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続・ノートを取るということ [Sobu研紹介]

学生に向けて、また世の中に向けてずっと言い続けてきたこととして

講義ではノートを取れ。黒板を写すのが「ノートを取る」ではない。教師がしゃべったこと,自分が考えたことをアウトプットせよ。


というのがある。少なくともほとんどすべての小中高ではそういう教育を受けてきていない。ここ数年、高校の数学教員と話をするケースがあったが,ひどい話を何度も聞いた。

◯ 「板書する」とは生徒が黒板に書かれたことをノートに写すことだと思っている
 これは2重に「間違っている」。元来「板書」とは「黒板に書く」ことであるということであり,黒板に書かれたことを丸写しするのは,中学生のうちに習うべきノートの取り方の入門であって高校生がすべきことではない。

◯ ノートに書かせるのは大変なので,教科書に書き込ませるようにしている、それを学校全体で共有している
 これも最悪である。能力が低いケースで数学の授業を成立させようとするにはこれも良いかも知れないが,学力が高く,(上位の,とは嫌な言い方だが)大学に進学する生徒にとっては伸ばすべき能力を摘んでいるわけだし,進学しない,また数学など必要でない(と考えている)生徒にとっては時間の無駄である(数学自体が無駄なのはいいとして,それを使ってリテラシーを涵養すべきである)。

こうやって教育を受けてきた大学生にそうでない習慣をつけさせるのは並大抵のことではない。私も力が無いので,どちらかというと「腕尽くで」指導する形になってしまうが,結局出来るようになればいいわけである。

そんなことを考えている年度末にこんな記事を読んだ。

日経ビジネスオンライン 2014年3月25日(火)
日本企業を襲う「自分のアタマで考えない」病
『ゼロ秒思考』の著者に聞く、上司に足りない働く力 (瀬川 明秀) 
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20140324/261629/?P=4&mds

「ゼロ秒思考」というのはキャッチーであるが,これを読んでみると一言で言えば
まずはアウトプットして外から眺めてみよ

ということだと思う。元来『考える』とは頭の中でごにょごにょしている状態であり、「論理的に考える」などというのはあり得ないというのが私の至った結論である。しかしその考えるための手助けとして

◯ 論理的に整理する
◯ 外から客観的に見る,俯瞰する

ということがある。頭の中でごにょごにょしているだけでは成果を得ることが難しいことも多い。だからこのような方法を使うのである。

ちなみに曽布川は,このトレーニングに対する妨げになるので,小中高においてICTを用いた教育について後ろ向きなのであるが,そのことはこの著者も上記記事の中ではっきり述べている。

Sobu研の卒業生にとっては当たり前のことであろう。それだけがSobu研のメリットなのだから。

そんなトレーニングを受けず,学生時代は『コピペ』で生きてきた(笑)普通の社会人には一読の価値があるのかも知れない。


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仲間ということ [自分の生き方]

書きたいことは常にたくさんあるのだけれど、このところ異常に忙しくてそのネタをすべて忘却。

しかし今思っているこのことだけは、心に深くとどめておくために書いておきたい。

20年近くにわたって一緒の団体で活動してきた仲間がいた。その年月は必ずしも順風だったわけではなくて、ひどいことをされた思い出もあるし、助けてやった記憶もたくさんある。もちろんよくしてもらったこともあるわけだしそういう損得勘定を言っているようでは仲間も何もない。

しかし少し前、そいつは非常に大きく信用を失墜させるような行動をとった。そして「自分は悪くない」とばかりに私を筆頭とする多くの仲間を攻撃した。私から見ればそれまでそいつのためにしてやったことは何だったのかと言いたくなるようなひどいものであったし、団体の中に非常に不快なムードを巻き起こした。

そしてそいつはその団体での活動を制限されるような状況になった。

今般、ある事情により私はその団体から退くことになった。結局椅子が一つ空いたことになる。するとすかさずそいつは自分をそこに入れてくれとアピールしてきたそうだ。

そういえば,そいつはその時に言っていた。
自分はこの団体に20年あまり在籍し、それなりの貢献もしてきた。だから自分はこの団体で活動できるのが当然であり、それにたいしてゴタゴタ言う方がおかしい。

あまりに子供染みていて呆れた。20年間積み上げてきた信用であっても、崩れるのは一瞬なのだ。崩れるのは簡単なこと。作り上げるのは大変。それがわかっていないヤツとの関係が遠くなってしまったことは、いろいろな意味で寂しいことであったけど、大人としての常識がわかっていないのだから仕方がない。

椅子が空いたのだから、自分が入れてもらえるのは当然だろう、といって入ってきても、周りの人たちの信用を失ってしまっている状況で、活動にすんなり入れると思っているのだろうか。

そういえば、昨日はその団体の仲間の2人が結婚式を挙げた。たくさんの親類縁者が列席して、素晴らしい披露宴だった。私はその2人が会う場を強引に作って、それがきっかけになって結婚に至ったということなのだが、何だか知らないが披露宴でずいぶん祭り上げられてしまった。若い2人の幸せを心から祈る。

先日も、別の会で私を励ます会を開いてくれた。その席上で驚いたことは、若いメンバーが口々に「曽布川に褒めてもらった」といったこと。こちらは全くそんな気持ちはなくて、ただ単に「すげえな」「ありがとう」といっただけだと思うのだが。そんな風に見てもらっていたのだと思うと、恥ずかしいぐらいだ。で、その会も20歳も下の若いメンバーから20近く上の大先輩まで40人も集まってくださった。

このところこんな幸せな時間が続いている。身に余る話だ。昔、10代のころ、自分は本当にダメな人間だった。自己中心的で僻みっぽく、力がないにもかかわらず自惚れていた。しかしそんな自分を受容してくれる友人が多数いた。諭してくれる彼女もいた。そんな人たちに支えられて、やっと最近、少しはまともな人間に近づいてきたのではないかと思っている。いや、それは自惚れかも知れぬ。だが恩を受けたことは間違いない。

そして今日は、その団体所属に限らない関連する仲間がたくさん集まって私を(取り)囲む会を開いてくれるのだという。本当にうれしい限りだ。自分はただやりたいことを一生懸命やっていただけなのだが。

私の周りの多くの方々、もちろん家族も含めて、すべての人たちに深く感謝する日々である。


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