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仲間ということ [自分の生き方]

書きたいことは常にたくさんあるのだけれど、このところ異常に忙しくてそのネタをすべて忘却。

しかし今思っているこのことだけは、心に深くとどめておくために書いておきたい。

20年近くにわたって一緒の団体で活動してきた仲間がいた。その年月は必ずしも順風だったわけではなくて、ひどいことをされた思い出もあるし、助けてやった記憶もたくさんある。もちろんよくしてもらったこともあるわけだしそういう損得勘定を言っているようでは仲間も何もない。

しかし少し前、そいつは非常に大きく信用を失墜させるような行動をとった。そして「自分は悪くない」とばかりに私を筆頭とする多くの仲間を攻撃した。私から見ればそれまでそいつのためにしてやったことは何だったのかと言いたくなるようなひどいものであったし、団体の中に非常に不快なムードを巻き起こした。

そしてそいつはその団体での活動を制限されるような状況になった。

今般、ある事情により私はその団体から退くことになった。結局椅子が一つ空いたことになる。するとすかさずそいつは自分をそこに入れてくれとアピールしてきたそうだ。

そういえば,そいつはその時に言っていた。
自分はこの団体に20年あまり在籍し、それなりの貢献もしてきた。だから自分はこの団体で活動できるのが当然であり、それにたいしてゴタゴタ言う方がおかしい。

あまりに子供染みていて呆れた。20年間積み上げてきた信用であっても、崩れるのは一瞬なのだ。崩れるのは簡単なこと。作り上げるのは大変。それがわかっていないヤツとの関係が遠くなってしまったことは、いろいろな意味で寂しいことであったけど、大人としての常識がわかっていないのだから仕方がない。

椅子が空いたのだから、自分が入れてもらえるのは当然だろう、といって入ってきても、周りの人たちの信用を失ってしまっている状況で、活動にすんなり入れると思っているのだろうか。

そういえば、昨日はその団体の仲間の2人が結婚式を挙げた。たくさんの親類縁者が列席して、素晴らしい披露宴だった。私はその2人が会う場を強引に作って、それがきっかけになって結婚に至ったということなのだが、何だか知らないが披露宴でずいぶん祭り上げられてしまった。若い2人の幸せを心から祈る。

先日も、別の会で私を励ます会を開いてくれた。その席上で驚いたことは、若いメンバーが口々に「曽布川に褒めてもらった」といったこと。こちらは全くそんな気持ちはなくて、ただ単に「すげえな」「ありがとう」といっただけだと思うのだが。そんな風に見てもらっていたのだと思うと、恥ずかしいぐらいだ。で、その会も20歳も下の若いメンバーから20近く上の大先輩まで40人も集まってくださった。

このところこんな幸せな時間が続いている。身に余る話だ。昔、10代のころ、自分は本当にダメな人間だった。自己中心的で僻みっぽく、力がないにもかかわらず自惚れていた。しかしそんな自分を受容してくれる友人が多数いた。諭してくれる彼女もいた。そんな人たちに支えられて、やっと最近、少しはまともな人間に近づいてきたのではないかと思っている。いや、それは自惚れかも知れぬ。だが恩を受けたことは間違いない。

そして今日は、その団体所属に限らない関連する仲間がたくさん集まって私を(取り)囲む会を開いてくれるのだという。本当にうれしい限りだ。自分はただやりたいことを一生懸命やっていただけなのだが。

私の周りの多くの方々、もちろん家族も含めて、すべての人たちに深く感謝する日々である。


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sobu

で、今日の会は本当に幸せな時間であった。こんなたくさんの人が来てくれた。それだけでも大いに幸せ。そして皆さんのことをそれぞれ紹介させていただいた。そこも本当に幸せな時間。こんな素敵な人と一緒に過ごしていたのかを改めて確認。心に深く刻ませていただく。


by sobu (2014-03-24 01:04) 

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