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講義に関する業務連絡 [算数・数学教育について]

平成23年度前期 数学基礎(解析)について

1) 8/4(木) 17:45~18:00 答案返却を行う。教育学部本館314-2 数学セミナー室2にて。

2)採点に不服や質問のある者はその場および 8/8(月) 随時研究室にて受け付ける。昼休み以降4時限終了時までは研究室にいる可能性が高い。

3)補充レポートの提出を希望する者は,8/8(月)午後4時まで,手渡しまたは曽布川研究室のドア・ポストへの投函によって提出せよ。課題は以下の通り。

 (1) 広辞苑など信用のおける紙の辞書を用いて,「定義」「有用」という言葉の意味を調べ,自分の答案にある指摘について検討せよ。
 (2) 我々は教育学部である。算数/数学教育を専門とする立場からして,今回の答案には改善すべき点が多いケースが大半であった。この立場から返却した答案にある指摘について考察し,正解を書き直せ。

書式はB5判 レポート用紙に限定する。その他レポートの書き方については曽布川のWebサイトまたは当ブログを参照のこと。

電卓も使えない [算数・数学教育について]

小学校の教科書に電卓マークが出て来たときには世も末だと思ったが,幸いそれは消え去ったようだ。

しかし今度は電子教科書だそうだ。電子教科書自体はいいかもしれないが,そこに付随して出てくるであろうソフトの影響を全く考えていない。ごく一部の人を除いて誰もそれを真面目に議論していない。

その昔,たとえばこんなおもちゃを使ってみることで少し考えてみたこともある。数本論文も書いた。だがこの関連の一派,たとえばこんなところを除いて,ほとんど気にしていないようである。

これが導入されると,根本的に数学教育自体を変えなくてはいけないのに。

ところで。

最近おもしろいのが,Twitter のハッシュタグ #数学嫌いあるある である。 これについては完全に類型化できたと思っていて,それについては我が方を始めこれから教師になろうとする人たちの勉強にならないので述べない。是非調べてもらいたい。

それはともかく。

よく聞かれるのは,「数学の理論なんか要らない,電卓さえ押せればいいじゃん」である。

日常生きていく上で確かに算数で習う四則演算しか要らないわけで,それを声高に言う人がいても驚かないし1つも反論しない。むしろ「数学なんか勉強したって意味がない!」と叫んで授業をしていたこともあるくらいだ。

だが実はそうはいかない。この前授業で電卓を使ってみた。電卓の押し方なんてのは教える必要があるとは思えないので黙ってさせてみたのだが,驚くことに電卓がさっさと使えないのだ。

前日に「電卓持ってきてね」と伝えてもらった。昨今電子辞書を持ち歩いているヤツが多く,それについている電卓で済まそうと思っているヤツらもたくさんいたのだが,どうにも使えない。だがシンプルな電卓を持っているヤツらでも,計算にオタオタしているのだ。

いやいや。

そいつらがバカだなんていう主張をしているのではないのだ。こういう式を計算するとわかっているとき,その式なり求めるものの性質なりがわかっていないと,実は電卓も押せないのだ。

それが見えたのはこちらとしてはおもしろかった。だが世の中はこれを自動的に計算してくれる方向に向かっている。例えば5次の行列式を瞬時に計算してくれるiPad のソフトが300円で手に入る。普通買うぜ。そうするとこの「電卓を使うこと」すら出来なくなっちゃう。

もっとみんな切実に考えないと。自分は蟷螂の斧を振りかざしているよ。でも間違いなく5年後にはさらなる学力低下がもたらされるよ。いくら高校のカリキュラムを難しくしたって,2極化するだけさ。

名選手,必ずしも名コーチならず [算数・数学教育について]

書名は挙げられない。どちらかというと軟派な題で,若者受けしようという魂胆だ。
著者名も挙げられない。数学者としてあまりにも有名な人だ。
だがその本を一読してがっかりした。あまりにもがっかりした。

がっかり・その1
ベクトルとは何かと言うことについて,図形的には曖昧。数ベクトルとしては天下り。

がっかり・その2
ベクトルの内積を,数ベクトルとして天下りに挙げているにもかかわらず,「これらのベクトルは平行」などという表現が突如出てくる。

がっかり・その3
ベクトルの外積も,行列式の中で天下りに出てくる。ところが突如「直交性」などという言葉が出てくる。図形のことはわかって当然というつもりのように見える。

がっかり・その4
ベクトル3重積について結構紙面を割いている。だが計算を色々見せているだけで,読む方は一生懸命読もうせず,結論だけを覚えることになるだろう。

がっかり・その5
空間図形を扱いという気持ちには賛同する。さらっと行列の固有値などを扱って,2次曲面を扱おうとしているが,これを初めて見て一体何がわかるのだろう。

・・・もうやめた。

この本の目的は,ベクトルの外積について解説したいということらしい。四元数や外積代数という見方に踏み込みたい気持ちもわかる。

だが残念ながらこの本から何かを得られる人は少ない。修士クラス以上の学生にはもはや学ぶことはないだろう。学部レベルでは何を言いたいのかわからないだろう。

薄くて売れる本ということで色々詰め込みたかったことも理解できるが,残念ながら晩節を汚したと言わざるを得ない。

名選手,必ずしも名コーチならず。


良い本なのだが [算数・数学教育について]

こんな本を読んだ。

数学は世界を変える あなたにとっての現代数学

数学は世界を変える あなたにとっての現代数学

  • 作者: リリアン・R・リーバー
  • 出版社/メーカー: ソフトバンククリエイティブ
  • 発売日: 2011/04/27
  • メディア: 単行本



いやあ,良い本だなぁ。

「2次方程式の解の公式なんて要らない。そんなものなくても自分はこれまで生きて来られた」

なんて豪語していた件の作家さんに是非読ませてやりたいと思う。

中身についてはここでは言わない。うちの学生全員に読ませたい。来年の1年生の必須図書にしようかな。

ただ1つだけ悩めることがある。

この邦訳は読みやすくて良いのだけれど,同時に原典を読みたくなった。

翻訳がここまで格調高いのは訳者の力量がもちろん大きいのだけれど,原文の力もあるだろうから。

でも英語のテキストにするのは,これだけ良い翻訳があるから無理だな。学生はそれを買って来ちゃう。

微妙。

もはや宗教論争だな [算数・数学教育について]

問題: 4人の子どもに5本ずつ鉛筆を配ったら何本いるでしょう。

 式: 4×5=20    答え: 20本

これに×をつけられた,と言ってねじ込む親。

この問題は昔から議論がされているそうな。

どうでも良いと切り捨てるなかれ。延々議論されているのだから。

最近出た本を読んでみた。


かけ算には順序があるのか (岩波科学ライブラリー)

かけ算には順序があるのか (岩波科学ライブラリー)

  • 作者: 高橋 誠
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/05/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



特に文句はない。歴史的な経緯についてとても詳しく述べている。算数教育を学ぶ学生が読むのは大いによろしい。

この問題について,どうしていつもこうやって盛り上がってしまうのか。結論は簡単である。それは

言葉の意味の問題


だからなのだ。「4×5」とは何か。「5×4」とは何か。

ともかくその意味の取り方が確定していないと言うことなのである。

例えば我々が日本語を使うとき,その語の意味はある程度きちんと決まる。それは時代が変われば移り変わっていくものであるけれど,どこででも手に入る辞書があってある程度のスタンダードを提供している。いざとなればそれを引くことによって勝負が決する。

しかし算数は厄介だ。まず議論の場が「学校の授業」ということになる。しかも

  「算数なんか答えが出ればいい」
  「算数は考える道筋であって・・」

などなど,とらえ方もそれぞれだ。さらに言えば,この問題の場合,「かけ算の交換法則」などというものが後から出てきて,小学校で教えることになっている「式の意味」のことなど上書きで忘れてしまう。もし小学校でしっかり習っていたとしても,教える側の教員の認識がそれぞれであったり,優先順位が違っていたりするとそこでまた前提が違ってしまう。

誰しも自分が学んだことを元に物事を考えている。そのヒストリが違うと,どうしてもこういう行き違いが起きるのだ。

ある学者はこの問題に対して 「どうでもいい」 と言う。それは誠実な答えだと思う。その人の立場からすれば,こだわることに意味がないからだ。

一方,別の教師は 「かけ算の順序にはこういう意味がある」 として,このことを譲らない。そしてその根拠を色々と持ち出してくる。歴史的な経緯,日用の言語との関連,学習指導要領の指示などなど。それも正しい。

結局のところ,価値観の問題である。
数学という1つの「言語」に対してどういう意味を与えるか。

それだけのことだ。力むことはない。




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記述・論述式の試験 [算数・数学教育について]

朝日新聞(大阪本社版2011年2月22日)に高校教員の方から次のような投稿があった。あとからアクセスすることが難しい状況を踏まえ,ここに全文を引用する。

 国公立大2次試験の願書も今月上旬で締め切られ、いよいよ前期日程試験が25日から始まる。そこで大学入試のあり方に関して、常々疑問に感じていることを述べたい。  センター試験は正解と配点が公表されているが、私立大、国公立大の個別試験は解答が公表されていない。受験生が正解を知るには、予備校など業者の作成する解答例によるか、または私たち現場の教員が解いた解答例によるしかない。解答を選択する問題や単に知識を尋ねる問題ならば、そのような解答例に従っても構わないであろう。  しかし正解に幅のある記述・論述式の問題の場合(国公立の2次試験に多い)は、やはり、出題者の責任として模範解答を示すべきではないか。試験を実施しておいて答えは教えませんよ、というのは教育機関としてはあまりにも不親切であり、誠意を欠いた態度であるように思える。受験生に求める回答のレベルを大学側が示すことは次年度の受験生の指針にもなる。  最後になりましたが、受験生諸君には日頃の学習の成果を存分に発揮して、志望校合格を勝ち取られることを切に望んでいます。


まず始めに,この投稿者は数学の教員ではないと固く信ずる。その理由はここで述べる私の意見を読んでもらえればわかると思う。数学以外の教科のことについてはとりあえずここでは言及しないことにする。しかしこの文章に賛同する高校数学教員(実は小中も含めて)が少なくないと思われるのでそうした人たち,大学生の現状をよくご存じでない人たち,そして我が国の将来のために教育の質を向上させるべきであると考えている人に向けて,私の意見を述べたい。

そもそも数学とはどういうものか。

ズバリ言ってしまえば,
何らかの「数学的な」仮設条件の下で演繹によって得られるもの
となるか。この「数学的な」についての議論は本題ではないので踏み込まないが,雑な言い方をすれば日常生活において数を用いて認識されることがらを前提として展開されるのが小学校の算数であり,その全体を前提条件として中高の数学が演繹によって展開されている。そうでない仮設条件としては,たとえば「三角形の3つの合同条件」を設定してそこから展開されるのが中学校の平面幾何。その元となる幾何学の1つの体系を築いたとされるユークリッドは、もっと別のこと(公理)からスタートしているため,「三角形の合同条件」は「定理」となる。一方で,ユークリッドとは全く違った公理,場合によってはユークリッドの公理を否定するものを出発点としてくみ上げられた幾何学が多数構成され,それがそれぞれに意味を持っていることは,数学教員なら誰でも知っていることであろう。

我々数学者はつねにこの枠組みで研究をしている。たぶん大学入試は大学の教員が採点するだろうし,その多くは数学者,または数学の枠組みを理解している人であろう。大学入試ならば文部科学省検定済の教科書の内容を出発点として考えればいい。その上で,きちんとした演繹によって議論が展開されて結論に至ることが「記述・論述式」の数学の問題において要求されていることである。

この枠組みにかなっているならば,はっきり言えばどんな答案でも良い。他の人と違った解き方であっても,それが筋道立てられ,きちんと説明されているならば採点者はそれを読む。そしてきちんと出来ているならば文句を言うことはないと思う。それどころか,採点者の予想もしないような解答があれば,それは解答者が採点者を超えたことであって,歓迎こそされ排除されることはない。採点者は答案をなんとか理解しようとするだろうし,それができない人・しようとしない人が入試の採点するような大学は,その教育レベルが知れる。

数学の記述・論述式問題の指導は,こういう論理展開が出来るようにすることであり,採点もこの観点に従えばまず間違いない。もしそこに、文部科学省検定済教科書には全く書いていないような内容(公式,解法パターンなど)が断りなく書いてあれば、読んでもらえなくて減点の対象になる可能性はあるが,そこに気をつければいいだけである。

一方で、ほとんどの大学ではこうした記述・論述式の入試問題に対して「模範解答」を公表しない。その大多数は強い意志を持って公開しないのである。なぜなら,何を持って「模範」とするかは主観の問題であるにも関わらず、どれか1つを採ってそれを公開するならば、そのこと自体が一人歩きし、
模範解答以外は減点対象だ      模範解答を覚えておこう

ということになりかねないからである。

模範解答を求め,それを金科玉条として指導するのははっきり言って簡単である。教師に力量はいらない。しかしそんな数学では「大学受験に通る」以外には意味がない。それどころか、次世代のための教育としては害になるとすら言えるイノベーション立国を目指す我が国(閣議決定による)では,それぞれが自分の考えをしっかり表明できるように教育をするべきである。模範解答を打ち負かすような能力をつけられればさらに良い。従って,大学が
教育機関としてあるべき姿に対して もっとも誠意ある態度として,“模範解答”を公開しない
のである。数学においては模範解答を求めるようなことこそ,教育機関にあるまじきことであると思う。

予備校などの解答例には確かに首をかしげたくなるようなものもある。だがそれも1つの解答だ。好き嫌いはともかく,以上の観点からみて文句がなければ減点はされないだろう。そんなものも含め,学問的な立場から指導するのが高校教員の仕事であると私は考える。

反発は覚悟の上である。だがこれを読んで何かを感じた現場教員は,是非大学院などで数学を厳格に勉強し直してもらいたい。それが最終的に受験指導に役立つ

このことについて関連する書籍を1つあげておく。


コンピュータが仕事を奪う

コンピュータが仕事を奪う

  • 作者: 新井 紀子
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
  • 発売日: 2010/12/22
  • メディア: 単行本



著者の新井氏は、数々の著作を通じて数学を学ぶ意義などについて説いている。日本数学会の責任ある立場として、世に向けていくつかの提言を発信したりもしているが,本書では従来のものにまして非常に重要な指摘をしており、教育のあるべき方向を指し示していると言える。

大学入試の数学を採点する人たちは、およそこういうことを考えているのだと思っていただきたい。


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見なきゃ良かった [算数・数学教育について]

近隣の某大学に非常勤講師としてもう何年も教えに行っている。

非常勤だし,あんまり厳しくしたり,手取り足取りしたりするのも面倒なので,講義を一生懸命やるだけにして,試験は楽勝試験になるように心がけてきた。

出席も取らない。

中間に小テスト1回。期末の直前に総合演習1回。それを加味することで成績をつける。
試験も,教科書の問題をあまりいじらずに出す。

そんなことを何年もやってきたので,学生の側には代々そういう情報が流れているのだろう。まず履修登録者数の3分の1しか講義に来ない。

でも別にそれでこちらは損をしないわけだし,わざわざ生活指導をするのも面倒だ。まあ授業中に菓子を食ったりジュースを飲んでるバカがいると怒鳴り挙げるが。

今年も例年通りに講義を進め,また期末試験の前に総合演習を行ったのだが,その答案を見ていてうっかり気付いてしまったことがある。

証明のような問題は,教科書通りだと思って丸暗記してきているのではないか?
計算がどういう順で進んでいるか,理解せずに覚えてきているのではないか?
そもそも,記号や言葉の定義を本当に理解しているのだろうか。

そこで,期末試験では,総合演習と問題の程度を変えず,ただ理解しているかどうかを判定するために,数値や問い方を変えてみた。

すると案の定,予想的中。

関数 f と g に対して,(f g)’=f ・g' という式を平気で書いている。そうそう,総合演習のときには教科書と同じ問題だから f は定数だったからね。でも今度は関数だと断ってあるよ。だから証明しなさいと言っている式が成り立たなくなっちゃうヤツ続出。

「P=Sを証明しなさい」という問題で,一応 P=Q=R=S と,嘘でない等式が書かれているけれど,Q=R の部分は暗算じゃ無理。定義から P=Q と R=S がすぐにわかるから,とりあえずその式を書いて中をつないで,嘘でない式に仕上げただけの答案多数。

あのう,発散ってベクトル値関数にしか定義できないんですけれど。ラプラシアンは基本的にはスカラ値関数にしか定義できないんですけれど。

講義に来てこちらの説明につきあってないと,こういうのは出来るようにならない。おそらく高校までそんな数学を習ってないだろうし。この前,よその県の国立大教育学部の先生に聞いたけれど,何段も論理を重ねて行くような問題って,全く授業できない教師がたくさんいるそうだ。いやいや,その県だけかもしれないけれど。

あんまり頭に来て,イライラしながらやってたので,なかなか進まなかった。来年の講義には反映させなくちゃ。そのためにもまずは今年期末試験通りの成績をつけることかな。それからこの様子を備忘録として,教科書に赤字でガンガン書き込んでおいた。

見ないで知らん顔してれば済んだんだけれど,見てしまったので仕方がない。やるしかない。自分は非常勤だが,彼らが世の中で評価されるような人間になってくれなくては困るし,彼ら自身も困るはずだ。

暗記で済ませようという発想は一刻も早くやめるべき。だって暗記で済むことなんて,その本を持ってくればいい。iPad を持ち歩けばすぐに検索できる。ということは,自分の価値は数万円で買える機械だとか数千円で買える本以下だと言っているようなもの。

この道に突っ込んでいくことは本当に面倒だが,やらなくてはならないのだろうな。現状のひどさを見てしまっては。

http://takuya-sobukawa.blog.so-net.ne.jp/2011-01-29 に書いたことも然り。

数学の何が出来ないか [算数・数学教育について]

受験生(答案)を見て思っていたこと。

「証明問題がわからない」  「証明問題が嫌い」  という人は多いのだけれど。

どうやら問題は「証明」では無いようだ。むしろ  

命題:  前提条件(仮定) → 結論  


という構図が根本的にわかっていないらしい。押し並べて高校生全般にわかっていないようだ。
我が方の学生を見ていても,この形で物事を理解できない者が多い。

この形式がわからないと,ほとんどすべての論理はわからないだろう。数学の難しい問題なんか解けるわけがない。

生徒がこれだけ出来ないとなると,心配なのは中高の数学のセンセ。

そこは問題ないと信じたいのだけれど。

我が師匠筋の話 [算数・数学教育について]

数学と数学教育を本業とする私には,そんな意味で2つの「師匠筋」がある。

そのうちの数学教育に関する師匠筋に最近めでたい話があった。この本が出版された。


微分積分学講義 2

微分積分学講義 2

  • 作者: 河添 健
  • 出版社/メーカー: 数学書房
  • 発売日: 2011/01
  • メディア: 単行本



筆者の河添氏は,私が学生のときに助手として微積分学の演習を担当してくれた方で,現在は慶應義塾大学SFCキャンパスの教授。私とは数学の研究ジャンルも近いのでお会いすることも多い。穏やかで博識で,数学の分野でもとても尊敬できる方なのだが,同時に数学教育に関しても師匠筋の方である。

ところで,数学教育に関しての大師匠といえば,この方である。

解析入門 (岩波全書 325)

解析入門 (岩波全書 325)

  • 作者: 田島 一郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1981/01/20
  • メディア: 単行本



イプシロン-デルタ (数学ワンポイント双書 20)

イプシロン-デルタ (数学ワンポイント双書 20)

  • 作者: 田島 一郎
  • 出版社/メーカー: 共立出版
  • 発売日: 1978/05
  • メディア: 単行本


30年以上前の古い本であるが,数学教育的な配慮においてこれらの本を超える本に出会ったことはない。もしかしたら1960年以前の生まれの方にはなじみのある名前かもしれない。大学受験指導でも有名な慶應義塾大の教養担当の教授であった。

私は直接お会いする機会はなかったが,河添氏を始め,慶應で数学を学んだ先輩たちはすべてこの田島先生の一門と言っても良いだろう。かつては慶應義塾の諸学校(慶應義塾では高校以下の学校をこう呼ぶ)の数学教員はすべて彼の息がかかった人たちだった。

その筋で,数学教育の世界で有名だったのはたとえばこの人。

小学生の算数ぎらいのらくらく算数はかせ

小学生の算数ぎらいのらくらく算数はかせ

  • 作者: 吉村 啓
  • 出版社/メーカー: 學燈社
  • 発売日: 2007/02
  • メディア: 単行本



こういう諸先輩方に薫陶を受けてきたのが私である。そんなことから,1年生の微積分学の講義では長らく上掲「解析入門」を教科書にしてきた。もちろんそれで不満はないのだが,この本と同じようなスタンスで,しかもリファレンスとして使えるしっかりした本を求めていた。

そう思っていた矢先,河添氏が次の本を上梓された。


微分積分学講義 1

微分積分学講義 1

  • 作者: 河添 健
  • 出版社/メーカー: 数学書房
  • 発売日: 2009/09
  • メディア: 単行本



これはちょうど「解析入門」のバックに置くことが出来る。1つだけ物足りなかったのは,議論が1変数関数だけであったことだ。実は「解析入門」も1変数関数しか扱っていないのだが,多変数関数を講じるのにも同じような発想の本が欲しい。「解析入門」に相当する本の下地になりそうなものは見つけたのだが残念ながらずいぶん前に絶版。なのでこれは自力でと思い,これに相当する講義資料の粗原稿を書き上げたところである。

田島「解析入門」 with 河添「Ⅰ」
曽布川講義資料 with 河添「Ⅱ」

これで解析概論の教育体制はできた。喜ばしいことである。

学生に変に媚びたような数学教育が蔓延しているが,それでは意味がない。
それを変えようとする大きな力。

我が先輩の偉業を喜びたい。



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私がヒステリックなわけではなくて [算数・数学教育について]

ずっと「デジタル教科書」のようなものに批判的な物言いをしてきた。

古臭い人間だと言われようと,凝り固まっていると言われようと構わないのだが,決して少数意見ではない。

やはりこのサイトを紹介しておく必要がある。

「デジタル教科書」推進に際してのチェックリストの提案と要望
http://mathsoc.jp/publicity/news20101102.html

心ある人ならばぜひこのリンクを読んでいただきたいのだが,私はこの記述に一つだけ不満な点がある。

付記の中の次の件。

事項3: 「デジタル教科書」の使用が、児童・生徒が紙と筆記用具を使って考えながら作図や計算を進める活動の縮減につながらないこと。
 
解説:紙と筆記用具を用いて事項を整理したり、計算や証明の過程を適切に配置する訓練を積むことは、理数系の各科目において非常に重要な位置づけを占めます。これらのことがらをソフトウェア上で行うことも不可能ではありませんが、初等中等教育段階では、紙と筆記用具のような柔軟性や操作性に優るものはないと考えます。特に、学びの基本的な技法である、ノートの取り方、直接動かすことができる教具や図を用いて考える方法、観察や実験の結果を写真ではなく図や言葉で記録する方法、表やグラフにまとめる方法、筆算等の計算の書き方、証明の書き方等が十分に身についていない学齢において、紙と筆記用具をソフトウェアで代替することは適切でないと考えます。

ここには「初等中等教育段階では」とあるのだが,決してそれだけではない。高等教育においても同じであるし,専門の研究者にとっても同じである。いい例としては,前に述べたように Steve Jobs がそうである。


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