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総括編1:プラハ・国民劇場と国立オペラ [2000音楽三昧 in Praha]

 今さらここで解説するまでもないのだが,プラハは音楽が盛んであり,中でもオペラは,演劇に対する人々の深い思い入れ=チェコ民族の歴史に深く由来する=と相まって,豊かなものであると思う.その中で大きな2つの劇場,国民劇場 Narodni Divadlo と国立オペラ Statni Opera がある.元々は市民が自分たちの民族の象徴として寄付金を募って建てた劇場が Narodni Divadlo であり,(放火により消失させてその盛り上がりを阻止しようとしたが失敗した?)支配者階級であったドイツ語人が建てた劇場が Statni Opera である。そのため,前者はチェコ物,スメタナやドヴォルジャークの物を積極的に取り上げるが,後者はもっと幅広い演目を取り上げてきた、とされる。実際に Narodni Divadlo ではそうした物をよく取り上げており、私自身も「売られた花嫁」「Libuse」「Rusalka」を観たが,もっと幅広いレパートリーを持つようになった。

 そうしたレパートリーの違いもさることながら、もっと違いを感じたのはその演出を中心としたいわゆる「作り」である。レギュラーシーズン中の Stavovske Divadlo は基本的に Narodni の公演であり、「夏のシリーズ」と書いたものは、正確ではないが、だいたい Statni Opera の系列のようなものと思ってよい。その中でいうと次のように同じ作品を2つ以上の劇場で続けて観る、という幸運に恵まれた。



カルメン        Narodni divadlo,  Statni Opera,   両者の比較はこちら
魔笛           Stavovske divadlo, Liceu 劇場,
             Statni Opera1,  Statni Opera2,  
コシ・ファン・トゥッテ  Stavovske divadlo,  Statni Opera,  
ドン・ジョヴァンニ   Stavovske Divadlo, Stavovske Divadlo(夏)
トスカ          Narodni divadlo,  Statni Opera
リゴレット        Narodni divadlo,  Statni Opera
   


ここにあげた、同じ演目の感想を比較して読んでいただきたい。そこでわかることは、Statni Opera は原則としてOpera専門の劇場。それに対して Narodni は演劇などもその活動の中心に位置するということである。Narodni では演出家などの交流がある(分けていない?)ようだ。その結果、Statni(系)では旧来からの伝統的な形に則った演出で演じられるのに対して、演劇専門の演出家の、オペラ界からすればユニークな斬新な演出が目立つ。

 オペラをよく知った人からすると、Statni の演出の方がなじめるものであるようだ。しかし見物として考えたときには、どちらかというとゴテゴテとした Narodni 系の演出の方が総じて楽しめたと思った。「魔笛」など、いくつか私の好みにあわなかったものもないわけではないが。オペラ界の人に言わせれば「演劇の連中は『何か特別なことをやりたがっている』」ということになるらしく、演劇系からすると「何であんなつまんない演出をしてるんだろう、あいつらは」ということになるようだ。

ロッシーニ「セビリアの理髪師」(Narodni Divadlo) [2000音楽三昧 in Praha]

ロッシーニ「セビリアの理髪師」(2000年12月6日(水)Narodni Divadlo)


 プラハに来て8ヶ月,本当にオペラ三昧をしてきたが,その最後にこの名作を観るチャンスに恵まれた.しかもたまたま連絡してみると,倉敷出身のソプラノ歌手・慶児道代さんが主役級で出演することもわかった.このオペラハウスとももうお別れだが,その最後には良い思い出になるだろう,と楽しみにして出かけていったのであった.

 このオペラは序曲が有名である.しかし少なくとも私は中のアリアやバレエなどで知っている部分はない.だが面白い,笑えて楽しめるオペラとして歴史に輝くものである.まずはそうしたこのオペラ,そしてここ Narodni Divadlo の演出などについて語りたい.いや,語りたいのだが,一晩経ってこの感想を書こうとすると,これを語ることはできない.なぜなら,あまりにも色々なことが盛りだくさんだからだ.もうこの日が49回目の公演だからある程度ネタを出しても良いだろう.ステージは手前から奥に向かって「菱形に」傾斜が作ってある.一番手前はステージからオケ・ピットにはみ出していて,そこにはボーリングのピンのような杭で柵が作ってある.序曲が始まるとすぐに幕が開く.そして道化たちのバレエだ.いや,バレエというよりもパントマイムと言うべきだろう.特に「何を意味するか」など考えずに観て面白い.装置は積み木を積んだようなセットで,高いところから通路が出来ていて,そこから人が登場する.中央には,よく公園の砂場にあるような「積み木のおうち」みたいなのがあって,そのなかには電子ピアノが据えてある.ロッシーニは随分ロマンティックだが,時代は思ったより古く,チェンバロの通奏低音でレシタティーヴォが結構あるのだ.そのチェンバロの代わりにする.しかもそのチェンバロ奏者も道化の一員として,舞台に出入りしたり,登場人物にちょっかいを出したり,という「役」を持っている.どこまでがロッシーニの書いたものかよく知らないが,この「道化」は最初から最後までこのオペラの「楽しめる」部分を大いに作り出していた.また,アルマヴィーヴァ伯爵の恋のアリアなどはギター伴奏で,もちろんピットではギターで弾いているのだが(位置取りがいいらしく,とてもよく聞こえる),舞台上ではその道化の1人が「スーザフォン」「ユーフォニウム」を抱え,ギターをつま弾く仕草をする.このスーザフォンは2本舞台で使われていて,他にも色々と面白い,妙な役割を担う.本当に「金管文化」の豊かなところらしい.雷の音,雨の音,など録音系の効果音が絡んだり,いろいろと盛りだくさんで,ぼんやり観ているだけでも飽きることはなかったと思う.

 さて,演奏である.この日の指揮は先日「スペードの女王」をみたF.Preisler だった.ちゃんとやっている.指揮ぶりも良いように見えた.だが相変わらず無愛想だ.そして随分妙なところでジェスチャーが大きい.まあちゃんとやっている,という感じだっただろうか.オケも好演.すこし打楽器が不細工だったがまあ愛嬌か.出来ればチェンバロは電子ピアノではなくて生チェンバロでやった方が良かっただろう.音量的に物足りないからということなのかも知れないが,私には逆にうるさすぎた.歌手陣ではBartolo の B.Marsik が好演.終演後にちょっと会ったのだが,本当におなかの出たおじちゃん,もう年齢は65歳ぐらいだそうだが,立派な声と余裕のあるステージは,とても楽しませてもらった.この日のメンバーは他にもフィガロの J.Kubik, フィオレロの P.Cervinka, バシリオの L.Vele と,これまで何度か見て比較的良い印象を持った人ばかりだった.席がこれまであまり座ったことがなかった平戸間で頭の上を声が素通りしていったらしく,少し歌のイメージが違ったが,まあそれは場所のせいだろう.

 そうした立派な歌手陣を従えてのこの日のプリマは慶児(けいこ)道代さんである.まず,私はああしたタイプの歌手・声が好きなのだろう.思い切り太いドラマティックな声ではないが,芯の通った明瞭な声,そして正確な発音.ロッシーニの他のものそうなのだろうが,モーツァルトと同様にめまぐるしく動く譜面を,その譜面がちゃんと聞き取れるように歌っていく.生本番だからミスはもちろんあるのだが,聞いて譜面を書き取ることが出来て,そしてその上でミスがわかるというのは,とてもレベルが高いと思った.

 彼女の役どころのロジーナは村一番の美女である.日本人だからもちろんまわりよりは肌の色が黄色いのだが,出来ればあんなに赤い髪のカツラではなくて,もっと茶色がかった色にすべきだっただろう.これは衣装・メーク担当の選択ミスである.彼女は歌だけでなくて演技もとても良かったと思う.日本人の顔だからどうしても平面的に見えるのだが,逆にステージ上では顔の表情の変化がよくわかる.それを縦横無尽に(というのは変だが)使っていた.こうした諧謔的な演目のプリマとしても相応しいと思われた.おそらく,彼女はこれからどんどん人気が出ていくだろう.

 終演後,またお会いして色々と話を聞かせていただく機会を得ることが出来た.彼女はこの日の演奏については大いに不満だったようである.確かにアンサンブル,特にアカペラでのアンサンブルが最高だったかと聞かれれば「No」,いやここチェコでは「no=ano=Yes」だから,「ne」と言うべきか.だが人々の声はそれぞれにきちんと音程があり,声質的にはよく合っていた.ハーモニーには問題があったが,練習すればよく聞こえるだろうとおもった.まあプロなんだから,その合わせをやってから本番に来いとは思うのだが,もっとひどいものもたくさんあるので,私が聞いた中で比較すると上位にランクされる.だがそれでは納得がいかないという話だ.もちろん本場にいるのだから,世界最高レベルを見てそれを目指すのは当たり前であるが,こうした話を聞きながら,日本ではそうした向上心のない音楽家が,それでものうのうと自分のポジションを保つことが出来るのは,全く貧しい話で残念であると思った.

 こうして私のプラハでのオペラ三昧は幕を閉じたのであった.

チャイコフスキー 歌劇「スペードの女王」(Narodni Divadlo) [2000音楽三昧 in Praha]

チャイコフスキー 歌劇「スペードの女王」(2000年12月1日(金),Narodni Divadlo)

 チャイコフスキーはバレエは有名な作品がたくさんあります.「白鳥の湖」「クルミ割り人形」「眠れる森の美女」etc.しかしオペラの作曲家としては有名ではない.多くの有名な作曲家がオペラにも数々の名作を残している中,どちらかというと「失敗した」「縁がなかった」などと評する人もあるほどです.色々事情があって,突然これを見に行くことになりました.

 私も名前しか知らないこの作品ですが,インターネットで日本語で書かれたあらすじを探したところ,ほぼ皆無.私と同様の感想文に少しあらすじをかいてくれたページがあったので,それを持って行きました.

 変な話ですが,まず演奏について.指揮者の F.Preisler は,ジェスチャーがオーバーで,そこまでしなくてもオケはついてくるだろうに,という感じ.まあそれでも,特にひどいと言うことは無かったのですが,ずっと仏頂面で観客の拍手にもにこりともせず,この人,一体なに?というのが正直な感想か.オケは全体的に大いに好演.だから指揮者としては良いんだと思います.

 歌手陣は Herrmann の S.Ljadov, Tomskyの Z. Hlavka, を始め,特に男性陣はこれまで私が観て良いと思った歌手が勢揃い.女性陣はまあもう一つか,と思っていて,突然2幕でおまけに出てくる「ダフニスとクロエ」のChroeが気に入ったのだが,メンバー表を見て大笑い.私のHPではおなじみのM Bauerova でした.まあ総じて一人一人の歌は良い.演技も面白い.合唱は相変わらず上手い.舞台装置は工夫されたもので,小道具なども凝っていて,見せ物としては十分すぎるほどの満足がありました.

 

 さて,ここからが本題.どうしてこの曲が,またオペラ作曲家としてのチャイコフスキーがあまり人気がないかということ.まず1幕.普通のイタリア者などよろしく,歌による会話で,人々の心の動きが出てきて,ロシア語がわからなくても大体のことはわかるのだが,この日の,演奏としては好演だったオケの,まさにチャイコらしいサウンドが,どう見ても歌手のやりとりを邪魔してしまう.それは音量が,というような問題ではない.例えばちょっと合いの手に入るフレーズで,木管がさらっと歌うと,チャイコらしくてとても素敵なのだが,完全に歌を「食って」しまう.だから何を見に来たのかよくわからなくなってしまう.悪く言えば「邪魔」,よく言えば「個性が強すぎ」というところか.残念ながら他のたくさんのオペラに慣れてきた私にとっては,違和感が拭えないまま1幕が終わった.そして2幕.これはパーティのシーンなので,チャイコらしいバレエもあり,華やかでとても楽しい音楽.だが1幕からずっと思ったことは,チャイコフスキーは合唱の使い方があまり上手でないと言うこと.もちろん素敵なハーモニーなのだが,合唱が始まって,しかもこのNarodni ぐらいの充実した合唱だと,もうクドい.3幕.同様に今度はカジノのシーン.やはり華やかさという面ではいいのだが,どうもクドい.最後の演出,3枚のカードの秘密を知って,3枚目に賭けるところから,の悲劇シーンなどは,まさに伝統的なオペラの持って行き方で良かったのですが,トータルで観ると結局,チャイコフスキーらしい音楽は,従来のオペラの枠組みに入れるにはあまりにも重厚すぎるというのが,この日の感想でした.

 

 まあ,演奏は良かったし,違ったタイプのオペラが観られた,という意味でも大きな収穫でした.

プッチーニ「トスカ」 2nd Premier (Narodni Divadlo)  [2000音楽三昧 in Praha]

プッチーニ「トスカ」 2nd Premier (2000年11月28日(火),Narodni Divadlo) 

 今回プラハにやってきて,最初に見たオペラが Statni の「Toska」 だった(6/16).そのときの感想を読み返すと,まあ何とものを知らなかったことか,また何と謙虚なことか.半年足らずのあいだにずいぶん色々なものを見たんだなぁと思いながら,この日の Narodni Divadlo に足を運んだ.

 ご承知の方も多いと思うが,その劇場での初上演,また演出や舞台装置,音楽を全部一通り作り直して行う再演の初日を(日本でもフランス or イタリア語で)「プルミエ」と呼ぶ.オケも練習を重ねてその日に臨むし,歌手陣などもベストメンバーを揃えるから,この日は良い演奏が期待できる,また初物見たさということもあって,チケットの入手は難しい.一方で「通」は初日を終わって細かい修正をした上での再演,第2回の方が良いと言うらしい.こちらを「セカンドプルミエ」(一体何語?)と言うようだ.道理で,この日もダフ屋が随分出ていた.

 そのチケットを入手できた.席は1st garallie,日本で言うところの4階席だが,一番前であり,ここ Narodni は上の方が音がいいので,それも楽しみであった.

 指揮は,このところ立て続けに見せてもらってすっかり魅せられてしまっている O.Dohnanyil である.

 開演ギリギリに着席,プログラムも読まないうちに開演となったが,どうせ大したことがない筋書きだから,と思っていたのが大間違いだった.

 演奏はすごい.オケは 12-13-8-6-6 型,3管.おそらく Narodni のオケが総動員で演奏ということだろう.最初からもう気合いが入っているのがわかる.座った場所がいいのでオケの音が隅々まで聞き取れる.いい音だ.じっくり聞くうちに「プッチーニってこんなにすごい譜面を書いていたんだ」と驚嘆するほどだ.みずみずしさと迫力と転換の良さと,そしてリズムも結構良いものだと言うことがわかってきた.さすがに名作と言われるだけのことはある.演奏に細かく文句を言えば木管の音色に少し難が,とかわずかだが弦が弾けていない,ということはあるが,それはあら探しというものだ.好みではもう少し Tuba の音にスピードがあった方がいいが,プラハはそれを望もうとすると Statni の tuba のようにぶっ壊し系の音になってしまうので,それは無理だろう.早すぎないが緊張感がある音楽の進め方は本当に素晴らしいとおもう.

 歌手陣もさすがに揃えているという感じだ.トスカには「リブシェ」で大感激したE.Urvanova と,6月に「今日は大当たりだよ」とおばさんが言っていた Statni の「トスカ」で見た A-L. Bogza のダブルキャスト.どちらも大いに期待できる人だが,この日は Bogza.この演目はほとんどトスカ1人で歌うようなものなので,スターを揃えるんだろう.2幕の有名なアリアなどは,拍手が鳴りやまず,正味2分は続いたと思う.拍手の,しかも劇中アリアへの2分間の拍手はいくら何でも長いのだが.指揮者が次を構えたのでやっと拍手が終わったというほど.もっとも2nd garallieに「ブラヴォー・サーヴィス」がいてうるさかったのだけはちょっと興ざめだったが.スカルピアの I.Kusnjer も素晴らしい.カヴァラドッシの M.Ljadov も熱演.後は名前は省略だが,とにかく歌手陣はどれもすごい.

 合唱,とくに子供の合唱も入るが,これらもすごい.舞台裏から歌う合唱などの充実感には本当にいつもながら感動する.さすがは Narodni だ.「充実した」とはこのことを言うのだと思う.

 さて問題は,というよりもあまりにすごすぎたのでしっかりコメントしきれないのが演出だ.1幕が終わり,心にズシリと残った.まわりからも思わず「オォ」とため息が出るほど.2幕はそうでもないが,全体では「随分短いな」と思わせるほどのおもしろさ.よく「テレビドラマと映画の違い」として「映画は画面の隅々まで行き届いて凝っている.テレビはそれと比べると作りが雑だ」とよく言われる.それを思い出した.大きな Narodni の舞台を2倍にも3倍にも使って,また隅々まで色々と趣向を凝らしている.休憩の時にプログラムを読んでよくわかった.演出の V.Moravek 氏は私よりも若い人だが,その奥さんが近年亡くなったということなのだ.そしてそれを心に深く刻んだ彼は「愛と死」を前面に出してしっかり描こうとしたのだという.それを読んで演出がよくわかった.1幕は基本的に葬送の場面だった.そして最後の大合唱はレクイエムなのだ.2幕は割合普通の作り方だが,小物や音響,細かい動作など本当に凝った作りだ.そして3幕も葬送.これは元々そういう場面だが,そうした感情描写を表にはっきり出す演出だった.細かいネタについては書かないことにする.装置に相当凝っている.どういう凝り方をしているかは見てのお楽しみだ.この「トスカ」は演出家のそうした心の動きが演出にあらわれているのだが,ここでつかわれている手法はこれまでNarodni で見てきた 「カルメン」「リゴレット」「椿姫」に通じる,登場人物の感情表現を前面に出したものであるといえる.これらの感想でも述べたが,演劇を重要な柱と考えるこの Narodni Divadlo そしてプラハ,チェコの人たちにとってはこうした演出が好まれるのだと思う.実際見た感想から言うと,伝統的な演出も良いが,見る側にはこうしたものの方がわかりやすい.特にこの「トスカ」は演出家の気持ちがわーっと溢れてくるようで,こうした舞台は初めて見せてもらった.

 たくさん色々なオペラを見た後でこれに巡り会えたことは,本当に良かった.もっと早い時期,わかっていない時期にこれに出会ったていたら,単に「なんかすごい」で終わっていただろう.特にオペラをよく知った人に見てもらいたい気がするこの日の舞台であった.

モーツァルト 楽劇「魔笛」 (Statni opera) [2000音楽三昧 in Praha]

モーツァルト 楽劇「魔笛」 (2000年11月26日(土)プラハ国立オペラ)

 つい先日同じものをここ Statni Operaで見たばかりである.特に気に入ったわけではないのだが,愚息・ぴよのしんにもう一度Operaを見せるチャンスを探していたこと,そして Stavovske に「魔笛」を見せようと思って連れて行ったら,突然「フィガロ」に演目変更になり,準備をしていなかった息子が1幕の最後まで見てあとは耐えられなかった,という一件,そして Stavovske divadlo の「魔笛」は子供に見せるにはあまりにも難解であること,そして前回この Statni で「魔笛」を見て比較的面白かったことがあって,再度行くことにした.

 おめかしをした息子のことはどうでも良いだろう.問題は舞台の出来のことだ.歌手陣では Pamina の J.Svobodova と Papagena の J.Markvartova の女性陣と Monostatos の J.Hruska が素晴らしい.Papageno の M.Rehor は,台詞のところは良い.出来れば「笛」はもっと練習して違う形にして欲しかった.歌はイタリアOperaを歌ったらいい歌手なんだろうと思うが,モーツアルトをやる限り,こうした Semple Vibrato & 歌詞は何を言っているのか全くわからない,は良しとはしたくない.他の演目なら良かったのだろう.また見てみたいと思う.Tamino の T.Cerny は,持っている声の目一杯を出したが,それ自体がそれほど大きくないので,聞き心地としてはちょうどいい.ただ少し頑張りすぎたように見えた,とは同道した妻の感想.この日朝から,この人を含む歌手陣が歌った,チェコのクリスマスミサ曲(J.Rybi 作)を聞いて,とても良いと思い,同時にそのジャケットで,元々は工業大学を出てエンジニアを6年やったところで転身したという話.最初は合唱団員として,そしてついにはこの Statni に常時出るようになったのだから,分からないものである.

 関係ないが,面白いのは,まったく予断なく聴きに行っても,良い演奏だったとおもう歌手はいつも同じだということか. 

 この日のオケと指揮者に関しては,悲しい思いをした.前回の「魔笛」もこの人だった.そのときは特に悪いとは思わなかったのだが,この日は2ndバルコニーサイドから見ていたので,指揮がよく見えた.序曲,最初の方で 2nd Vn が崩れた.まああの指揮でそう崩れちゃ,かわいそうだぜ,と思ったのだが,そのあと木管も転びまくり.ここまでは指揮者を援護してやる気になった.だが・・・見ていると合わせることにきゅうきゅうとしているようだ.どことなく怖々振っている感じ.だからオケも安心して演奏できなかったのか.例えば2幕は最初例の Sarastro のアリアにつながる荘厳な場面だが,入ってきて譜面代の上に置いてある指揮棒をもって構えるまでの仕草を見て,戦争の場面でもやるのかと思ってしまった.この指揮者は新人じゃあないのだから,ビビっていたなんてことはあり得ない.こんなわけで,この指揮者は許し難い.子供3人組もきれいにハモっていたのに,指揮が甘いので出がばらけて崩れたところもあった.結局全体的に引き締まった感じのない,甘い演奏だった.

 ここまでなら「許し難い」で終わるのだが,その昔,自分がオケの演奏会で指揮をさせてもらったときのことを思い出した.本番はラッパを吹くつもりだったのに直前2週間になって「曽布川君も指揮の本番があった方がいいでしょう」と,棒振りの師匠が言い始めて,指揮させてもらうことに.しかし2曲プロのうちのアンサンブルの出来の悪い方で,しかも,やばいパートにやばい顔ぶれがいて,本番までそのお守りに一生懸命になってしまい,音楽をするというレベルに全く行かない,やっとこさっとこ合わせただけ,という演奏になってしまったのである.そんなものと一緒にしては全く失礼なのだが,そんな昔話を思い出して悲しくなった.

ヴェルディ 歌劇「ナブッコ」 (Statni Opera) [2000音楽三昧 in Praha]

ヴェルディ 歌劇「ナブッコ」 (2000年11月25日(土)プラハ国立オペラ)

 この劇場ではここ数年,8月中旬から9月始めにかけて「ヴェルディ・フェスティヴァル」と銘打って連日ヴェルディのOperaをやっている.そんなこともあってか,ヴェルディのレパートリーは多い.私が見た中でもアイーダ,リゴレット,他にも椿姫やトロバトーレもレパートリーになっている.ヴェルディについて全く知らない私であるが,序曲だけを言えば「運命の力」そしてこの「ナブッコ」をやったことがあるので,それだけの理由でこれを見に行くことにしたのである.

 調べてみればこれがヴェルディの出世作だそうだが,まあ私のイメージにあるヴェルディ節=リズム&メロディ=を堪能させてくれる演目だ.ずちゃちゃちゃ,ずちゃずちゃ・・・

 歌手は一応デコボコは少なく,男性陣は割合良かったのですが,ちょっと女性陣に難が・・・

 しかし何といってもこの日の公演で言いたいのは,指揮者について.この演目は93年に新演出.ところがこの日のプログラムを見ると,合唱指導が新演出の時とは違う人.ということは,合唱も作り直したということか.合唱指揮者の名前は Michael Keprt.そしてこの日の公演の指揮も担当.もしかしたら音楽リメイクなのかも知れない.見た感じは若い初々しい人.プログラムの経歴紹介からすると,30歳前後か.合唱指揮に経験が深いようで,同時に合唱,オーケストラ作品など幅広い作曲もするそうだ.手が長くて細い.序曲は少し堅い感じ.劇中の色々な音楽が予告編として出てくるのだが,手を伸ばして一生懸命指揮をしているにもかかわらず,どうも「細切れつなぎ合わせ」というこの曲の弱点が表に見えてしまうような演奏.まあ若いから・・・・と思ったのだが,歌が始まるとさにあらず.その長い手を充分伸ばし切らなくても,合唱やオケが充分ドライブできる.合唱は大きな合唱(100人以上)であったので,合唱指導の手腕については完全にはわからない.だが,もしかしたらこれまでさんざん酷評してきた Statni の合唱団の,またこのオペラハウスの救世主になりうるのかもしれない.少なくともこの日の演奏には,初々しさはあってもまごまごした感じはなかった.もしかしたら超一流への道を進むのかも知れない.満足と飛躍の予感,ということだけを述べて,とりあえずの感想としよう.

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モーツァルト  楽劇「コシ・ファン・トゥッテ」(Statni Opera) [2000音楽三昧 in Praha]

モーツァルト  楽劇「コシ・ファン・トゥッテ」(2000年11月22日(水)Statni Opera)

 先日同じ演目を Stavovske で見てきた.結構面白かった.それと比べてみたい,と思ってこれを見に行った.まったく贅沢な話である.それをかみしめながらの鑑賞であった.

 Stavovske のほうは,比較的新しい制作だったようだが,こちらは90年にプルミエ.もう11シーズン目に入る.139回目の上演だ.演出は,場面変わりを早くするために,舞台装置をすべて天井からワイヤーでつるして,合間にどんどん入れ替えるというもの.ワイヤーが見えるから少し変な感じもあるが,そういう雰囲気だといえばそうも思える. Stavovske よりこちらの方が舞台がずっと大きいが,この演出なら小さい舞台でもできるだろう.男2人が軍隊に出征する(ふりをする)ところなども,笑わせてくれる仕掛けがある.作品がそうだから,ということもあるが,本当に笑わせてくれる,楽しい舞台だった.

 演奏についても,私はStatni で何回もオペラを見たが,この日の演奏はその最上位に置けると思う.指揮のV.Spurnyは,どこかで見たことがある気がするのだが(資料の大半を日本に送り返してしまったのでちょっと分からない),古楽系を得意とする人らしい.最初の序曲でオケの目が覚めていなくて,弦がついてこられなかったことを除くと,コンパクトな良い演奏だったとおもう.Narodni に比べてこれまで酷評していたここのオケだが,指揮者に応えてか,この日はよかった.特に良かったのはティンパニと金管.こういうモーツァルトが演奏できるのは,世界中でもそうそう多くないのではないだろうか.オケの編成をよく知らないのだが,この曲はヴィオラなしということはないと思うので,おそらく 64222 の弦であったとおもう.どちらにせよ小さい編成ながら,この大きな劇場一杯に溌剌とした良い演奏をしていた.まずは指揮者とオケをほめたい.

 ソリストについても私は割合楽しめたと思う.前回 Stavovske で見たときには,Fordiligi とDorabella の女声2重唱や Ferrandoと guglielmo の男声2重唱の音程が合っていなくてイライラしたが,この日は最初から音程が気になったことはない.Fiordiligi の L.Vernerova は,詳しくは知らないが,突然依頼して急遽代役出演という感じで Special thanks が掲示してあった.しかしDorabellal の S.Cmugrova との息もよく合っていて,良い演奏だった.こちらの S.Cmugrovaは,冒頭のところでは「おい,聞き苦しいぞ,Semple vibrato はやめてくれ~」と思ったが,声が乗って来るに従ってあまり気にならなくなってきた.Ferrando の T.Cerny,Guglielmo の V.Sibera の2人も,声質は特別良いとは思わなかったが,良い演奏だった.とくに2幕のこの4人の絡みの重唱はとても良かった.

 そして Alfonso の A.Hendrych にも大いに好感が持てた.この劇場は大きいので,もちろんベルカント唱法で大きく歌わなくてはならない.しかし声帯を大きく振動させると,口で発音すること,すなわち子音を発音することが難しい.実は私自身が日本語を早口で話すと口が回らなくなるのはそのせいなのだ.その点,この日の彼は太い声がどんどん尻上がりに良くなっていくにもかかわらず,子音をはっきり発音していた,いや,しようとしていた.実際にモーツァルトの譜面でこの2つを同時にこなすのはほとんど無理だと思うのだが,相当良い線でこれをやっていた.だからイタリア語が分からなくてもニュアンスが充分伝わってきた.いくら良い声でも,「おーわーうぉーわー」では聴く気が失せる.この歌手も高く評価したい.

 最後になったがソリストの中で,出てきた瞬間から「おっ,これは!」と思わせたのは,Despina のM.Bauerova だった.最初のアリアから,ちょっと格が上か.劇場でプログラムを見て「どこかで見た名前だなぁ」と思っていたのだが,この感想文を書こうと思って Stavovske の時の感想文を見たら,何と同じ人だった.そしてそちらでも私が絶賛していたのには本当に笑ってしまった.結構聞く耳が肥えてきたのだなぁということを実感した.これら2人を加えた最後の6重唱は本当に絶品.

 このようにとても満足した一夜だった,といいたいのだが,一つだけ,しかも決定的な問題があった.合唱団である.申し訳ないが,合唱団はひどい.ひどすぎる.毎晩違う演目をこなしているということはすごいことだとは思うが,その前に合唱の基本が全くなっていないと思う.常々「ソロとして活動している歌手の人だって,50歳まで歌い続けることは大変だろう,そういう人はどうしているんだろうか」と気になっていたのだが,もしかしたら「ソリストとしてやっていけなくなった歌手を集めて合唱団にしてるんではないだろうか」と思ってしまったほどだ.なぜなら,ほとんど全員がものすごい vibrato をかけて歌っているので,音程が「ない」.変な話だが,そういう言い方が一番正しい.ゴワゴワ歌っていて,全くハモっていない.それでも100人クラスの大合唱になればそれなりの中心線が出てきて,音程があるように,またハモっているかのように聞こえることもあるのだろうが,特にこの日は30人ぐらいでの合唱だったのでこうした問題がはっきり出た.はっきり言って,ハモっている分だけ,ソリスト6人の方がはるかに大きな豊かな声に聞こえた.これでは何のための合唱なんだろう.

 オペラの要素には,舞台装置,衣装,演出といった演劇系と,ソリスト,指揮者,オケ,合唱といった音楽系がある.Statni は D.Dvorak が芸術監督であることもあって,前者については行き届いていると思う.ソリストも,Narodni よりは格下かも知れないが,あまりひどければ次から使わないだろうから,まあ揃っていると言っても良いだろう.指揮者も,大昔はマーラーが振っていたこともあったわけだし,この日のように良いことも多い.オケもまあまあ.この日のように好演することもある.だが合唱に関しては良いと思ったことは一度もない.「アイーダ」の時には問題も感じたが,曲が難しいんだろうと思った.「カルメン」では「?」と思ったが,あのときはそうひどくは書かなかった.だがこの日はがまんがならなかった.終わった後のカーテンコールが,演奏の出来の良さと比べて少なすぎたと思うのだが,それは合唱のせいではないか?他のことについては「Statni は Narodni とは性格が違うオペラハウスだ」と表現したいのだが,こと合唱に関してはひどく大きな優劣の差があると思った.

V.アシュケナージ&チェコ・フィル( ドヴォルザークホール) [2000音楽三昧 in Praha]

V.アシュケナージ&チェコ・フィル(2000年11月17日(金) ドヴォルザークホール)

 チェコ・フィルを聴くのに,肝心のアシュケナージの指揮で聴かなくては意味がない,という話もある.少なくとも常任指揮者としてこのオケが頂いているんだから,彼らが一番良い演奏をするだろうとおもう.残念ながら私はアシュケナージはピアニストとしてしか知らなかった.もちろん随分前から指揮活動をしているのは知っていたのだが,聴いたことはなかったのだ.

 この日はチェコの祝日.曲目があまりポピュラーでないこともあって,定期会員で来なかった人がたくさんあったようだ.実際,私は舞台後ろ=指揮者と正対=の席しか取れなかったのだが,行ってみると最初は7割,休憩後で8割程度の入りだった.まあ,そういう席になったのも何かの縁.せっかくだからアシュケナージの指揮をしっかり見て,またオケ側の気持ちで見ることにしよう.

 入ってきたマエストロは,白のタートルに普通の丈のスーツ.これは・・・やっぱりカラヤンの影響か・・・

 さて,そのまさにポピュラーでない1曲目は,A.Berg の弦楽合奏の組曲.「Lyric」と銘打ってあるが,まあ普通耳になじみにくい曲だ.こういう曲をやったことがないので何とも言えないが,この曲の指揮ぶりを見ている限り,どうしてこの人が常任指揮者なんだろう,という感じ.全く指揮が出来ていない.むしろオケに合わせて振っている感じ.あれれ・・・こういう曲だから仕方がないのか?

 続いて2曲目は Martinu の「Piero della Francescaのフレスコ画」という曲.全然知らない曲だが,この曲に関してはこんな席しか取れなかったことは悲しかった.なぜなら,オケが生き生きとしたサウンドを聴かせてくれて,アシュケナージは軽くそれを制御しているという感じ.せっかくプラハに長くいても,マルティヌーの音楽にまでは手が回らなかったのだが,これを聴く限り,彼らが非常に愛している作曲家であることが分かった.正面で木管のアンサンブルをお客さんとして聴きたかった.好演である.

 休憩後のメインは,R.シュトラウスの「家庭交響曲」.この曲は R.シュトラウスの曲の中でも特に知らない曲だ(何という表現).この前聴いたのは,おそらく20年近く前のこと.中学校の恩師の音楽の先生が,N響の定期会員だがこの日は行かれないから,とチケットをくれたもの.中学生だったそのころ,こんな曲を知るわけもなく,結構飽きた記憶がある.その後,FMでもCDでもこの曲を聴くチャンスがなかったわけではないのだが,他のものと比べて大抵こちらを捨ててきたのだった.

 この曲になってアシュケナージは俄然気合いが入ったようだ.この時期に「英雄の生涯」も取り上げているし,R.シュトラウスは得意としているんだろう.実際,暗譜で縦横無尽に巨大なオケを操るその様は,本当に偉大な指揮者だった.場所からしてあまり金管のサウンドがどうしたこうしたということは関係なく,むしろアシュケナージを見て,そしてその棒と対峙して演奏しているチェコ・フィルの偉大さをみて,大いに感激した.アシュケナージは良い音楽家であることはもちろんだが,指揮でもその才能は大いに発揮されている.そして同時に,R.シュトラウスの他の曲も色々と勉強してみたくなった.知っているのは「ティル」「ひでおのいきがい」「ドン・ファン」だけだ.「ツァラ」は冒頭しか知らないから知らないも同然.「バラの騎士」を見たかったのだが,昨シーズンはやっていたが見られなかった.今シーズンの予定表にはまだ(もう?)ない.他にも聴くべき曲がたくさんあるはずだ.「マーラー」「ストラヴィンスキー」も良いが,今度はリヒャルト・シュトラウスを聴くことにしよう.大いに影響を受けた一夜だった.

E.Viklinsky 「Faidra」 (Statni Opera) [2000音楽三昧 in Praha]

E.Viklinsky 「Faidra」 (2000年11月15日 Statni Opera)

 この演目を知っている,という方があったら是非ご一報を.仲良くしましょう.これは Praha2000 と題する一連の行事の中で,この国立オペラ Statni Opera が行ったコンテストで最優秀とされた作品で,2000年9月20日に世界初演されたものである.オペラに限らず一般にクラシック音楽といわれているものは,昔作られたものを再演することが中心である.もちろんそれは素晴らしいことで,私も愛していることなのだが,私の友人(と言った方が本人は喜ぶだろう)で最近人気の指揮者・藤岡幸夫氏は,その師匠である故・渡邊暁雄氏に


我々クラシックの演奏家は昔の作曲家が作ったもので飯を食わせてもらっている.我々はそれに恩返しをしなくてはならない.出来る恩返しといえば,現代の作曲家の作品を良い作品を取り上げ,当然彼らの収入にもなるようにし,さらに未来の音楽家のために残すことだ.演奏家はこれをしなくてはならない

といわれたそうだ.それを心に命じ,日本人作曲家・吉松 隆氏の作品を積極的に紹介している.もちろん我々聴衆にはそうした義務などあるわけもない.だが歴史の上に立ったクラシック音楽を愛している者としてちょっと考えてみたい.その当時,たとえばモーツァルトがああした曲を作曲したときの状況などを知っていれば,それを楽しむ上で大いに役立つ.そしてその状況と現在を見比べてみると,今はあまりにも貧しい.何が貧しいか,それは作曲というすごい技を世の中があまり大事にしていないということである.もちろん,優秀な作曲家が力を奮う事が出来るジャンル,歌謡曲(という言葉は古いか)や商業ベースの音楽ももちろん立派なものである.しかし,クラシック音楽のスタイル,室内楽,交響管弦楽,オペラ etc ではあまりにも「昔のもの」だけに固執していないか.もちろん作る側にも「芸術とは難解なものだ」として,聴衆の側のことを全く考えない作品が数多く存在してきたことも事実だ.だが最近は作曲家の考えも変わってきたようだ.にもかかわらず,特に日本での現状は,ちょうど太古の昔の動植物の死骸を化石燃料(石油・石炭)として大量に消費し,その結果環境破壊をもたらしている我々の「文明」社会と全く同じなのではないか,という気がする.

 残念ながら,日本では音楽に限らず,文化的な営みの多くの部分においてこのような「過去を消費する」だけになってはいないだろうか.歌舞伎,雅楽といった分野では,近年若手といわれる人たちの中にこうしたことに気づいた人がでてきたようである.他の分野でもこうしたことがなされることを期待したい.

 だが,ヨーロッパの人たちはそうしたことに敏感であるようだ.だからかどうか「定評があるもの」だけではなく「新しいもの,まだ知られていないもの」を積極的に鑑賞して評価していこうという姿勢があるようだ.たとえば,先日の All Rise だって切符は完売,満員の会場は総立ちだ.もちろん作品が良かったと言うことなのだが,それは来てみてから言えることであって,来てみないことには良いも悪いもないのである.もしかしたら,プラハ・チェコというところがそういうところなのかも知れないが.この「Faidra」の5回目の公演になるこの日の Statni Opera も,平土間から2ndバルコニーまではほとんど埋まっていた.こうして人々が劇場・ホールに足を運び,演奏家だけでなく作曲家も育てるのである.こうしたことをかいま見ることが出来たのは,本当に幸せなことだった.

 この作曲者は上にリンクを付けた紹介でも分かるように,ジャズ系のミュージシャンとして世に認められた人である.同時に作曲もたくさんしているようだ.この「Faidra」の音楽を聴いて,なるほどこれなら「最優秀」だろうなと思えるほど,立派なサウンドを聴かせてくれた.確かに,メロディ的には少し難解かも知れない.だが,このOperaの舞台となっている「南方前線航空基地」において,登場人物の嘆きや怒りや悲しみといったことを表すにはまさに相応しいものだった.オケは弦が 10-8-6-5-4 管は 2-2+CorIngle-2+BassCl-2, 3-4-3-1, 打は4人掛かりだと思うが,特別変なものはない.変わったものとしては,電子のキーボードとエレキベースがあった.不可解なサウンドは全くなく,和音は大体11thぐらいまでのようだった.リズム的にも自然なもので,歌,特にレシタティーヴォ的なところののメロディは結構すごかったが,合奏になるところでは耳になじみやすい.

 最高だったのは,ある場面,歌も台詞も何も入らない場面だが,観れば何が起きているかすぐ分かる場面.そのエレキベースがチョッパーでソロでBGM系.なかなか良い.まさに報道番組が映像だけで流れている,という感じ(観ないとわかんないでしょ.ごめんなさい).やってくれるよな,という感じでした.

 指揮者はこのオペラハウスの常任のJ.Mikula が担当,親分の D.Dvorak が総監督・舞台作製,Faidra の J.Sykorova, Feve の J.Svobodova, FilipのV.Sebela,整備士の J.Hruska ら,ほとんど初演時=ベストメンバーが出演.舞台装置の作り方と,基地周辺の混雑を表すための周囲の群衆がうるさくて,前半はソリストの歌が聞こえにくかったが,だんだん感じは分かってきた.なかなか「航空基地」を舞台にするものは少ないから,難しいんだろうが,前奏曲の前に飛行機の轟音,そして最初に幕が開いた瞬間に,なるほどとうなってしまった.びっくり箱系だから詳しくは書かない.だが大問題は,字幕がないことだ.作曲者はチェコ出身のようだが,チェコ語原典のまま上演,は当然としても,英語の字幕を入れてくれよ.Narodni では「ルサルカ」だって「リブシェ」だって「売られた花嫁」だってみんな英語の字幕が入っているぞ.こっちはチェコ語が全然わかんないんだ.だからいまいち筋を追いにくい.あらすじを読んでいるから,流れは大体分かるのだが.飛行士たちが輸送機から降りてきて,前線陣地に集う.各人に缶コーラを配って,プシュッと開けて飲んでる.やっぱりこれは・・・・.

 8時頃休憩になって,プログラムを確認.ここまでが1幕?どうも違うみたいだ.あらすじからすると,2幕の話は終わったようだが.プログラムによると全5幕ということになるらしいが,今は2幕まで?3幕まで?どこで切れ目だったのかなぁ.あれれ,7時開演だが9時頃終演予定,とある.そんなに早いの?まあ,みてみよう・・・・・本当に8時50分頃終演.ステージとしては良かった.音楽の内容も良かった.筋がちょっと追えなかったのは岡山弁では「おえんなぁ」という感じ.もう少し観たいという感じも残ったが,面白いものを観たという爽快感が残った.もしかしたら,これぐらいの長さの方がいいのかも.昔のOperaは悠長すぎるのかも,という言い方も出来るかも知れない.

モーツアルト「フィガロの結婚」(Stavovske Divadlo) [2000音楽三昧 in Praha]

モーツアルト「フィガロの結婚」(2000年11月14日(火)Stavovske Divadlo)

 もう,病膏肓に入り,というべきか,それとも最後のあがきでガツガツしているというべきか,ここで見られるモーツアルトを全部見ちゃえ,というわけで,この日は「フィガロ」を見に行きました.プラハに来る前にはほとんどオペラを見たことがなかった私ですが,昨年冬に岡山まで来たワルシャワ室内歌劇場の「フィガロ」をみていたので,その記憶との比較になりました.

 先に演奏のことから書きましょう.指揮はもうその偉大さがわかった O.Dohnanyi. しかもこの「フィガロ」は彼がメインの担当なので大いに期待できました.実際,94年といいますから,もう6年も前にプルミエだったにもかかわらず,それほど緩んでいないという感じ.たとえば序曲などでもきっちりした早めのテンポで押し切るところなどはさすがというべきでしょう.スザンナの N.Melnik はおそらく初めて聞いたのですが,最初からバッチリ飛ばしていて,最後までそれが衰えず,各所のアリアもなかなか見事でした.伯爵夫人の E.Depoltova も,出てくるのが途中からになりますが,だんだん調子が上がってきて,手紙の2重唱などは結構良かったと思います.その一方で男性陣はいまいち.何度か聞いたと思いますが,伯爵の J.Kubik はまあまあだった.特に最後の方ではよかった.もう少し最初から飛ばしてくれないと,飽きるぜ.いただけなかったのはフィガロ.名前は書かない.4幕の後半をのぞいて,喉を開けて太い声を出そうと努めているのが丸わかり.ということは喉に力が入っているのがはっきり分かる.だから「おわおわ」言っているだけで何を歌っているのか分からない.おまけにそういう人間の声を聞いていると,こっちまで喉が締め付けられるような気がするのです.特に風邪を引いて喉が痛く,公演中に咳を押さえるのに苦労していた私には,本当に苦痛でした.最後のところでやっと声が伸びてきたけど,もうすでに時遅し.

 この前見た「魔笛」(Stavovske, Statni)も合わせて考えると,やはりBass歌手には人材はあまり多くないんだろうなと思いました.いい人は少しはいるようだけど.実際,Bass に回ってくる役は多くないし,そうすると飯が食えないから人口が増えないというのが正直なところでしょうが.だからTenor や Baritone ではたとえばこの日の音楽家バシリオの J.Hruska でも判事の J.Cee でも,役は大きくないけど立派な演奏でしたから.

 それから演出について.実は先日「魔笛」を見るつもりで息子にさんざん仕込んで妻が連れて行ったら,突然の演目変更で「フィガロ」になってしまって,1幕最後までようやくたどり着いた(見た)ものの,妻も面白くないといって帰ってきてしまった,という一件があったのですが,その理由が見て分かった気がしました.まあ「フィガロ」は筋が少しゴチャゴチャしていて,知らないと何だか分からない,というのも一つの理由でしょうが,それよりもまず「舞台装置が面白くない」.人々の動きは笑える演出,というよりどちらかというと,「おいおい,そこまで下品にやるか?」というほどのもの.でもモーツァルトのオペラは元々そんなものだから,それはいいかもしれない.小学生ぐらいのお嬢さんの姿も見えたが,彼女にはさすがにちょっとよろしくないが.でもスザンナが小部屋に隠れているケルビーノを窓から逃がして代わりに中に入るんだけど,あれは中にいるのがケルビーノに違いない,夫人がケルビーノと逢い引きをしていたに決まっていると疑っている伯爵が「道具を取りに行くときには,外から鍵もかけて完璧だった,入れ替えなんか出来るわけがない,それなのに(実は入れ替わって)中にはスザンナがいた」とびっくりするところが重要なのだが,「窓」がなく,後ろに張ってある幕が突然開いてそこから逃げ出す,というのでは,何なのか分からない.こちらは元のからくりを知っているから,あれはそういう意味だとわかるのだが,知らずに観た人にとっては,たとえイタリア語が分かって歌詞が全部聞き取れても,何のことだかわからないだろう.おまけに,そのあと「伯爵様」といって貢ぎ物を持ってくる男がそのさっきケルビーノが逃げていったところから入ってくるのだ.何の説明もなければ,そうした「笑うためのからくり」がわからない.衣装やそのほかも含めて全体的に「モダンスタイル」に近い感じの演出なのだが,舞台装置が中途半端で面白くない.でももう随分前に作ったもの,実はこれをステップにして今年6月新作の「ドン・ジョヴァンニ」を作ったのか?これは習作か?などと言いたくなってしまう.

 だんだん目や耳が肥えてきたということもあるのだろうが,どうも不満足なこの夜であった.

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