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ヴェルディ「リゴレット」(Narodni Divadlo) [2000音楽三昧 in Praha]

ヴェルディ「リゴレット」(2000年10月16日(月)Narodni Divadlo)


 8月末に国立オペラでリゴレットをみた.そのときのことを思い出すと,どうもこのオペラは好きになれない.だが,違う演出だとどうなるか,と思って見に行ったのであった.

 今回このリゴレットをみて,また同じ Narodni Divadlo が興行している Stavovke Divadlo の「ドン・ジョヴァンニ」 と夏のシリーズの「ドン・ジョヴァンニ」(感じとしては,Statni Opera 系か?)を比べてみて,重要なことがわかった気がした.それは,Statni Opera (の演出家は,と言うべきか)はどちらかというと伝統的な Opera のスタイルを踏襲して作ろうとしているのではないか.それに対して,Narodni Divadlo は現代的な「演劇」のスタイルでオペラを作っていこうとしているのではないか.

 実際,この「リゴレット」は細部まで丁寧に描いてある.リゴレットが「オレはこんな者で」と自分の運命を嘆く1幕,その娘ジルダを貴族たちが誘拐してマントバーニ公爵に捧げてしまうシーン,モンテローネ侯爵は2幕の終わりで処刑シーンまである.確かに筋書きなどはStatoni で見たときは直前までしっかり勉強していったが,そうした細部の展開はよくわからなかった.何となくぼんやりした描き方.でも歌で魅せる.筋書きは皆さんご存じの通りですよ,そんな感じだった.それに対して今回は,うろ覚えだがまあ知っているからいいと,何もせずに行ったのだが,詳細にわたって筋書きが見えるような舞台である.オペラ界にどっぷり浸かっての演出でなく,この Narodni Divadlo の一つの柱・現代演劇の影響を強く受けているように感じた.

 最初,ステージには中年と思しき男性と,その娘と思しき小さい女の子がでてくる.女の子は舞台の回転木馬でお父さんと遊んでいる.そうしてこのオペラが始まり,回転木馬はそのままステージ(回り舞台になっている)にある.進行中も時々これが使われる.ネタをバラすことになるので詳しくは書かないが,父と娘,を役の外のこの2人が象徴的に演じる.前にこの Narodni で「カルメン」「トスカ」を見たときにも思ったのだが,こうした心理面の描写のために手をかけている.逆に言えばそれだけ直接的に見せてくれるわけで,伝統的なオペラになれた人にはマンガのようだ,と嫌われるかも知れないのだが,今時の人間には合っていると思う.

 「ドン・ジョヴァンニ」も私自身は6月プルミエの版が面白かったのだが,先日Stavoskeに見に行った愚妻はあれでは面白くない,もっと「側」で見せる演出でないと,という.おそらくオペラ通の人=従来型の演出になれている人=はそうした伝統的なものが良いというのであろう.これはもちろん賛否が分かれるところである.関係ないが,近日Stavoske で「魔笛」を見る予定であり,Statni Opera で「カルメン」「魔笛」をやっているので,時間があったらすべて観て比べたいと思う.

 この日の演奏は,歌手陣は総じてハイレベルの粒ぞろいであった.ジルダ役の人は歌は良いが・・・と思ったので,名前を挙げることは差し控えよう.それよりすごかったのは,オケと Oliver Dohnanyi の指揮である.この人は前に Narodni の音楽監督をしていたようだが,すごい人だ.たまたまこの日は気まぐれでサイドのバルコニーボックスから観ていたので,指揮ぶりがよく見えたが,完璧だ.そしてオケのドライブも.指揮に余裕があるのでオケが演奏しやすそうだった.また特に木管陣の演奏が素晴らしい.ヴェルディは甘い愛のメロディにクラリネットを好んで使うが,その部分は各所で本当に感動した.これまで聞いたOperaのなかでは,J.コウト指揮の「トリスタン」と共に,私の心に残る演奏であった.最後に「殺し屋」役の人がカーテンコールでオケピットに拍手していたのだが,本当にその通りだと思った.

 

チャイコフスキー バレエ「白鳥の湖」 (Statni Opera) [2000音楽三昧 in Praha]

チャイコフスキー バレエ「白鳥の湖」 (2000年10月15日(日)プラハ国民劇場バレエ団 in 国立オペラ)

 この国立オペラ劇場は,国立博物館 Narodni Museum とプラハ中央駅 Hlavini Nadrazi の中間にある.どこかに書いたが,有名な国民劇場 Narodni divadlo が(一度,落成直前に放火?によって焼失したにもかかわらず再度建てられ)隆盛を極めているのに対抗して,当時のこの国の支配階級であったドイツ人たちが建てた劇場である.昔から数々の歴史に名を残す音楽家がここの音楽監督をしていたこともあり,有名な劇場である.最初はそうして対抗していたこの劇場と Narodni divadloであるが,今はそういうことはない.Narodni がチェコ物に力点を置き,また演劇なども上演しているのに対し,この国立オペラは原則としてオペラ専門,さらに世界中の作品を取り上げ,また新作なども積極的に上演しているところが違う.

 そのなかで,Narodni のバレエ団は,世界でも屈指の歌劇場バレエ団であると思う.特に昨年運良くプルミエを見ることができた,スメタナ「売られた花嫁」などは,もう世界の他のところでは絶対に演じることが出来ないのではないかと思うほど,バレエの実力を見せつけてくれる.そんなバレエ団であるが,国民劇場はもう一杯のようで,毎月3回,国立オペラのステージを使ってバレエだけの公演もしている.毎月演目が変わるようで,今月はこの「白鳥の湖」,来月は「眠れる森の美女」である.

 考えようによっては,こうした本番を重ねることによってその実力を維持しているのかもしれないのだが,実際見てみると何とも豪華である.役を取って演じている人たちももちろんなのだが,まず一番に驚いたのは,この作品で言うところのたくさんの白鳥たち.2幕で有名な「4羽の白鳥」の踊り,その次に出てくる「3羽の白鳥」の7人の他に,その他大勢の白鳥が6×3=18羽.それが役のある人たちの他にいて,その演技が誠に見事なのである.さらに驚くのはこれが96年プルミエで,そのあとレッスンはあるだろうが基本的にはそのまま5年目のシーズンを迎えたということである.もちろんその間に人の出入りもあるだろうし,そう思うとこの舞台に上がっている人の2倍はキャストがいるということだ.女性ダンサーだけではない.男性のダンサーもしかりである.

 こうした「団としての実力」をまざまざと見せつけながらのこの日の公演は,オデット・オディリエ役の人が,本当に同じ人であったかと思うほど,3幕のオディリエのところでは疲れて冴えない感じだったのだが,それを除くと正に素晴らしいものであった.1~3幕の道化,もちろん王子様,赤毛の魔法使い,どれも圧倒された.そのほかに素晴らしいと思ったのは,4羽の白鳥.これはスタンダードな役回りだが,これまで見たどれよりも動きが細かく,また完璧であった.その直後の3羽のうちの1人は,どうも別格に踊りが大きく,なぜなんだろうと思った.最後に特に花束贈呈があったから,まさかこれで引退?ちょっと出るべき場所が違ってたと思うほど,素晴らしかった.それから,出番としては大きくなかったのかも知れないが,3幕の舞踏会でパ・ドゥ・ドゥーで出てきた女性,黒髪の一見アジア系かも?と思うようなダンサーは,役は無いのかも知れないのだが,短い出番でありながら出てきた瞬間から歩き方からして素晴らしかった.専門用語を知らないが,左足つま先立ちで右足をふりながら20歩あまり,さすがにブラボーまでは出なかったが,完璧で美しかった.

 メインのダンサーが素晴らしいことはわかる.だが役名が付かないようなダンサーにこうした名演が見られるのが,さすがの底力だとおもった.これは歌劇場における合唱団などにも言えることである.

 最後になった.演奏は,「国民劇場バレエ・オーケストラ」と訳の分からないことを書いてあった.おそらく国民劇場のオケのメンバーが主になっているんだろうが,家主の国立オペラとの関係や,トラをどう扱うかなどで違った名前にしたんだろう.先日同じ出し物を妻が見に行ったときには,コンマスがへろへろだったそうだが,今日は美しかった.やったことがあるから楽しみに聞いたのだが,Trbは柔らかくて美しいが,やはり私の好きな音ではない.それからちょっとチューバ,そりゃあいくら何でも吹きすぎだぜ.

W.マルサリス作曲「All Rise」 (欧州初演) [2000音楽三昧 in Praha]

W.マルサリス作曲「All Rise」 (欧州初演)を見てきた。

V.Valek&チェコ・フィル,W.マルサリス&Lincoln Center Jazz Orch,Morgan State U. Chor,(2000.10.6 in ルドルフィヌム・ドヴォルザークホール)

 私の感想記シリーズで,他の催しは,奏者と場所,曲目はおまけ,という表示をした.しかしこれはそういうことができない.何しろ全部書いたら長い.普通はそれでも○○他としてごまかすのだが,実際に聞いて見たらそういうことが不可能であることがわかったからなのである.

 ウィントン・マルサリスはJazzトランペットの大スターである.今回プログラムを見て,1961年生まれだと見て驚いたのだが.彼はジャズはもちろんすごいのだが,それ以外にクラシックの曲のレコーディングをたくさんしている.確かに上手い.ラッパのサウンドがクラシックだというには少し流麗すぎる気がするし,節回しの端々にコマーシャルミュージックの匂いがするが,普段の土壌がでるから仕方がないとしよう.今回初めて知ったのだが,彼は音楽学校の先生であった父親から専門的な教育を受けているそうだ.道理でクラシックの素養が深いわけだ.数年前にNHKでやっていた,小沢征爾とのジョイントで作った番組などは,彼の素養の深さと音楽の豊かさを知るいい機会であった.今回は彼の新作をやるというので,チェコ・フィルのチケットとしては破格の1枚1400Kcも出して,聴きに行ったのであった.

 演奏者について述べよう.指揮はチェコ・フィルの終身指揮者の Vaclav Valek さんである.実はチェコ・フィルの生演奏を聴くのは初めてなのだが,そのことについてはまた後で述べる.言うまでもなく,世界最高峰の指揮者・オーケストラの組み合わせである.Lincoln Center は,NYフィルやメトロポリタン歌劇場がある,NYの1つの「地区」というべきだろう.Lincoln Center Jazz Orchestra は「そこの Resident Orch として一番若い」と表されていたが,そこを本拠にするジャズオーケストラであり,W.マルサリスはその「音楽監督」のような立場である.普通のビッグバンド,Sax 5,Tb 3, Tp 4, Pf, Dr, Bass という編成である.本番が始まる前にステージで音出しをしているのを聞いたが,みんな柔らかくてよく通る音である.Morgan State Univ. Chor は文字通り大学の合唱団としかわからないが,驚いたのは,ステージの後ろ,客席としても使うことができるであろう2階部分に入場してきた彼らのすべてが黒人系の人々であった.プログラムに依れば「復活」とか「第九」なんてのもちろんレパートリーに入っているが広いジャンルに・・・とある.総計100人ぐらいの混声4部合唱である.

 曲の構成について述べよう.全部で12曲の構成になっている.4曲ずつまとまっていて,3つの部分の間には休憩を入れる.ちょうどブルースが4小節ずつ3つの楽節から構成されているのと同じだ,そうだ.8時から始まったコンサートは11時に終演となったから,長いことは確かである.私の貧しい音楽の知識では残念ながらこの曲に類するものはない.曲のボリュームとしては,中ぐらいの交響曲を3曲である.それぞれに起承転結とは言わないがそれぞれの部分に流れがあり,4曲ごとに満足感が得られ,3部の最後にそれが統合されるというものである.テキストとしては,マーラーの「復活」とバッハのロ短調ミサ曲を融合させ,それをジャズ&ゴスペル&黒人霊歌で支えたようなもの,とでも言ってみようか.しかしこうした表現は作曲者に対して全く失礼であると思う.それほどスケールの大きな構成であった.

 サウンド構成と演奏について思ったこと,印象を述べよう.W.マルサリス作曲,というとどういう印象を人々が持つのか知らないが,クラシック・オケのサウンドはプロコフィエフ風あり,バッハのフーガ風あり,J.ウィリアムズの映画音楽風あり,という融合した感じのサウンドである.ジャズバンドは普通のサウンド.しかし耳障りな感じが少なく,どちらかというと柔らかいサウンドでばっちりスイングし,その中に時々「バリッ」と雑音を「混ぜている」ようなサウンドである.片方はマルサリスが譜面に書いたこと,もう片方は彼が作り上げたサウンドである.合唱団は,私は合唱界には詳しくないが,よく聞くような9thコード系のサウンドが多用されている.黒人霊歌・ブルース・ジャズ,そしてそれらの融合であるところのゴスペルが基本.黒人系であることもあってこの合唱団のサウンド作りはめちゃくちゃ上手いのだが,そうでないクラシック風の合唱も,またそれらのつなぎ方も,譜面,演奏共に素晴らしいものであった.そしてこれらがあるときは全く別々に,またある時は一緒に,またあるときは部分的に融合して色々なサウンドを織りなしていた.だから,「Valek&チェコフィル」「マルサリスと彼のバンド」「合唱団」のどれもが必要不可欠であったしどれもが主役であった.

 曲の歴史と背景について.曲の歴史を書くのは簡単である.1999年末,NYにて初演,今回プラハでヨーロッパ初演.プログラムを見ると,元々は,NYフィルの音楽監督として手腕をふるってきたK.マズアがマルサリスに会ったときに書くことを勧めた,とある.マルサリス自身は述べている.

「20世紀はCommunication の世紀だった.21世紀は Integration の世紀になるであろう」

いくら私の専門だからといって,Integration を「積分」などと言ってはいけません(笑).日本語で近い概念としては融合,というようなことでしょう.そこから納得できることであるが,何曲か,ジャズバンドメンバーが打楽器を持って,日本の太鼓のようなリズムを刻んでいた.もちろんその中からアフリカのような要素も聞こえるし,プログラムに依ればオーストラリアの要素なども取り入れているそうである.初演はK.マズア指揮NYフィルと,あとは同じメンバー.実際,マルサリス自身がたくさんのアドリブソロをとっており,なかなかその代わりを取れる人はいない.しかしモーツァルトの作品だって生前はそういわれていたはずだから,何らかの形で今後も演奏はされるだろうし,そうあって欲しいのだが.

 曲のテキストについては今ここで述べることはしない.コンサートのプログラム(パンフレット)に書いてあることを翻訳すればいいのだが,その余裕はないし,私の浅い理解での翻訳は原作の良さを損ねる可能性があるので控えたい.だが,黒人霊歌・ブルースの根底に流れているもの--黒人たちの背負ってきた悲しく辛い歴史,そして直面する現実,そこからはい上がりたい,幸福を求める,そして全世界にそれを広めたい,そういう彼らの気持ちが熱く燃えたぎるような曲であったと思う.

 全体のエンディングはジャズバンド(New Orlians Marching band)とコーラス(Gospel)だけである.とても難しいシンコペーションをピッタリ合わせるためもあってそれまで譜面を見ていた合唱団が,突然全員譜面を閉じた.そして彼らの心の音楽,ゴスペルを歌い出した.もちろん全員の体がスウィングしている.はっきり聞き取れないが,歌詞がそういう内容なんだろう,同じところで全員が自然に手が動く.一般に100人の合唱団が大きいとは必ずしも言えないのだが,その熱い響きはホールの全員を魅了した.もちろんその部分では「完全な休符」であった V.Valek やオケのメンバーまでも.それがこの曲の題「All Rise」であると思う.

 アンコールはもちろん最後の曲 I am (Don't you run from me) である.アンコールではW.マルサリスがまずソロをとり,リズム隊(ピアノ,ベース,ドラム)がつける普通のカルテットで始まった.そしてTrb,バリサク,ピアノと移り,続いてそのソリストと同等に,そしてもっとも強烈に印象深いソロ(と言いたい)をとったのが合唱であった.そしてまたマルサリス,そして・・・

 お客さんの反応は,最初はみんな肩肘張って聞いていたようだった.そして反応の仕方もよくわかっていないようだった.時々,「100%ジャズバンド」が入るのだが,例えばウィントンがソロをとっていても,みんな硬くなっている.ついつい足で拍子をとったら,隣のおっさんににらまれた.おいおいそういう曲じゃないぞ,ここは.だが逆に,普通のジャズよろしく,ソロに対して演奏中でもどんどん拍手を入れてしまうのは,この曲の場合だけは演奏を壊していた.それはだめよーん.でもそれをリードしていたとおぼしき人も,演奏の後半ではそれをやめていたようだった.一方で,「合唱団が」ノリノリのジャズに盛り上がっていて,お客さんはそれにリードされているようだった.いくらヨーロッパ屈指のジャズの街プラハでも,ドヴォルザーク・ホールに来るような人はあんまりジャズを知らないんだろうか.しかし曲が曲だけに,明るく舞い上がって終わるのがそのテキストであるだけに,最後はみんなになじんでいたようだった.

 ジャズの業界の連中に言わせると,お前は本物じゃない,という人もいるのだが,私はジャズもクラシックも両方をやっていて,どちらにも興味があるので,素晴らしいものを見せてもらったという気がした.W.マルサリスは音楽史に名を残す人なのかも知れないと思った.奇しくも,私のラッパの師匠が言っていた言葉を思い出した.「20世紀は指揮者の世紀だった.だが21世紀は奏者(楽器奏者や歌手)の世紀ではないか」.

おまけ・初チェコ・フィル

 チェコ・フィルを生で聴いたのは初めて.すごいオケだとは思っていたが,その実は.

 曲がすごかったので何とも言えない部分があるのだが,確かにすごいオケだ.特に弦,ホルンセクションは惚れる人がいるのがわかる.他のセクションも素晴らしい.来週は「普通の」プログラムに行くので楽しみだ.だが1つはっきりわかったことは,ここのTrbは私の本当の好みのサウンドではないということだった.

 こんなもんじゃこの日の興奮は書ききれない.だが書き換えをしてみようと思っても,その日の興奮は思い出すものの,詳細はもう思い出すことが出来ない.どこかでCDで発売されないだろうか.(2000.12.19)

ヴェルディ「アイーダ」(Statni Opera) [2000音楽三昧 in Praha]

ヴェルディ「アイーダ」を見てきた。(2000年9月2日(土)Statni Opera)


 せっかく「ヴェルディ・フェスティヴァル」をやっているのだから,もう少し観てみよう,特にアイーダは観るチャンスが少ないかも知れないし.そんなことでこれを見に行った.

 やっぱり観光客だらけだ.もっともこっちだって綿パン・カラーシャツ・ウェストポーチ・サンダルだから格好は悪いのだが,そうした格好の連中の中に,開演中であるにも関わらずストロボをつけて写真をバチバチ撮るヤツがいたのだった.さすがに2幕が終わった休憩中に誰かが注意したか,プログラムを買って「禁止です」という表示を見たのか,それともヴィジュアル的に見所が少ないからやめたのか,後半はそんなヤツはいなかったのだが,前半はそうした奴らが少なくとも劇場全体で4人はいた.こっちも服装は悪いからそれを不快に思う人はいるかも知れないが,少なくとも人の邪魔はしていない.だがあいつらは他の人が見るのを邪魔しているし,場合によっては上演そのものに支障を来すことだってある.全くあきれてしまった.

 演奏に関してはおもしろかった.このまえのリゴレットと同様に,オケはすばらしい.歌は,最初はアイーダの P.de Vaughn という肌の黒い人の声がこもって聞こえて,あまり気に入らなかったのだが,最後の愛の2重唱の pp の美しさは本当に出色だった.エジプト王女の G.Ibragimova は最初から冴えていたとおもう.男性陣もおおむね「コマを揃えたな」という感じであった.

 このオペラにはソリストだけでなくたくさんの見所がある.1幕から2幕の合唱はその一つである.モーツァルトのオペラのように通奏低音がはいるわけではないからそうなるのだが,寺院の場の男声合唱アカペラは美しかったのだが音程が下がってしまって,ここぐらいでもそうか,難しいなと思ってしまった.その次の女声合唱はこんな迫力のある女声合唱があるのか!と思うほどすばらしいものであった.

 そして何といっても有名なのは凱旋の場であろう.アイーダ・トランペット(ファンファーレ・トランペット)による生演奏をカラヤンが完璧にやらせたことが歴史に残る快挙であるといわれている.まあ仕方あるまい.いかにあの楽器が難しいかはラッパ吹きならみんな知っていることだ.でも合唱の迫力,ステージを大きく使った演出,それらに張り合うソリストたちの競演は大変心に残った.他を見るチャンスがなかなかないので比較ができないのだが,いいものを見たという気はした.

ヴェルディ「リゴレット」(Statni Opera) [2000音楽三昧 in Praha]

ヴェルディ「リゴレット」(2000年8月30日(水)Statni Opera)


 毎年8月末にこの国立オペラでは「ヴェルディ・フェスティヴァル」をやっているようである.2週間あまりに渡って,ヴェルディ一色である.劇場にはチェコの国旗とイタリア国旗が並んで掲げられている.そんな中,これを見に行った.

 演奏に関しては,リゴレットの J.Strauch (バスバリトン)がすごかったとおもう.余裕ある歌いっぷりで,大いに楽しませてくれた.そんなに年齢は行っていないのだろうが,風格を感じた.またオケが前に聞いていたこの国立オペラのそれとは大違いだ.夏休みにリフレッシュして,気合いが入り直したのだろうか.

 どうもこのリゴレットは筋書きが好きになれず,演奏が良くても何か後味が悪い.何でリゴレットが(神の)罰を受けることになるのか.そうしたところがこのオペラの深さだ,という意見をどこかで観たが,このところモーツァルトのチャラけた筋書き(娯楽系)のオペラを見つけているこちらとしては,そういう難しい話はどうも苦手になってしまったようだ.

モーツアルト「皇帝ティトの慈悲」(Stavovske Divadlo) [2000音楽三昧 in Praha]

モーツアルト「皇帝ティトの慈悲」(2000年8月29日(火)Stavovske Divadlo)


 夏の間に,おそらく観光客向けだと思うのだが,ここエステート劇場でシーズンとは別のシリーズで「ドン・ジョヴァンニ」をやっている.1ヶ月以上毎日行われるロングランだ.ほぼ1ヶ月前にそのシリーズの「ドン・ジョヴァンニ」をみた.そしてそのときに何か別のオペラを8月末に4日間だけやるというのをみていた.どんな演目高よく知らないままに見に行ったのがこの「皇帝ティトの慈悲」であった.

 筋書きをよく知らないで見に行ったのだが,結局は皇帝の慈悲によってとらわれの身になっている恋人に会うことができた,という程度の話だろう.単純な舞台装置だったが,演出と相まって,だいたいそのくらいのことはわかった.

 全体に言えば,とても良い演奏だったと思う.少なくとも歌に「へこんだ」ところは全くない.オケもすばらしいサウンドだった.だが細かいコメントをすることはできないなぜなら・・・

 

 この日はギャラリー席だった.4,5人のバルコニーに区切られたところではなく,一番上の方の椅子がずらりと並んだ席だった.ギリギリに行ったので自分の席にはたどり着けず,1幕は仕方なく端の方に座って観た.後ろでも真ん中の見やすい席を高い金を払って取っていたので,休憩後にそこに行ったのだが,全く辟易した.その当たりは何だか若者の集団に占領されている.こっちはちゃんと席を取っているのだ,と主張してそいつらを退かせたのだが,まわりはそいつらに囲まれた.これがうるさい.べちゃべちゃしゃべっている.どうやらドイツ語のようだ.ガキども,黙れ.思わず何度も言ったし,隣の10歳ぐらいの坊主が前の手すりにもたれかかってこっちの視界を遮るので,押しのけたり.そんなことをしているうちにどうも観る気がなくなってしまった.

 私の席は, 舞台から遠い席で日本円にしたら2000円弱の席なのだが,あのガキどもは一体何だったのだろうか.主催者に近い人があまっているチケットを大量に安く手に入れて,「子供の音楽教室」用にでもしたのだろうか.普通のシーズン中はこんなにひどいヤツはいなかったのだが,そんなおかげでゆっくり観ることができなかった.演奏が良かったようなので残念であった.この時期はやはり観光客向けで,ダメなのだろうか. 頭に来たので,座席係の案内のおばさんが英語ができるので,くってかかった.だがもちろん何の意味もない・・・

モーツアルト「ドン・ジョヴァンニ」(Stavovske Divadlo)伝統的 [2000音楽三昧 in Praha]

モーツアルト「ドン・ジョヴァンニ」(2000年7月26日(金)Stavovske Divadlo)

 ほぼ1ヶ月前にここでこの劇場の新作の「ドン・ジョヴァンニ」をみた.しかし今日はその感想で書いたようにもう一度同じものを見ようと思ってきたわけではない.どちらかといいえ場もう少し不純な動機でこれを見ようと思い立ったのである.
 ソプラノ歌手・慶児道代(けいこみちよ)さんは倉敷出身でここプラハを中心に活躍しておられる.岡大で私がお世話になっている,ピアニスト・長岡 功 助教授からも,また倉管の仲間からも是非連絡してみなさいと言われていたのだが,こちらに来てからなかなか連絡を取ることが出来なかった.たまたまこの日夕方,全く違う事情でこの劇場の近くを通り,そのときに彼女の名前を「本日の出演者リスト」に見つけて,いいチャンスだから見てみようということにしたのである.
 先月見たのはこの劇場(国民劇場主催)の公演.今回は,The Original Prague Mozart Companly という集団の公演である.別団体とはいっても,今のこの集団の首謀者には国立オペラの頭のメンバーの名前があったりするから,いかがわしい団体ではない.夏の,人々がバカンスに出かけて国民劇場や国立オペラが休みの間に大きな出し物をやって,逆にバカンスでやってくる観光客にこの街を楽しんでもらおう,同時に金儲けもしようということであるから,至極自然な話であっていい話だと思う.おかしいとは決して思わない.この集団は団として15年ほどの歴史を持つそうである.4月に見た「モーツァルトオーケストラ」もこの集団の企画だろうと思う.どちらにせよ,先月のものとは全く別のものである.

 このDGは一昨年プルミエだったそうだ.そんな理由から,毎年夏,国民劇場自体がOFFのときにここでやっているようで,今年も15日から8月26日までの連続公演である.今日の演出は,この前のモダンスタイルとは違ってどちらかというとオーソドックス.後で慶児さんに聞いたところでは,「プラハ版」といわれるカットが施してあって,「この版なら大きなアリアが1つカットされているから,エルヴィラも大した役ではないのよ」と言っていたのだが・・・

 公演直前に電話を入れてチケットを手配してもらったからではなく,非常に厳しく冷静に見て,1幕の慶児さんのエルヴィラは,ぶっちぎりだった.ずいぶん前の方で聞かせて・見せてもらったのだが,他の人は後半に余力を残すためかどうか,ウォームアップをしっかりしないできて,曇った声.ところが,ヨーロッパ人の中に入り込んだら幾分細めのタイプの声ではあるのだが,彼女の歌はぐっと心に入ってくる.しかも音飛びが多く難しそうなパッセージだが,難なくきれいに歌う.前半にそうした難しいアリアがあるから最初から飛ばしていたのだろう,ということはわかる.私は彼女の歌は好き.何が好きかというと,声がきれいなだけでなく,彼女の歌は子音がきちんと聞こえることだ.だから(イタリア語がわからないから意味はないのだが)彼女の歌詞は聴き取れる.それに比べて他の歌手で,少なくとも1幕の間に私の気に入ったそういうレベルで歌えていた人は見あたらなかった.

 2幕は慶児さんの出番は少なく,他の歌手たちがペースを上げてきた.しかし,彼女の歌に匹敵する人は,残り7人の登場人物中2人しかいなかったと思う.ツェルリーナの M.Bauerova, ドンナ・アンナのS.Magaro の2人である.誰を気に入らなかったかはここには書くまい.

 演出は普通の感じ.最後は墓場のシーンから幽霊が出てきて,それが最後の「パーティ」になってしまい,最後にDGを連れて行ってしまうという進行.だから「パーティに招待」ではないのだがこれはこれでもおもしろい.慶児さんと話をしていたら,このまえのモダンスタイルの演出は,DGが暗い人柄になっていたけど,もっと明るい方がいい,と言っていた.確かにこの日のDGと比べるとこのまえのは暗かった.少し昔のヨーロッパ的な背景をわかっている人にとっては,今日のDGの方がなじめただろう.だが,今の世の中,特に日本やアメリカなど,暗い世相の中に生きている人にとっては,こうした「悪いヤツだが,かっこいい」みたいなあっけらかんととしたものは空々しくて付いていけないのかもしれない.その辺は好みの問題だ.衣装などが伝統的なものからずいぶん逸脱しているという話だったが,それでも古典を踏まえたもので,奇異な感じはしない.

 指揮者は(しまった,名前を控えてくるのを忘れた!)若くてかわいい感じの人だったが,着実な指揮振りはとてもいいと思った.後で聞いて見ると「第2」指揮者なのだが評判はいいそうだ.

 慶児さんから,プラハの音楽界のこと,オペラ制作の裏側のことなど少し聴かせてもらう時間がすこしだけあったのだが,それは私一人の糧にすることにして皆さんには教えてあげません.はっきりいって,もっと色々教えて欲しかったので,そういう話が聞けたらまた改めて.

 今日もはっきり言えることがあります.とってもおもしろかった.見に来て良かった.そしてオペラなんて(見る側からすれば)おもしろけりゃあいいんだということです.


Mozart 歌劇「Don Giovanni」 2000年6月プルミエ版について [2000音楽三昧 in Praha]

Mozart 歌劇「Don Giovanni」

プラハ・エステート劇場(Stavovske Divadlo)2000年6月プルミエ版について


 この新演出について,「奇をてらったもの」という評もあるかも知れないが,私は本来あるべきモーツアルトのオペラの姿だとおもい,大変気に入った.そしてこの演出によるシリーズが長く続くことを祈っている.長く続くためには,お客さんがたくさん入ってくれなくてはならない.日本人でも,観光の折りにこの劇場に来られる方もあるだろう.そうした方が一人でも多い方がいいのである.従って,この演出の面白いところ,びっくりさせる仕掛け,奇抜なところなどについては本当ならば公開したくない.面白いぞ,面白いぞ,とだけ言っておいた方がいい.しかし絶対にプラハに見に行かないと決まっている人もあるのである.だからこうした鍵のかかったページにおいておくことにする.
 パスワードを知ってこれを読んでくださっている皆さんも,私のその気持ちについては是非お酌み取りいただきたい.

(と、当時は書いたが、もう13年も経っての再公開なので、誰でも見られるこのサイトにおく。2013.10.12)

 舞台は(はっきりと表現していないが)現在のパリまたはミラノまたはNYである.原作のスペインの,なんてのはもうどこにもない.ドン・ジョバンニ は今をときめく,世界でももっとも有名なデザイナーである.彼のファッションショーからは始まる.T字型の舞台の後ろには,サングラスをかけたドン・ジョバンニの大きな顔写真.そしてたくさんのお客さんの観る中,黒のスーツに長いコート,サングラスにバンダナという出で立ちでドン・ジョバンニが登場する.人々は彼に花を贈り,握手を求め,サインを求める.騎手長などという野暮ったいものではなく,そのファッションショーにも来ていたところからすると,アンナの父は大富豪といったところだろうか.そしてドン・ジョバンニはその父をピストルで撃ち殺してしまう.そしてドン・ジョバンニとレポレロは,車(前の部分しか見えなかったので最新のVWビートルに見えたが,ポルシェだったかも)にのって立ち去る.ドン・ジョバンニがエルヴィラと再開するのはホテルのロビー.カートにスーツケースを乗せてエルヴィラが行こうとするところをドン・ジョバンニが呼び止める.エルヴィラはファッション雑誌に出てくるようなしかもきりっとしたキャリアウーマン風.マセットとツェルリーナの結婚式も,カウンターバーのあるレストラン(?)で行われるし,出てくる人々も最新のファッションで着飾った人ばかりだ.舞踏会も,そのファッションショーと同じセットなので,ディスコパーティといった風情だ.
 2幕はその後なのですこし見慣れた感じがする.今度は話の内容で見せるという感じ.場面設定は1幕の流れなので,特にめぼしい感じはない.しかし爆笑なのは最後にドン・ジョバンニが石像のアンナの父(の霊)に連れて行かれた後だ.スクリーンが降りてくる.そこではTVニュースが.音楽は普通なのだがその画面は
 「さて,次のニュースです.デザイナーのドン・ジョバンニ氏が行方不明となりました・・・・・・.」
(disappearedの訳を、亡くなりましたとすべきかどうか。2013.10.12 注)
そして,ドン・ジョバンニ氏の生涯についてつづった追悼ドキュメント番組が流れ,新聞の一面の「DG has dissappeared」なとという,見出しが踊り,都会(プラハだと思う)の映像にかぶせて,デザイナー・ドン・ジョバンニ氏のプロモーション・ビデオみたいなのが流れて閉幕となる.

 元来,モーツアルトのころのオペラは,時代を風刺し,世情を描きながら最後にお客さんを泣かせるというような娯楽ものの系統だったはずだ.ところが,特に日本ではなのだが,いつしか「高い芸術性」「歴史的考証に基づいた伝統的な演出」などというものが幅を利かせるようになってしまった.もちろん,単に娯楽であるだけでは面白くないのだが,お勉強系のくそまじめなオタッキーなものではなかったはずだ.その点でもこの演出を多くの人に知って欲しいとおもう.

モーツアルト「ドン・ジョヴァンニ」(Stavovske Divadlo) [2000音楽三昧 in Praha]

モーツアルト「ドン・ジョヴァンニ」(2000年6月29日(木)Stavovske Divadlo)

 「ドン・ジョヴァンニ」はモーツァルト自身が指揮をして,ここ Stavovske Divadloで初演した,ゆかりの作品である.モーツアルトはこのプラハを愛し,交響曲3曲を初め,多くの作品をこのプラハで書いている.ただ,この街全体に,「モーツアルトが」ということで売り込もうという魂胆が見えて,ちょっとやり過ぎだよと思うのだが,チェコ人が大事にしている Smetana では観光客が集まらないし, Dvorak も有名な「新世界から」は「アメリカン・シンフォニー」だし,仕方がないのかも知れない.
 まあ,そんなことはともかく,こちとらは良い音楽が聴ければいいのだ.ということで,この1999-2000年のシリーズの最後に,この先週22日が新演出(プルミエ)の「ドン・ジョヴァンニ」を見に行ってきた.席は1階(2階)のバルコニー.さすがに一番良い辺りだから高い(2000円を超えた).

 感想について,まず結論を言おう.滅茶苦茶面白かった.音楽のメインは,日本でもお馴染みのイルジー・ビェロフラーベクだ.この日の指揮は音楽監督の Kulinsky だったが.演出については,賛否両論があろうが,とにかく面白かった.音楽も,歌手陣はとても気に入った.先週1stプルミエ,2ndプルミエ(通は2ndを尊ぶ)のあとこの日は4回目の上演だったから,2番手だったのかも知れないが,とてもよかった.出かける前に筋書きなどを確認するために,ネットで調べていたのだが,LD/ビデオを観まくっているらしき人物のサイトをみたら,「ドン・ジョヴァンニはろくな演奏がない.歌手陣の充実が必要なのに・・・」とさんざん書いていた.そして歴史に名を残す名歌手たちをこき下ろしたようなことが書いてあった.「この曲は歌唱力がいるがそれに見合った人は・・・」まあ,その人はそういう楽しみ方をしたいんだろうが,私は何がうれしくてそんなことをしているんだろう.元々モーツアルトの時代は今のベルカント唱法とはちがう発声法をしていたのだ.もっと細かい音符が歌いやすい,しかも子音が聞き取りやすい方法.そしてそれはよく響くそんなに大きくない劇場で演じられる.それが元々のモーツアルトのオペラだ.少なくともこの劇場で初演されたことははっきりしているんだから間違いはない.その点から言うと,むしろこの日の歌手たちでさえも少し歌い過ぎかも.だから,歴史上名を残したようなベルカント唱法の歌手たちの,しかも大きな劇場でやったものを,さらに録音・録画で観ているのでは,本質について何もわかるわけがないのに.ああかわいそうな人だなぁ,本物を知らずに,知ったかぶりをするのは,と悲しさを覚えながら,しかしこの舞台を観ながら大笑いした.むしろ,イタリア・オペラで長く考えられてきたように,筋なんかどうでもいい,アリアを聴いているんだ,というような発想で見に来ている人がいて,歌の合間合間に「はいはい他のお客さん,アリアが終わりましたよ,拍手するべきところですよ」とこれ見よがしに拍手を先導しようとする人がいたことはいただけなかった.確かに歌は良かった.でももう筋書きが先に進もうとしているんだ,邪魔するな,早く続きを観たい,とよっぽど言いたかったが,その人はグランドフロア(1階)のバルコニーにいるらしく,もちろん暗いから顔は見えないし,第1チェコ語で文句を言うことも出来ないし.

 どうも日本人はオペラを「崇高な」「芸術的な」場合によっては「学問的な」ものとしてみようとする傾向があるのではないか.だから,たとえばオケでクラシック音楽をやっている人でさえ「オペラはちょっと」という人が多いのではないか.オペラなんて元々そういうものではないのだ.たとえば「能・狂言」というとどういうものだと思うだろうか.恐らく「伝統的な」「文化を保存して」どうのこうの,ということになるだろう.それは観たことがない人が言うものだ.実際に観たことがあればそんなものではないということがわかるだろう.能はきれいなものだ.狂言は笑えるもの.観たこともないのに先入観を持ってはいけない.野村萬斉だって,雅楽の東儀秀樹だって,みんないったんはこの世界には足を踏み入れまいとしながら,外からそれを見てそのおもしろさに魅入ってその道へ進んだ人だ.

 細かい演出について語ると本当は面白いのだが,ここでネタをバラしてしまってはこれからプラハに旅行に行って,せっかく日程が合って切符が買えたからドン・ジョヴァンニを観ようという人にとっては迷惑である.だから別のページに書く.一応パスワードもつけておく.どうしてもみたいという向きは,メールにてお知らせあれ.

 ただ,一言だけ言いたい.私は今まで十数回しかオペラを観たことがないが,同じ演出で同じオペラをもう一度観たいと思ったのは初めてである.

ビゼー「カルメン」(Narodni Divadlo) [2000音楽三昧 in Praha]

ビゼー「カルメン」(2000年6月28日(水),Narodni Divadlo)

「カルメン」はもうオケの人は必ずどこかの曲はやったことがあるというぐらい有名.我が倉管でも,私が入団する前に中国二期会の公演に参加させてもらったとのこと.でも私はそのときまだいなかったし,見たこともない.だからとても楽しみにして出かけました.
 前夜眠れなくて,客席では眠くて仕方がなかったのですが,せっかくの機会だし,1階(2階)のバルコニー席だったので,これは,と思って見ました.これだけの名作,この国民劇場でも,十数回作り直されて,公演の回数も何百回を数えたこともあり,昨年プルミエ(新演出公開)のこれもどうなるかと期待しました.また音楽は,これもまたN響に何度も来ておなじみのイルジー・ビェロフラーベクの指揮(アレンジ)だったので,そこも楽しみでしたが,この日の指揮は,この劇場の音楽監督の B.Kulinsky でした. (注:このときはふーんと思っただけだったのですが,その後色々な公演を見ていくうちに,この日の Kulinsky が「ちゃんとやっている」ことは,それはそれですごいものであったかがわかりました.後には,契約の問題もあるのでしょうが,音楽: J.Belohrabek/B.Kulinsky と変わりました.)
 案の定,演出はやってくれました.指揮者が入る前にテープの効果音.緞帳が上がり,グレー上下,帽子までかぶった囚人服の男がいきなり笛(運動会で合図に使う)を吹いて,オケピットに指図.それにあわせて指揮者が入ってくるという構図.ご存じの前奏曲,序奏のところはその前座に続いて「刑務所の囚人」.おお,そう来たか.ドン・ホセは恋の虜になってしまうという話か.なるほど.1幕は作品にある盛りだくさんをちゃんと楽しく見せてくれました.気づいたらオケの金管がステージ裏に行って演奏したり,また子供の合唱なども,さすが本場,という感じ.それよりも驚いたのは,年は結構行った身長1mぐらいの男性が,最初の牢屋のシーンからずっと色々と衣装を替えながら道化の役をしていたことです.そして色々な場面ですばらしい役割をしていました.そういう普通と違った人は,日本ではどうしても「隠す」という方向に行きがちなのですが,ここではむしろ「そういう特質を持った人」ということで,プラスに使っていました.事実,そのしぐさや表情は堂々としたもので,台詞も歌もないのに,最後はソリスト・指揮者と並んで手をつないで挨拶したぐらいでしたから.
 それ以外の演出面では,スペインの毒々しさは押さえた感じ.でも面白い,楽しみにしているところはばっちり見せてくれる.バレエも,歌も.歌手の中ではミカエラ役の Dana Buresova がピカイチとみました.カルメン役は声自体があんまり伸びてくる人ではなかったので,気に入らなかったけど.
 各場の前奏・間奏曲は,すべて「刑務所の囚人」が題材.また合間合間に,ウェディングドレスの人が顔をのぞかせて,情緒面の描写もわかりやすいもので,全体的にさらっとしていて見やすい舞台でした.

 この日は自分自身の面白いことに気づきました.オケの公演だとなかなか言えないんだけど,オペラの場合には本当に気に入った歌手・指揮者には抵抗なく Bravo を飛ばしてやれるようになったこと.オペラ劇場では,特にバルコニー席では自分の前に人がいることが少ないので,それもあるのかも知れないし,日本にいるときとは何か違った感覚になっているのかも知れないけど,どうもとても自然.自らを再発見した一夜でもありました.


「カルメン」はもうオケの人は必ずどこかの曲はやったことがあるというぐらい有名.我が倉管でも,私が入団する前に中国二期会の公演に参加させてもらったとのこと.でも私はそのときまだいなかったし,見たこともない.だからとても楽しみにして出かけました.
 前夜眠れなくて,客席では眠くて仕方がなかったのですが,せっかくの機会だし,1階(2階)のバルコニー席だったので,これは,と思って見ました.これだけの名作,この国民劇場でも,十数回作り直されて,公演の回数も何百回を数えたこともあり,昨年プルミエ(新演出公開)のこれもどうなるかと期待しました.また音楽は,これもまたN響に何度も来ておなじみのイルジー・ビェロフラーベクの指揮(アレンジ)だったので,そこも楽しみでしたが,この日の指揮は,この劇場の音楽監督の B.Kulinsky でした. (注:このときはふーんと思っただけだったのですが,その後色々な公演を見ていくうちに,この日の Kulinsky が「ちゃんとやっている」ことは,それはそれですごいものであったかがわかりました.後には,契約の問題もあるのでしょうが,音楽: J.Belohrabek/B.Kulinsky と変わりました.)
 案の定,演出はやってくれました.指揮者が入る前にテープの効果音.緞帳が上がり,グレー上下,帽子までかぶった囚人服の男がいきなり笛(運動会で合図に使う)を吹いて,オケピットに指図.それにあわせて指揮者が入ってくるという構図.ご存じの前奏曲,序奏のところはその前座に続いて「刑務所の囚人」.おお,そう来たか.ドン・ホセは恋の虜になってしまうという話か.なるほど.1幕は作品にある盛りだくさんをちゃんと楽しく見せてくれました.気づいたらオケの金管がステージ裏に行って演奏したり,また子供の合唱なども,さすが本場,という感じ.それよりも驚いたのは,年は結構行った身長1mぐらいの男性が,最初の牢屋のシーンからずっと色々と衣装を替えながら道化の役をしていたことです.そして色々な場面ですばらしい役割をしていました.そういう普通と違った人は,日本ではどうしても「隠す」という方向に行きがちなのですが,ここではむしろ「そういう特質を持った人」ということで,プラスに使っていました.事実,そのしぐさや表情は堂々としたもので,台詞も歌もないのに,最後はソリスト・指揮者と並んで手をつないで挨拶したぐらいでしたから.
 それ以外の演出面では,スペインの毒々しさは押さえた感じ.でも面白い,楽しみにしているところはばっちり見せてくれる.バレエも,歌も.歌手の中ではミカエラ役の Dana Buresova がピカイチとみました.カルメン役は声自体があんまり伸びてくる人ではなかったので,気に入らなかったけど.
 各場の前奏・間奏曲は,すべて「刑務所の囚人」が題材.また合間合間に,ウェディングドレスの人が顔をのぞかせて,情緒面の描写もわかりやすいもので,全体的にさらっとしていて見やすい舞台でした.

 この日は自分自身の面白いことに気づきました.オケの公演だとなかなか言えないんだけど,オペラの場合には本当に気に入った歌手・指揮者には抵抗なく Bravo を飛ばしてやれるようになったこと.オペラ劇場では,特にバルコニー席では自分の前に人がいることが少ないので,それもあるのかも知れないし,日本にいるときとは何か違った感覚になっているのかも知れないけど,どうもとても自然.自らを再発見した一夜でもありました.


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