命頑張っている風の学生が,どうしても伸びないことがある。特に入学した段階から伸びなかったり,初めてゼミにきて上手く行かなかった段階から伸びず,本人も苦しんでいることがある。

だがこうした学生にいうのは大抵同じことである。

 ノートは1冊にせよ

彼らを見ているとノートを2冊持っていることが多い。講義中には殴り書きで,家に帰って清書するのだという。そのための労力は大変なものだと思うのだが,それが結果に結びつかない。

家に帰って復習までしているのだから,もっとできるようになっても良さそうなモノなのだが,そうはならないのだ。

しかしそれは当然だとも言える。というのは,書き写す段階で情報が欠落してしまうからだ。内容は完璧に書いたとしても,たとえば授業中に考えたことなどを思い返すのは意外に難しい。むしろ殴り書き・落書きつきのノートの方が,自分の深層記憶に働きかけて思い出すことが容易になるのだ。

だから学生にはいう。
 ○ ノートは間を開けて書け。あとから書き込みができるように
 ○ 汚くてもいい。他人には見せないものだ。
 ○ 他人のノートのコピーは役に立たない。

他の科目もそうだとは思うのだが,目の前で見ている話はこの関係なので。

そういえば,ノート絡みでこれまでも色々書いたな。

まとめてはいけない
http://takuya-sobukawa.blog.so-net.ne.jp/2011-01-13-1

ノートを取るということ
http://takuya-sobukawa.blog.so-net.ne.jp/2011-05-23


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ICT?使うよ [算数・数学教育について]

連休も明けて,いきなり通常よりもたくさんの講義のある今日。

それでも講義を真面目に考えています。

今日はなんとICTを使う授業。 

挑発に乗ってみた
http://takuya-sobukawa.blog.so-net.ne.jp/2013-04-05

スルーを受けて
http://takuya-sobukawa.blog.so-net.ne.jp/2013-04-09

という調子で,さんざんICT導入に反対する曽布川がなんで?と思う方もあるかも知れませんが,大学レベルでは使うこともあり得ると思っています。ただし自分の頭で考え,それをきちんと表現し,他人とコミュニケーションが取れるようになっていることが前提であり,現状では大学1年生には使いたいとは思いません。なぜなら彼らはそのレベルのトレーニングを全く受けてきていないから。

しかしそれがある程度出来るようになったら,むしろ色々な場面で使うべきだと思っています。

教育の現場を知らないテレビタレントさんなどからは「妄言を吐くバカ」呼ばわりされていますが,私はちゃんとわかっているつもりです。

少し専門的な話になりますが,今日はGibbsの現象について実際に体験することが目的。すなわち,階段関数に対してそのフーリエ係数を求めさせ,そのフーリエ級数(の有限項)をグラフ電卓に書かせて観察させること。ジャンプの点以外はよく近似するのですが,階段のジャンプの点での挙動を見る試み。同時にフーリエ係数を手計算させて,積分の計算を感覚的に理解出来ているかがわかる仕組み。ただしいきなりウィキペディア氏に聞くと,そこには色々なグラフがすでに描いてあるので,そういう使い方はあまり好ましくない。

我が方は微積分に演習が付いていない分,大学1年の終わりにテイラー級数をやるので,そこでも同じ方法が使えます(実際には再履修者が多く,機器が揃わないのであまりやりませんが)。

使っていいところでは使います。ただし小中高の現場では使うべきでない。そこですべきトレーニングが終わっている学生にはどんどん使わせて世界を拡げたいと思っています。

もちろんテレビタレントさんを始め,ICT推進派の皆さんはこの記事を浮かれて読むかスルーか見もしないでしょうね。

思わず笑ってしまった [算数・数学教育について]

こんなサイトを見つけた。

ダイヤモンド社書籍オンライン
永野裕之「大人のための数学/中学数学勉強法」
http://diamond.jp/articles/-/24439
http://diamond.jp/articles/-/24441
http://diamond.jp/articles/-/34675
http://diamond.jp/articles/-/34676

私の講義を聴いた人なら笑うと思う。いやいや,バカにして笑うのではありませんよ。
でも必ず笑うと思う。


これを読んで笑った卒業生および在学生諸君は是非コメントを。

特に我が方の1年生,大歓迎。

もっとまともな議論 [算数・数学教育について]

先日,デジタル教科書・ICTの教育への導入に関する意見を書いた。

挑発に乗ってみた
http://takuya-sobukawa.blog.so-net.ne.jp/2013-04-05

ご覧いただければわかる通り,この関連でよくテレビに出てくるタレントさんの意見にかみついたものである。残念ながらそのタレントさんには私の書いている論旨を理解してもらえなかったようであるが,そこでほとんど「頓珍漢なことをいうバカ」扱いされたので,その続編として少し議論をしてみた。

スルーを受けて
http://takuya-sobukawa.blog.so-net.ne.jp/2013-04-09

で,これらは
論理的にものを考えることができなければ,いくらICTを導入しても意味がないし,その前に論理的にものを考えるためのトレーニングに対して妨げになる,害を及ぼす
という立場で議論したものである。

ところで,一応私の専門は数学と数学教育である。その関連で,いつも当ブログに鋭いコメントを下さるEMTTさんが,そちらにもう少し深入りした形でこのブログへのコメント連投の形でご意見を下さった。

このご意見は,算数・数学教育の立場からきちんと具体例を挙げて述べられたもので,長くはないが最も大切な本質をついている。誰にも見てもらえないコメント連投ではあまりにももったいないので,ご本人の許可はいただいていないが,ここにそのまま並べて挙げさせてもらう。

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僕も中村さんの10の質問に答えようとしても答えることができませんでした。
僕の師匠の一人が中村さんと仕事をされているので、否定しにくいところがありますが、この質問では、本当に否定している人たちの真意にはアプローチできないと思います。

具体的なところで議論をするために、手っ取り早いところで、デジタル教科書教材協議会のサイトを題材にします。まあ、この協議会の会員、役員に教育関係者が蔭山さんだけというところが、端的に問題を表しているように思います。

by EMTT (2013-04-12 19:27)

さて、「デジタル教科書・教材の普及推進について」というページを見ますと、シーモア・パパートの言葉で「教授法はこの150年で変化していないからだ」を引用していますが、それはアメリカの話で、”Teaching gap”で示されたように、日本は授業研究のおかげで、教授法が劇的に進歩していることが認識されていません。算数数学教育関係者の間では、常識ですよね。

また、ここで「日本に最先端の教育環境を整えましょう」とあります。これに賛成ですが、「最先端の教育環境」とはデジタル化された教育環境を言うのでしょうか。例えば環境、ゴミの問題を学ぶのに、パソコンとネットで学ぶのと、ゴミ処理の現場を見学するのとでは、どちらが最先端なのでしょうか。
ゴミ処理の現場への見学は難しい、その代替としてデジタルだ、というのなら分かります。それを差し置いて、デジタルを最先端と言い切ってしまうのは、野球を実際にするより、野球ゲームのほうが最先端のスポーツだ、と言っているように聞こえます。

最後の段落に「IT産業を成長のエンジンとすべきです」が本音なのでしょう。
http://ditt.jp/about/promotion.html

by EMTT (2013-04-12 19:28)

次に実証レポートをもとに指導法の側面を見ましょう。
http://121.119.176.71/office/DiTTproject2011.pdf

もし、この授業を理想とするならば、やはり反対すべきですね。本気でこれをよい授業と思っているのでしょうか。
31ページ以降で「立体の展開図」の学習があります。なぜPCを使うのか、理由が理解できません。
実際に「展開図のパターンを複数考えられない子どもには実物の立方体を渡している」とありますから、そっちのほうがよいことが明白です。
展開図や立体の学習ならば次のような学習の方が明らかに多様性に富み、理解が深まります(いずれも坪田耕三先生の実践)。
http://www.sinzaemon.jp/hands/hs_071203.html
http://www.sinzaemon.jp/hands/hs_071217.html
http://www.asahi.com/edu/student/teacher/TKY200705020271.html

デジタル教科書の実証レポートで紹介された実践は、実は、決められた範囲でしかなくて子どもの多様な考えにはついていけないでしょう。
PC上で、坪田先生の円柱の展開図を書くことは、ほぼ不可能です。結局はPC上で出来る範囲での発想に閉じ込めています。

そんなところが、中村さんへの反論になります。
長々と失礼しました。
by EMTT (2013-04-12 19:28)

僕は、大学の時にレッサー教授(セサミストリートの製作者)の授業を受けたことがあります。
セサミストリートの根底には、勉強は楽しくないからTV、コマーシャリズムの力で、勉強を楽しくしよう、という発想が流れていると言われています。
デジタル教科書を進める多くの人には、同じようなものを感じます。鉛筆とノートだけでも、知的で、楽しくて、豊かに発想できる学習があります。数学の問題などは、まさにそのようなものだと思います。
デジタル教科書を進める人は、それに気付かない、知らない人たちのように感じます。
by EMTT (2013-04-12 19:40)
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virtual 世界での認識は本当の人間の認識ではない,五感を使って認識すべきである,というのがその根幹にあると見た。とても大切な意見で,先のシリーズで私が全く触れなかったことである。

EMTT氏には私の勝手な行動をお詫びするとともに,建設的な素晴らしい指摘に深く感謝する。


他人の褌で相撲を取るとはこのことかも。

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Sobuの講義はMIT流だ(笑) [算数・数学教育について]

池上 彰
MITは「理系バカ」が役に立たないと知っている 米国トップ大学の教養教育事情 MIT編その2
日経ビジネスオンライン ・池上彰の「学問のススメ」2013.3.14
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20130305/244525/

を読んでの感想文・その2。

前に書いたように,Sobuの解析学はヤバイと学外まで聞こえているらしい。なぜ「ヤバイ」か。それは私の講義は解析学の内容に,ライティングの授業がセットになっている。からなのだ。

なんでもMITでは
(1)普通の講義、(2)ライティングというコミュニケーションがセットの講義、(3)プレゼンというコミュニケーションがセットの講義、この3通りからひとつを選ぶ

となっていて,(2),(3)のものを1つずつは取らなくてはいけないという。

そう思うと,この「ヤバイ講義」に俄然やる気が出てくる。すなわちきちんとした数学的な文章を書けることが,算数・数学を教えるために必要なことであるからだ。さすがにこのことには反論できまい(笑)。

新年度以降もどんどんやる。もっとパワーアップしてやらなくてはならない。大学の数学教員のほとんど全てはこのことについて諦めてしまっている。そんなことが可能と思われるような「優秀な学生が集まる」大学では,教員はそんなことに時間を割くよりも自分の研究に忙しいし,「学生が文章が書けるようになって卒業して欲しい」というような大学では,このレベルの内容を扱うことを諦めてしまっている。

そのいいとこ取り(別名厳しいとこ取り)を目指す。誰がなんと言っても目指す。

ちなみに,プレゼンについては,これまた厳しく教えている。ただしそれはSobu研にゼミ生として入ってきた者に限る。そうでないとこっちの身が持たないwww。

アナログ手帳への回帰 [算数・数学教育について]

たまたま朝ゆっくりしてテレビのワイドショーを見ていたら、手帳についての特集をやっていた。

携帯が普及し、そのスケジュール機能を使って手帳替わりにしている人がたくさんいるように思っていたのだが、その特集によると最近手書きの手帳が年々売り上げを伸ばしているのだという。

さもありなんと思う。最近はスマートフォンが普及し、使い勝手が良くなったとはいえ、紙に手で書き込む方が機動的であり、融通が効く。また画面の大きさと一覧性などからしても、手書きの手帳が流行る理由はわかる。

そういえば最近聞いた話として、「理解しやすいフォント」というのが研究されているのだという。まあそういうものが出てくることはわからないことはないのだが、実は危険な話だと思っている。私は、我々にとってもっともいいフォントは、我々自身の手書き文字であると思っている。その理由は、もっともなじんでいる「フォント」であり、自ら書いた(深層)記憶が内容の理解への手助けとなるからだ。

もしそれを「このフォントが一番いい」などとして、誰かが作った字体に統一されるとすれば、そこから創造性などが生まれるとは全く思えない。

偉そうにいいながらも私もほとんど全ての文章はワープロで書いている。その活字のもたらす影響をしっかり受けているのだが、それでも敢えて手書きにこだわりたい。コンピュータに入っているフォントはあくまで余所者だ。自分のものではない。それゆえ、自分の文章を客観的に見ることは出来ると思うのだが、物を考えるときには適しているとは思えない。

アナログ手帳への回帰はこういうこととつながっているのだと思っている。

これが私が算数・数学教育へのICTの導入にひどく消極的な理由である。


これが算数/数学教育かな?と思う方も思わない方も,こちらをポチッと。

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穴埋め式の罪 [算数・数学教育について]

私はいわゆる「理工学部数学科」の出身である。
それでも、1,2年では物理や化学を意外にたくさん勉強していている。
(逆に、その頃は数学は独学の部分も多く、普通の数学者よりは出遅れているが、その大学の趣旨としてはまとももなことだと思う)

だから今私が勤務する教育学部とはずいぶん状況が違うが、どんな内容でも
論理立ててきちんと物事を考える
べきであるということについてはまあわかっているつもりで、現在数学・数学教育について語っている話の大半はそこから来ている。

特に数学が顕著なのだが、他のどんなジャンルにおいてもこのことは同じである。ところが学生を見ると残念ながらそうでない者が多い。その最たる例が、中学校2年で教える「定理の証明」の指導法である。もっともやってはいけないのは、

証明: △(       ) と △(         )において
         辺(    )=辺(     )
         辺(    )=辺(     )
         ∠(    )=∠(     )
     ∴  △(      )≡△(        )   (2辺と間の角)

     よって (    )=(     )
                                     □

と与えておいて、穴埋めをさせることである。求められているのはこの穴埋めをすることではなく
この形式を作る方だからである。

こういうことを述べると
曽布川は学校現場のことがわかっていない、うちの現状ではそんなことは無理だ
という反論がよく来るのだが、バカじゃねぇかと思う。こっちが言っているのは基本原則である。もちろん生徒の状況に応じて改変することは必要であるにせよ、教師の側はこの基本を踏まえた上で指導しなくてはならない。

 閑話休題。

先日、県立高校では県内トップと言われ、週刊誌の「東大合格者ランキング」にも比較的上位に顔を出す高校の化学の授業の話を聞いた。1年生の化学基礎、週に1時間しかないそうだ。それであの厚い教科書はなかなか大変なのはわかる。しかしそこで仰天した。
教科書全文を穴埋めにしたノートを全員に揃いで買わせている。
気が狂っているのかと思った。それだけの内容を週1時間でこなすのが大変なのはわかっている。そこですべきは、「最低限の授業時間でもっとも効率よく力を付けるには」である。そしてそのためには、ギリギリまで精選した基本法則を解説し理解させることが相応しい。その上で宿題などで計算演習のようなことをさせるのがよいのだ。確かに穴埋めノートを埋めさせれば授業は進む。しかし全く力はつかない。それを丸暗記する以外に覚える方法がない。それでは計算させる問題は解けないし、そもそも理解出来ない。少なくとも生徒の向上に資することは何もない。うっかり安心してしまう者が出てくる分、害になる。

担当は若い教員だという。県下随一の進学校とはいえ、人事異動で回ってくるわけだが、その程度のことしかわからない教員では困る。どう困るかというと
進学校では戦力にならないばかりか生徒に害を与える。それ以外の学校では仕事が出来ない。


我が子が赤点を取ってきたので珍しく勉強を見た。そして1学期の内容の根幹を30分で全部説明してやった.
1対1だからやりやすいが、それを割り引いてもこの内容は本質を捉えるのは簡単だ。それなら週1回の授業でも充分できるはずだ。化学を教えることで給料もらってるんだろ。少なくとも穴埋めノートはいけない。害になるだけだ。

言っとくが私は数学の教員だ。これで学校に乗り込んだらモンペ系だが、県下・市内ではこの高校とライバル視される別の高校のアドヴァイザーも務める。なんなら指導に行ってやっても良い。話が化学の授業であっても、悪い者は悪い。

こういう穴埋め式は日本中に蔓延している。特にひどいのは「文系」と言われる教科だ。電車に乗ると高校生が教科書にピンクのマーカーを引き、上から緑色の下敷きをかぶせて穴埋め問題にしている。それではトータルの理解は出来ないのだ。その大半はすぐに忘れてしまう。それもこれも大学入試センター試験が元凶。

もちろん、そのレベルでないと生徒がついてこられないという状況があることは承知している。だが私が見たのは県下トップレベルの学校だ。その学校の教育レベルがこれではいかに。

全国学力調査ほかの結果、岡山県がどうだったのか。推して知るべしである。



この問題は昔からあちこちで言っているのに,なかなか変わらないですね。賛同して下さったらこちらをポチッと。

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算数・数学と電子教科書 [算数・数学教育について]

前の記事のメインは『メディアリテラシーのなさ』がメインのつもりだったんだけど、そうは書けていないかな。

そこで取り上げているのはiPadを用いて算数教育をするとどうなるかということ。それ自体について改めて書いてみようと思う。

まずは算数・数学における電子教科書のメリット。

1.導入のツールになりうる
 なかなか直接経験することが出来ないことを画像で見せること、たとえばGoogle Earth を使って測量しながら何かを見せるといったことは、従来の紙の教科書では出来ないことだし、他の機器でもなかなか難しい。やはりコンピュータを自在に操れることが必要だ。

 また、おもしろおかしい導入をすることも出来る。

2.ドリルの道具として使いうる。
 計算練習をするようなことについては、コンピュータを上手く使うことが出来る。たとえば「九九を覚えましょう」というドリルをするときには、コンピュータは有効である。ベネッセ・進研ゼミ・チャレンジ2年生の道具を見たが、遊びながらドリルをすることができるので、子どもにとって取り組みやすい。 しかもフィードバックが容易で、すぐに合っているか間違っているかがわかるので、効率も良い。

残念ながらここまでである。反対に問題点。

1.自ら考え、イメージする力をつけないばかりか、それを削ぐ方向に進みやすい。
 たとえば空間図形を考える。よく「3D画面で見せてやればわかりやすい」という意見を聞くが、そこでいう「わかった」は言われてもらって納得するだけのこと。自ら考える物にはなりにくい。もちろん自ら考えるためのツールにもなり得るのだが、往々にして「ここをクリックすれば図が出ます」となってしまい、自ら考えることが出来なくなる。

 最近「マンガが読めない子ども」というのが言われている(たとえばこことかこことか。)。マンガは台詞やト書きだけでなく、絵によってリアルに捉えることが出来るはずで、いわば「わかりやすい」ものだ。その昔、マンガは小説と比べてずっと格下に見られてきた。曰く、自分で想像する力が無くなる、と。昨今は完全に市民権を得ていると思うが、それすら出来ない子どもが出て来たことをどのように捉えるのか。誰かきちんと説明して欲しい。同じ問題である。

 空間図形をイメージするのは確かに難しい。そのためには、体を動かして視覚以外の感覚も動員しての体験が必要である。そのバックボーンがあって始めて認識が出来るのだ。(このことについてはこれまでも述べてきている。ここここやここなど参照。)

2.パターンにはまったことしか考えなくなる
 ここはもちろん電子教科書だけの問題ではないが、想定されていないことに気付いた子ども、他とは違う考え方をした子どもがそれをどうするのか。「教科書」の持つ威力を考えると、そうしたことが否定されやすい。特に電子教科書はクリックして出てくるコンテンツのインパクトが強いため、それ以外のことにぼんやり気付いたといったケースを駆逐してしまうように思える。イノベーション立国じゃなかったのかな。

そもそも算数・数学なんて勉強しなくてもいいという向きには何も説明することがないが、たとえば西村和雄 ・平田純一 ・八木匡 ・浦坂純子らの一連の研究を見れば、なかなかそうも行かないように思う(最近では http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/12j001.pdf など)。

最近刊行された「発達129」ミネルヴァ書房)に拙稿を掲載してもらっている。

私の立場はどちらかというと古臭い、守旧派だ。だがこれをきちんと論破して欲しい。すなわち
何のために算数・数学を学ぶのか?
という問いにきちんと答えた上で、算数・数学において電子教科書の是非を言ってもらいたいのだ。




発達 129

発達 129

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
  • 発売日: 2012/01
  • メディア: 単行本






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