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ICTを使いこなすための基礎 [英語を勉強する?]

松井博氏のこの記事を読んだ。

Blogos
松井博 日本人に必要な英語のレベル
http://blogos.com/article/76173/
2013年12月19日 06:02


この記事のきっかけになっているツイートの海部美知氏は,昔からお名前は知っていたがフォローをしていたわけではないので,この記事を改めて見に行った。
https://twitter.com/MichiKaifu/statuses/413112876992196608

たくさんのリプライがついていた。それぞれいちいちもっともである。

英語については,私自身は松井氏のランク付けで言えば,2)より少しいいぐらいだと思う。ただしあんまり推敲してちゃんとした英文が書けるかと言えば怪しい部分もあるのだが。

それでも私は学生に英語の読み書きを指導する。そんな程度なのに大学で英語のセンセをするのか?などという指摘は無視する。私がなぜそんなことをするかといえば,ここに書かれていることをよく理解しているからだ。

学生のほとんどすべては,英文があると適当に辞書を引いて、目についた訳語を並べて,いい加減な日本語を作る。そしてそれをぐちゃぐちゃいじってそれなりの日本語にして答案に書く。だから本人たちは何もわからない。大切なのはその主張している中身なのに,それを理解しようとしない。

書く方が論理立てて書いている文章ならば,読む方も論理立てて考えれば,言葉自体はそれほど難しくない。少なくとも,高校1年程度の英語で十分通用するというのは松井氏の主張通りである。

論理がちゃんとしていないからダメなのだ。

私の1つの主張は,その(西洋流)論理モデルの1つとして,数学を学ぶ意義があると言いたい。


閑話休題 (えっ?)


ところで,ここまでお読み下さった方は,この記事の題が間違っていると思うのではないだろうか。さにあらず。本題はここから。

たとえばアメリカなどで教育現場へのICT導入が上手くいっているという話を聞いて,闇雲に日本でも導入しろと騒いでいる人たちがいるようである。

2つの意味で愚かな話である。

その1.そもそもアメリカは現場の教員のレベルが低い。だからICTを導入しても相対的にいいものである。一方,日本では教員のレベルは決して低くない。多くの現場にとってはICTを導入してもいいことは少なく,むしろ画一化を生むだけで害がある。しかもそんなもののためにお金や時間を使え(教員を増員することはない,むしろ減らそうとしている!)ということになっている。愚かである。

その2.それでも欧米では(西洋流の)論理的な表現になれている。そのトレーニングを受けている。だから彼らにはICTのデメリットは強く表れないが,我が国ではこれらの記事にあるように,そういった論理的なトレーニングがあまりなされていないので,現在の「公式当てはめ」「ブラックボックス丸々信用」[創造性無し」という状況がさらに増強されてしまう。

私は昔から言っているのは,今の日本の小中高でICTを徒に導入するのは害が大きいということだ。論理的な思考/表現のトレーニングを積んだ上では、大いに使うべきだと言っているし実践もしているつもり。

ICT? 使うよ
http://takuya-sobukawa.blog.so-net.ne.jp/2013-05-07

結局のところ,(西洋流の)論理トレーニングが必須であるということだ。
これまでもずいぶん頑張ってきたつもりだが,来年はさらに大きくグレードアップするために計画を進めている。

おっと、この記事を紹介するのを忘れるところだった。

TrinityNYC さんのツイート
https://twitter.com/TrinityNYC/statuses/413403465088372736

その上でさらに言う。私は日本人だ。日本人(日本語)的な論理・考え方も絶対に忘れたくない。



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日本語の文法を知らなかった(汗) [英語を勉強する?]

こんな本をよんだ。


日本人のための日本語文法入門 (講談社現代新書)

日本人のための日本語文法入門 (講談社現代新書)

  • 作者: 原沢 伊都夫
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2012/09/14
  • メディア: 新書



まずは私のこの記事が分離されているカテゴリをご覧いただきたい。

私はこのような(きちんとした)日本語の文法について知らなかった。一般人向けに書かれていることを割り引いても,わかりやすく使いやすい。これなら

○ 5W1Hのような「文を書く」指導に役立つ
 子どもに指導する必要はないが,小中高の国語教師は国語文法だけでなくこういう分析を知って「作文」指導に役立てることができるのではないか

○ 英語などほかの言語を検討するうえで役立つ
 ゛主格が主題になっているのが英語”のような見方,冠詞のとらえ方など,英語を学ぶ上で役立つ話がたくさんある。高校生に対する指導に役立てることができる

○ (上記2点を踏まえて)数学の書き方の指導に役立つ

これを読んで改めて「グローバル・リテラシー」とかいうものについて考えている。





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ストーリーを考えないと [英語を勉強する?]

こんなブログ記事を読んだ。

岡本裕明
外から見る日本、見られる日本人
「本当の英語がやってくる」    2013年11月07日10:00
http://blog.livedoor.jp/fromvancouver/archives/52356065.html

さすがにランキングでトップを走るだけのことあって,いいことを言っている。

多くの日本人は旅行英語会話集や通訳用の電子手帳などで「たった一言」で全部を言おうとしますが、それ故に相手に通じないのであります。中学の英単語でかまわないのでそれを並べて情景を表現した方がより相手は理解できるのです。


一応これは英語での話になっているのだが,結局それは日本語でも同じことなのではないだろうか。

若者と応対していると,なんでも一言で片づけてしまおうという風に見える。もちろん私のようなおっさんと話などしたくないというもわかるが,若者同士の会話でもそうだ。だから若者がきちんと書いているブログなどを読むとうれしくなる。実際,そういう彼ら・彼女らから学ぶことは多い。

昨日,ある宴会で「近況報告の時間」があった。そこで重大発表をしようと1か月前から考えていて,そのためのストーリーをずっと考えていた。その会の出席者の共通認識とその会の性格,自分が言いたいこととの関連。実はそのために何度もそのスピーチを練習していたのだった。

いざその場にて。実は出てきたふぐ刺しがあまりにおいしくて,スピーチのころにはしたたかに酔っていたのだが,おかげさまで思うとおりのスピーチが出来た。反応は予想していたよりも重く大きかったのは驚きだったが,スラッとできたのはやはりそのつもりで考えていたことが大切なのだと思う。

先月も,教授会でそういう場があった。もともと発言の予定があったが,直前に別の案件が割り込む形になった。そのため,発言の前に少しだけ前振りをつけたのだが,あとで出席者から「曽布川節を聴いたよ~」と言われた。こういう認識というのは大切なんだなと改めておもった。

そういえば思い出したのが,高3の時のクラスメイト。当時は短歌をたしなむ人だった。雅号は六平(ろくへい)。この雅号の由来はやはりひかえよう。服装が自由だったので、和服でくることもあった。洒脱な人だ。そんな彼が国語の時間に行った スピーチは,その導入からみんなを惹きつける素敵なものだった。細かい内容は忘れたが、そんな色々を思い出した今日の昼下がり。

付記: まさかと思ったが検索してみたところ,六平氏の最近の俳人としての旺盛な活動が分かった。
矢沢六平 句集
http://natsushio.com/?attachment_id=8421

本当にどうしようもない [英語を勉強する?]

本当にどうしようもない。

英語教育、小3へ前倒し 5、6年は正式教科に 文科省が方針
msn産経ニュース 2013.10.23 13:20
正式教科でない「外国語活動」として実施している小学校英語の開始時期について文部科学省が現在の小5から小3に前倒しする方針を固めたことが23日、分かった。3、4年は週1~2回、5、6年は週3回実施を想定。小5からは教科に格上げし検定教科書の使用や成績評価も導入する。  早い時期から基礎的な英語力を身に付ける機会を設け、国際的に活躍できる人材育成につなげる狙い。今後、教科書の検定基準や評価方法などを検討、中教審の議論を踏まえて学習指導要領の改定に着手。平成32(2020)年までの実施を目指す。  日本語教育優先を求める声や「成績評価が英語嫌いを招く」との意見もあり、教員の指導力向上など実現には課題もある。文科省は他教科の時間数を変えず授業時間を純増させる考えで学校や子どもの負担増に反発もありそうだ。  正式な教科となる5、6年の授業では、基本的な読み書きなど中学校の学習内容を一部取り入れる。主に専門教員が担当するが、担任が指導するケースも。


今の英語教育が上手くいっていない理由はいくつもあるのだけれど,少なくとも今の中学校の現状を見ると,中学校の英語の授業時間が少なすぎると思う。何しろ,週に3時間だ。

これではトレーニングの時間は取れない。勢い,家で宿題となる。国語の本読みだってつきあえない親が多いのに,英語の音読につきあえる親がどれだけいるか?

もう過ぎたことなので我が子の恥をさらすが,うちの長男は中1の1学期で落ちこぼれかけた。いや,完全に落ちこぼれていた。親が気づいて手を打ったので今は笑い話にできるが,はっきり言ってうちだからできたことだ。実際,中1の段階での落ちこぼれ率は人々が思うより遙かにひどいだろう。

小学校で週1回とか2回とか。そういう薄いトレーニングを4年もやったところで効果はない。むしろ週に10時間英語なんてしてやればずいぶん効率は良いだろう。週20時間なら,半年もやればちゃんとしゃべれるようになるはずだ。

ある程度時間をおいて次のステップに行くことも,記憶の理論から言って意味がある部分もある。しかしこの英語の導入に意味があるとは思えない。悪い意味の「枠のぶんどり合戦」に見える。

まだこんなことをやっているのかと思うと暗澹たる気持ちになる。



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カタカナ言葉 [英語を勉強する?]

さすが,一線でやってる人は表現が単純明快だ。

Newsweek Voices プリンストン発 日本/アメリカ 新時代 「リスク」や「ケア」の言い換えが不可能な理由とは? 冷泉彰彦 2013年07月02日(火)12時44分http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2013/07/post-571.php

この前も英語の講義レポートで「数量詞」という訳語を使っている者がいた。確かにそんな日本語になるのだろうけれど,quantifier をどうして訳す必要があるのだろう。むしろよくわからなくなっているのではないか。

昔,数学の概念として extrapolation というのをやっていた。いや今でもぼちぼち考えているが,どうもパットした結果は出ない。この英語に対して私が「補外」という日本語を充てた。これの反対概念として interpolation というのがあり,それの訳語は「補間」で定着しているのと,実際に「外を補う」感じだったのでこの日本語を使った。中身を理解してくれた人は何も言わなかったのだが,半可通の人が「それは外挿だろ」と言ってきた。教えてくれたとは思えない。言ってきた,という感じである。確かにこの語に対して外挿という日本語を使ってた人がいることは知っているが,それでは他との整合性がとれないのだ。定着している「補間」を「内挿」に改めるのなら構わないが,本当に困った人がいるものである。翻訳は「横の文章を縦にする」というわけにはいかないのである。

 閑話休題。

この冷泉氏のコラムはおもしろかった。

基本としては、漢語にしても、カタカナ言葉にしても、「1つの概念語で伝えたような気になってしまう」ことの危険性を理解して、複雑な概念に関するコミュニケーションはできるだけ「言い換えによる念押し」など「フルセンテンスでの確認」を取ることが必要だと思います。


付け加えることはない。さすが,外国語で日常暮らし,仕事しているだけのことはある。



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先輩面してみようか(笑) [英語を勉強する?]

こんな文章を読んだ。

河合薫
「英語が話せなきゃ…」 子供を不幸にするオトナの無責任な英語至上主義 ~私が米国で体験した“グローバル人材”になるために本当に必要なもの
日経ビジネスオンライン 2012年7月17日(火)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20120713/234462/

みんな考えることは一緒なんだなと思った。

一番最初に思ったこと。河合氏は指摘する。
小学校まで「楽しかった」英語が中学で嫌いになる


小学校で導入された段階ではみんな英語は好きだ。しかし中学に入って少しすると相当多くが嫌いになる。

そうだ。それはすでに算数・数学において顕著だ。小学校1年では算数は人気科目だ(った。最近は違うという話もある。それについてはまたどこかで述べたい)。しかし中学3年で数学が好きだという人の割合はどうか。

その点で反省しなくてはならないのは教育する側である。その点でこっちが先輩だ。(何の意味もない。自戒のみ。)

さて、河合氏が指摘する「この小学校まで「楽しかった」英語が嫌いになる理由」の前段の部分は、昔、当ブログで紹介した内田樹氏のこの記事などで述べられていることと同じである。それを感じて嫌になってしまうというのはわかる。

同じようなことを数学において感じていることについては、たとえば拙稿「日本人は数学好き?」などあちこちに述べている。

また別の拙稿「数学嫌い、それで良いのか」(「発達」129、ミネルヴァ書房)にも関連することを書いた。

さて、河合氏の話の後段についても、全く同感である。曰く、「最も重要なのは伝える“中身」だという。

私も大昔、拙稿「歴史を勉強しよう」 「地理を勉強しよう」 などで述べている通りだ。昔から本当の「国際派」は自国のことにも詳しい。単に少し英語が出来るだけの「上辺の国際派」は役に立たない。

尻馬に乗って、自稿を宣伝してるだけか(汗)



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ほらね [英語を勉強する?]

心ある,ちゃんと物がわかっている人は必ずこういうことになる。

日経ビジネスオンライン 2011年10月12日(水) 子供に外国語を学ばせないススメ   「切れぬ包丁」は何本持ってももどかしい  福島 香織
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20111011/223122/

早くこの考え方が世間の潮流になって欲しい。
どこでもいいから,その人の第1言語で考える能力を上げないと,どれだけ外国語を勉強してもダメだ。

特に「グローバルスタンダード」コンプレックスの日本人が
これからは英語ぐらい使えなきゃと言って,幼い子どもに一生懸命英語を学ばせる。小学校から英語の授業をしろなどという話になる。

しかしそれを一生懸命言う人は自分自身が例えば英語が使えるのだろうか。
自分が英語で苦労したから子どもには使えるようにしてやりたい。

その親心はわかる。それ自体は良い。しかしその方法として,それで金儲けをしようとしている人たちの口車に乗って右往左往している人たち。

大切なのは第1言語で深く考える力だ。それが身についていないと,いくらやってもダメ。

昔,この本を読んだことを思い出した。

英語を子どもに教えるな (中公新書ラクレ)

英語を子どもに教えるな (中公新書ラクレ)

  • 作者: 市川 力
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2004/02
  • メディア: 新書



この本ではさらに詳しく,著者が在米中に出会った,日本語も半端,英語も半端な多くの駐在員子女について書かれている。

昔からわかっている人はわかっているのだ。

ちなみに私は,「出来る」なんて決して言わないが,一応英語でも講義をしている



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やってみるもんだ [英語を勉強する?]

この後期は,1年生の解析概論を担当である。

前期は極限の議論と実数論。それに続いて今期は1変数関数の連続性,可微分性,リーマン積分。
出来れば広義積分と級数論。

理学部数学科の発想からすると,何をもたもたやっているのかと思うかも知れないが,高校で「文系」だった学生が頑張って食いついてくるのだから,これぐらいゆっくりやる必要がある。

だがそれだけはつまらない気がしてきた。
最近は高校で理数系の科目を中心に英語で講義してみようというのもあるそうだ。

よしよし。こっちも英語で講義してみようか。
学生が「なぜ大学の微積分が出来ないか」と言えば,ε-δ論法の難しさである。それを克服する一つの方法として,全て英語で考えることが有効なので,それも動機の一つである。

今期初回の講義は,全く前触れもなく,誰にも言わずにいきなり英語で講義を始めた。初回はCantor の対角線論法を用いた実数の非可算性の証明。

さすがに驚いた風の学生たちだったが,こちらも当然気をつけるべき点は気をつけている。それは

1.導入については,小学校算数科の授業のように,例や易しい議論を用いて,学生の知っている話から始める。

2.術語に関してはきちんと板書する。単に綴りを書くだけでなく,知っているであろう例などを挙げ,その概念を説明する。ただし対応する訳語は言わない

3.重要なポイントは丁寧に板書する。たとえば背理法を使うときには背理法の仮定は「仮定法」で書くべきであるが,そこで用いる助動詞は必ず大文字で書き,論理展開のポイントを明示する。

学生から直接的な感想は聞けていないが,ずいぶん頑張ってついてきていた。

よしよし。それでいけ,学生たち。こっちだって楽じゃないが頑張る。

色々心配したが,まずはやってみるもんだ。この先は決して安穏とは出来ないが。

英語を話すのは怖くないよ [英語を勉強する?]

このところこのブログを書く余裕がなくて,久々である。

朝日新聞(大阪本社版)10/20 オピニオン(インタビュー)
鳥飼玖美子 「訳読vs会話」論争をやめ 日本人に合う教育を

を読んだ。今は立教大学教授である鳥飼氏が同時通訳者としてテレビなどで活躍しておられたのを知るのは私より上の世代だろうと思う。ここ数年,いくつか意見を見るのだが,的を射ていて納得することが多い。

特に今日の記事は「グローバル化時代における英語のありかた」についてである。

ずいぶん前に,テレビの朝の番組で人気者だったA.ウィッキー氏が言っていたことを思い出す。

日本では「付加疑問」なんてのを教えるけれど,マレーシアでは肯定文の後ろに「ラ」と付けると付加疑問になる

(記憶があやしい部分もあるが)

日本語でも「ネ」をつけたら付加疑問かもしれない。そんな「マレー英語」だっていいんですよ,通じるように使いましょう,というのがその主旨であったようにおもう。

鳥飼氏も同じようなことを言っている。

英国や米国で話されるのが本物だとしても,グローバル共通語としての英語はそれに固執することはない。大事なのは世界中で通じるもの。米英の文化などと全く切り離すことはできないにせよ,米英のみで通じるような表現は必要ない。少なくとも義務教育・公教育で教える英語は国際共通語としての英語であるべき。もちろん細かいことを気にする必要はない

と。さらにこうも言いきる。
英語か英語でないかを母語話者が選ぶ時代なんて、そんな時代は過ぎました。自分たちをスタンダードにしろと言ったら、それは少数派の身勝手です。英語は申し訳ないけれど米英人たちの固有財産ではなくなったんです。彼らにとっては変な英語がまかり通って不快でしょう。kれど、私たちだって苦労して勉強しているんです。彼らにも歩み寄ってもらわなければ。共通語なんですから。


英語ネイティブという人たちは4億人程度。そのほかの英語を使う人たちは十数億人。それなら多数に従うべきだという氏の主張は明快だ。

英語(米語)が共通語だとしても,彼らの感覚が世界の標準ではないということについてはすでに述べた。言語による支配が文化的な支配になることは不快道具として使おうと

最後のしめがすごい。

・・・自分らしさを出したり、自分の文化を引きずったりしてもいいということです。「アメリカ人はそうは言わない」と言われたら,「アメリカでは言わないでしょうが日本では言うんですよ」と・・・


日本人はこういうところで自分らしさを出せない。合っているか間違っているかの判断しかない。
いいじゃないか間違っても通じれば。言葉だけじゃないよ大切なのは。

だから前にも書いたが,あるシンポジウムの案内を見てうれしかったことを再度書く。

公用語はBroken English です。ただし Queen's English




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えい,やっ! [英語を勉強する?]

河合 江理子:「正しい英語」と「使える英語」は何が違う?--英語が公用語になっている組織で働いた実感 日経ビジネスオンライン「英語の公用語化って何?」2010年9月14日(火)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100906/216126/

を読む。そうそうこれこれ。

ずっと,英語を学ぶ/使うことについて書いてきた。自分自身,学生時代決して英語が良くできたわけではない。むしろ劣等生だったかもしれない。だが色々な経験を積む中で,相変わらず言葉は知らないが,少なくとも英語で話すことだけは怖くなくなった

だが学生たちを見ていても,とにかく忌避する。英語で話してみればいいのにそれを忌避する。
やってみなくては何も出来ないのに。

今朝,通勤途上の車内のラジオから,語学練習教材のコマーシャルが聞こえてきた。毎日少しずつでも聴けば耳が「英語耳」になるという触れ込みだ。有名プロゴルファーも愛用とか。もちろんそういう練習もした方が良いのだが,それでもあるとき「えい、やっ!」としゃべってみる必要があることには変わりない。

ネイティブとどうのこうのというのももちろん必要なのだが,むしろ非英語圏の人の方が人口としては遙かに多いのだから,非英語圏出身者同士でも使えるコミュニケーション手段だと割り切って,というのがこの河合氏の主張の中で特に見るべき部分だと思う。私自身もこうして英語でのコミュニケーションが好きになった。そのうちに英語人的な考え方も身についてきて,前よりもさらに「性格がきつい」と言われるようにはなったが。
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