もはや宗教論争だな [算数・数学教育について]
問題: 4人の子どもに5本ずつ鉛筆を配ったら何本いるでしょう。
式: 4×5=20 答え: 20本
これに×をつけられた,と言ってねじ込む親。
この問題は昔から議論がされているそうな。
どうでも良いと切り捨てるなかれ。延々議論されているのだから。
最近出た本を読んでみた。
特に文句はない。歴史的な経緯についてとても詳しく述べている。算数教育を学ぶ学生が読むのは大いによろしい。
この問題について,どうしていつもこうやって盛り上がってしまうのか。結論は簡単である。それは
だからなのだ。「4×5」とは何か。「5×4」とは何か。
ともかくその意味の取り方が確定していないと言うことなのである。
例えば我々が日本語を使うとき,その語の意味はある程度きちんと決まる。それは時代が変われば移り変わっていくものであるけれど,どこででも手に入る辞書があってある程度のスタンダードを提供している。いざとなればそれを引くことによって勝負が決する。
しかし算数は厄介だ。まず議論の場が「学校の授業」ということになる。しかも
「算数なんか答えが出ればいい」
「算数は考える道筋であって・・」
などなど,とらえ方もそれぞれだ。さらに言えば,この問題の場合,「かけ算の交換法則」などというものが後から出てきて,小学校で教えることになっている「式の意味」のことなど上書きで忘れてしまう。もし小学校でしっかり習っていたとしても,教える側の教員の認識がそれぞれであったり,優先順位が違っていたりするとそこでまた前提が違ってしまう。
誰しも自分が学んだことを元に物事を考えている。そのヒストリが違うと,どうしてもこういう行き違いが起きるのだ。
ある学者はこの問題に対して 「どうでもいい」 と言う。それは誠実な答えだと思う。その人の立場からすれば,こだわることに意味がないからだ。
一方,別の教師は 「かけ算の順序にはこういう意味がある」 として,このことを譲らない。そしてその根拠を色々と持ち出してくる。歴史的な経緯,日用の言語との関連,学習指導要領の指示などなど。それも正しい。
結局のところ,価値観の問題である。
それだけのことだ。力むことはない。
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式: 4×5=20 答え: 20本
これに×をつけられた,と言ってねじ込む親。
この問題は昔から議論がされているそうな。
どうでも良いと切り捨てるなかれ。延々議論されているのだから。
最近出た本を読んでみた。
特に文句はない。歴史的な経緯についてとても詳しく述べている。算数教育を学ぶ学生が読むのは大いによろしい。
この問題について,どうしていつもこうやって盛り上がってしまうのか。結論は簡単である。それは
言葉の意味の問題
だからなのだ。「4×5」とは何か。「5×4」とは何か。
ともかくその意味の取り方が確定していないと言うことなのである。
例えば我々が日本語を使うとき,その語の意味はある程度きちんと決まる。それは時代が変われば移り変わっていくものであるけれど,どこででも手に入る辞書があってある程度のスタンダードを提供している。いざとなればそれを引くことによって勝負が決する。
しかし算数は厄介だ。まず議論の場が「学校の授業」ということになる。しかも
「算数なんか答えが出ればいい」
「算数は考える道筋であって・・」
などなど,とらえ方もそれぞれだ。さらに言えば,この問題の場合,「かけ算の交換法則」などというものが後から出てきて,小学校で教えることになっている「式の意味」のことなど上書きで忘れてしまう。もし小学校でしっかり習っていたとしても,教える側の教員の認識がそれぞれであったり,優先順位が違っていたりするとそこでまた前提が違ってしまう。
誰しも自分が学んだことを元に物事を考えている。そのヒストリが違うと,どうしてもこういう行き違いが起きるのだ。
ある学者はこの問題に対して 「どうでもいい」 と言う。それは誠実な答えだと思う。その人の立場からすれば,こだわることに意味がないからだ。
一方,別の教師は 「かけ算の順序にはこういう意味がある」 として,このことを譲らない。そしてその根拠を色々と持ち出してくる。歴史的な経緯,日用の言語との関連,学習指導要領の指示などなど。それも正しい。
結局のところ,価値観の問題である。
数学という1つの「言語」に対してどういう意味を与えるか。
それだけのことだ。力むことはない。
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2011-06-22 11:15
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コメント(10)
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この記事にアクセスが多いのでちょっとコメント。
まずはこの本を読んでみて,まあなんとつまらない議論をしてるんだろうという感想。全然議論になっていないというのが私の言い分。
しかし私自身は,かけ算の順序を守るべきだという立場を支持するし,「なぜ守るべきか」についてもきちんと議論出来る。
そもそも「かける」って何ですか。3って何ですか。それがわからないのにどんな議論も意味がないですよ。
by sobu (2011-08-18 17:23)
先生が2010-02-06 05:00にお書きになられた記事「算数・数学は言語だ」が、その理由の一つと推察しましたが、いかがでしょうか。
特に次の文章以下でしょうか。
>単語を並べるための規則が文法であるとするなら,まず演算そのものの中に文法が含まれているだろうとおもいます。でもこの場合は文法というよりも語法というべきでしょう。「単語」を並べて出来上がった「文」に相当するのは「式」だろうと思います。
最近では、新井紀子さんの著作や浪川幸彦先生の活動で、こうした考え方が強調されていますね。ぜひ、そうなるべきと思っております。
by EMTT (2011-09-11 19:11)
>EMTTさん
基本的にはそういう問題だと思います。
新井氏の著作は正にそう思っています。算数/数学教育関連の者は,本ブログに上げていないものも含めて大体目を通しています。
浪川氏はもちろん存じ上げており,意識しておられることはまさに同業者としてその通りと思います。活動を拝見していて,またセミナーで同席させていただいてもよくわからないところがあり,思い切りポジティブにコメントは出来ませんが,少なくともネガティブに言うべきことは見当たりません。
by sobu (2011-09-12 09:16)
最近テレビで出ていた例。
100mずつ4人で走るリレーを何というか。
世界陸上のテレビ放送では,4×100mリレーと言いますね。
あれは小学校の算数では間違いということになります。これだけかけ算の順序についてうるさく言う人たちが,テレビ局に向かって講義をしたというのを聞いたことがありません。
もちろんあれは英語の語順で,そのまま直訳ですから。
by sobu (2011-09-12 09:18)
早速のお返事ありがとうございました。
>世界陸上のテレビ放送では,4×100mリレーと言いますね。
欧米系の言語では、日本と逆の順序があって、日本以上に順序に厳しいようです。
フランス語の数詞も81は、「quatre-vingt-un」(4×20+1)と言いますが、順序を変えても通じるのでしょうか。
by EMTT (2011-09-12 18:48)
はじめまして。
>まずはこの本を読んでみて,まあなんとつまらない議論をしてるんだろうという感想。全然議論になっていないというのが私の言い分。
なぜ、つまらないと感じたのでしょうか?
全然議論になっていないと思った理由を、具体的に説明して欲しいです。
by おおくぼ (2011-09-13 11:58)
>おおくぼさん
「本質はこれ,と確定させるために議論がある」という立場にいます。それを実現させるためには歴史的経緯などどうでも良いのです。
善悪の判定をするときに歴史的な経緯を持ち出して根拠とするのは,単に多数派工作に過ぎない。遠山啓さんは確かに大きな足跡を残した人ですが,それも1つの意見に過ぎない。
もちろんそうやって決めても良いですが,納得しない人は納得しないだろうと思います。
だから最終的に「宗教戦争だ」と言ったわけです。
by sobu (2011-09-13 16:07)
では、この宗教戦争を終わらせることはできるのでしょうか?
あるいは、終わらせることが不可能だったら、議論することは不毛なのでしょうか?
by おおくぼ (2011-09-14 02:47)
>おおくぼさん
この「宗教戦争」が終わるかどうか,さらにその必要があるかについても,時間を掛けて考える価値はないと思っています。
議論することで視野が広がったり,アイディアを得たり,(どちらかの立場の)本質が見えたりというようなメリットはあるでしょう。議論自体は不毛であっても,考える価値はあるという意味で,学生にとって本書は読む価値があると述べました。
しかし私自身はそれに与する気は全くありません。私はこの問題の本質を上述のように見切っている(解釈している)からです。やる気になればどちらの立場でも議論に入れるし,どちらの立場も尊重できます。どちらかを取れと言われたらそれも出来るし,ぐちゃぐちゃな状況を治めることも(肩書きを振りかざさないと難しいケースもありますが)出来ると思っています。
だから議論に乗る気はありません。
by sobu (2011-09-14 10:23)
返信ありがとうございます。
書き込みはこれで最後にします。
曽布川さんのツイッターは拝読しています。
私は曽布川さんを批判(検証)の対象にしても、一方的に否定するつもりはありません。
それは曽布川さんの文系学生や「大学以外の数学」に対する態度と同じだと思っています。
最近、ある物理学者のブログに『かけ算には順序があるのか (岩波科学ライブラリー)』のことで書き込みをし、対話を試みたのですが、残念ながら私の意図はうまく伝わりませんでした。
http://twin.blog.ocn.ne.jp/physicomath/2011/07/post_0a55.html
『かけ算には順序があるのか (岩波科学ライブラリー)』は、理論よりも歴史的な経緯を重視して書いてありますが、理論を軽視しているわけではないと思います。
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/LaTeX/20101123Kakezan.html
上のリンク先のような理論的な展開を参考にして書いてあると思います。
by おおくぼ (2011-09-14 16:57)