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記述・論述式の試験 [算数・数学教育について]

朝日新聞(大阪本社版2011年2月22日)に高校教員の方から次のような投稿があった。あとからアクセスすることが難しい状況を踏まえ,ここに全文を引用する。

 国公立大2次試験の願書も今月上旬で締め切られ、いよいよ前期日程試験が25日から始まる。そこで大学入試のあり方に関して、常々疑問に感じていることを述べたい。  センター試験は正解と配点が公表されているが、私立大、国公立大の個別試験は解答が公表されていない。受験生が正解を知るには、予備校など業者の作成する解答例によるか、または私たち現場の教員が解いた解答例によるしかない。解答を選択する問題や単に知識を尋ねる問題ならば、そのような解答例に従っても構わないであろう。  しかし正解に幅のある記述・論述式の問題の場合(国公立の2次試験に多い)は、やはり、出題者の責任として模範解答を示すべきではないか。試験を実施しておいて答えは教えませんよ、というのは教育機関としてはあまりにも不親切であり、誠意を欠いた態度であるように思える。受験生に求める回答のレベルを大学側が示すことは次年度の受験生の指針にもなる。  最後になりましたが、受験生諸君には日頃の学習の成果を存分に発揮して、志望校合格を勝ち取られることを切に望んでいます。


まず始めに,この投稿者は数学の教員ではないと固く信ずる。その理由はここで述べる私の意見を読んでもらえればわかると思う。数学以外の教科のことについてはとりあえずここでは言及しないことにする。しかしこの文章に賛同する高校数学教員(実は小中も含めて)が少なくないと思われるのでそうした人たち,大学生の現状をよくご存じでない人たち,そして我が国の将来のために教育の質を向上させるべきであると考えている人に向けて,私の意見を述べたい。

そもそも数学とはどういうものか。

ズバリ言ってしまえば,
何らかの「数学的な」仮設条件の下で演繹によって得られるもの
となるか。この「数学的な」についての議論は本題ではないので踏み込まないが,雑な言い方をすれば日常生活において数を用いて認識されることがらを前提として展開されるのが小学校の算数であり,その全体を前提条件として中高の数学が演繹によって展開されている。そうでない仮設条件としては,たとえば「三角形の3つの合同条件」を設定してそこから展開されるのが中学校の平面幾何。その元となる幾何学の1つの体系を築いたとされるユークリッドは、もっと別のこと(公理)からスタートしているため,「三角形の合同条件」は「定理」となる。一方で,ユークリッドとは全く違った公理,場合によってはユークリッドの公理を否定するものを出発点としてくみ上げられた幾何学が多数構成され,それがそれぞれに意味を持っていることは,数学教員なら誰でも知っていることであろう。

我々数学者はつねにこの枠組みで研究をしている。たぶん大学入試は大学の教員が採点するだろうし,その多くは数学者,または数学の枠組みを理解している人であろう。大学入試ならば文部科学省検定済の教科書の内容を出発点として考えればいい。その上で,きちんとした演繹によって議論が展開されて結論に至ることが「記述・論述式」の数学の問題において要求されていることである。

この枠組みにかなっているならば,はっきり言えばどんな答案でも良い。他の人と違った解き方であっても,それが筋道立てられ,きちんと説明されているならば採点者はそれを読む。そしてきちんと出来ているならば文句を言うことはないと思う。それどころか,採点者の予想もしないような解答があれば,それは解答者が採点者を超えたことであって,歓迎こそされ排除されることはない。採点者は答案をなんとか理解しようとするだろうし,それができない人・しようとしない人が入試の採点するような大学は,その教育レベルが知れる。

数学の記述・論述式問題の指導は,こういう論理展開が出来るようにすることであり,採点もこの観点に従えばまず間違いない。もしそこに、文部科学省検定済教科書には全く書いていないような内容(公式,解法パターンなど)が断りなく書いてあれば、読んでもらえなくて減点の対象になる可能性はあるが,そこに気をつければいいだけである。

一方で、ほとんどの大学ではこうした記述・論述式の入試問題に対して「模範解答」を公表しない。その大多数は強い意志を持って公開しないのである。なぜなら,何を持って「模範」とするかは主観の問題であるにも関わらず、どれか1つを採ってそれを公開するならば、そのこと自体が一人歩きし、
模範解答以外は減点対象だ      模範解答を覚えておこう

ということになりかねないからである。

模範解答を求め,それを金科玉条として指導するのははっきり言って簡単である。教師に力量はいらない。しかしそんな数学では「大学受験に通る」以外には意味がない。それどころか、次世代のための教育としては害になるとすら言えるイノベーション立国を目指す我が国(閣議決定による)では,それぞれが自分の考えをしっかり表明できるように教育をするべきである。模範解答を打ち負かすような能力をつけられればさらに良い。従って,大学が
教育機関としてあるべき姿に対して もっとも誠意ある態度として,“模範解答”を公開しない
のである。数学においては模範解答を求めるようなことこそ,教育機関にあるまじきことであると思う。

予備校などの解答例には確かに首をかしげたくなるようなものもある。だがそれも1つの解答だ。好き嫌いはともかく,以上の観点からみて文句がなければ減点はされないだろう。そんなものも含め,学問的な立場から指導するのが高校教員の仕事であると私は考える。

反発は覚悟の上である。だがこれを読んで何かを感じた現場教員は,是非大学院などで数学を厳格に勉強し直してもらいたい。それが最終的に受験指導に役立つ

このことについて関連する書籍を1つあげておく。


コンピュータが仕事を奪う

コンピュータが仕事を奪う

  • 作者: 新井 紀子
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
  • 発売日: 2010/12/22
  • メディア: 単行本



著者の新井氏は、数々の著作を通じて数学を学ぶ意義などについて説いている。日本数学会の責任ある立場として、世に向けていくつかの提言を発信したりもしているが,本書では従来のものにまして非常に重要な指摘をしており、教育のあるべき方向を指し示していると言える。

大学入試の数学を採点する人たちは、およそこういうことを考えているのだと思っていただきたい。


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コメント 10

sobu

ここに書いたのは「教師向け」であるが,「受験生向け」には
http://d.hatena.ne.jp/next49/20100224/p5
をご覧になるのがよろしいかと思います。

by sobu (2011-02-24 12:58) 

OK

ご指摘、その通りだと思います。
しかし、受験生にとっては予備校の解答が模範解答であり、結果として、「模範解答以外は減点対象だ。模範解答を覚えておこう。」ということになっているのではないでしょうか。
たとえば模範解答を示さないにしても、出題意図を公表すること、採点基準の公表で、数学を学ぶ意義をさらに考えるきっかけを受験生に与えることができるのではないでしょうか。
いくら、本当は、~なんだ!と言っても、大学入試のシステム自体が変わらなければ、受験生の勉強に対する姿勢は変わらないと思います。だからこそ、こういった働きかけも必要ではないかと考えます。

by OK (2011-02-25 01:42) 

sobu

>OKさん。

コメントをありがとうございます。思うところが私とは少し違うところにあるようですね。

私も役目柄あちこちで数学の授業を見せてもらいます。

「受験指導に長けた有名な先生」は,その先生自身が数学的な背景を理解し,様々な考え方や他の問題への発展などを指導しておられます。一流の予備校でもそんな先生方がたくさんおられます。このところ「受験産業に学ぼう」とか言って高校教員が予備校などに授業見学に行く話を聞きますが,肝心の所を見てきていないように思えてなりません。

教師が「出来の悪い模範解答」を駆逐し,いい物を提示すべきです。最近のはやり言葉で言えば「リテラシー」ということになるでしょうか。それが出来ない教師には受験指導をする資格はない。受験産業が出す物は玉石混淆ですが,最悪なのはその「石」が「石」であることに気付かずに学校で授業に使っている教師なのです。受験生にその力はないでしょうから,ここが教師の出番です。教師は自分の責任でそれを見分けなくてはならない。そのためには,大学で学ぶような「数学の力」をつけることしかありません。

私は「数学の力」をつけ,それを教育に活かせるような学生を教員として世の中に送り出しているつもりです。小さい歩みですが,出来ることはそれしかないので,それを一生懸命やっています。
by sobu (2011-02-26 18:37) 

OK

その通りですね。高校生(大学受験をする)をみていて、数学を暗記で何とかしようとする姿勢が多くみられます。きちんとしたものをまずは覚えて、そこから理解していくという姿勢であればよいですが、どこのだれが解いたかもわからない模範解答の解答を一言一句丸覚えしてなんとかしようとしている姿勢は大きな問題だと思います。

教師としては、数学そのものをしっかりと理解したうえで指導することが大切ですね。小手先の受験テクニックを教えたところで、それには何の意味もないと思います。

予備校の授業に対して、受験テクニックを教えていると思っている人も多いと思いますが、ちゃんとした予備校で、多くの人から支持されている講師は「受験テクニックなんて意味ない」や「本質的な理解が必要」と指導していますし、そういうきちんと分かっている人の指導でないと力はつきませんね。

私は、これまで、テクニック(や簡単に解ける解法)を教えることで、生徒の関心を引き、数学を好きにさせることができないかと考えていました。(私はそれで数学が好きになった人)
しかし、本質的な部分を見ていくと、このテクニックだけを教えるという指導には問題がありそうですね。

(内容がblogテーマから少し離れてしまい申し訳ありません。)


by OK (2011-02-27 22:23) 

sobu

>OKさん

決して話はずれていないです。私は簡単に解けるテクニックやパターンを教えることが常に悪だとは思いません。新入生にアンケートを採ったことがありますが、特に数学はわかった時の喜びが学習の動機になっているケースが多い。そしてその「わかった」が「正解して丸をもらって肯定された体験」と分化出来ていないことがほとんど。だから入り口としては「あり」だと思います。ところが残念ながらそこで終わっていることが多い。教師の側がです。そしてそんな教師たちは自身が記述式問題に答えられなくもちろん指導も出来ない。そこで大学側に模範解答を出させてそれを振りかざそうとしている。それしか指導の仕方を思い付かないのです。

高校時代までそれしか経験せずに大学に入学する。ちょこっと「指導法」を教えてもらえば教師の仕事はできると信じている。我が方のように算数・数学教育の専門家がその考えを叩き潰してくれるならいいですが、そういう経験もなく教員免許をとる。そして期限付きで仕事を続けて行けばそのうち採用されると思ってる。今の学校現場にはそういう教師(の卵)を再教育する力はもはや残っていない。

これが数学教育の悪循環だと思います。

ちなみにセンター試験はそんな数学教師を保護し増やしています。
by sobu (2011-02-28 06:45) 

KY

ご意見読ませていただいてごもっともだと感じました。
"模範"解答はそれを「覚える」という姿勢を作り出します。

本筋からは逸れますが、個人的には覚えること自体は悪いことではないと考えています。
何事も先人の考えや方法・文化を模倣・真似することで社会はこれまで作られてきたと思うのです。
問題はそこに"考えること"が伴っているかであり、仰る通り今の受験数学(算数)の指導の中でそれがどの程度重視されているかは疑問もあります。
公式の丸暗記・テクニック・(いわゆる頻出問題の)決められた解法…
それでは考える力を育てることはできません。

一方で特に算数・数学には答え(解き方)が一つしかないという意識もまだ根強い。
これは脈々と続いてきた社会性で、なかなか崩しにくい価値観です。
そして、受験に対応するにはやはりテクニック・決まった解法というものもあり、それを指導しないわけにはいかない。
いたちごっこの様な印象受け、難しい問題だと思いました。
by KY (2011-02-28 16:33) 

sobu

>KYさん

「覚える」という言葉に対してどういう意味を持たせるかというご指摘ですね。全くその通りだと思います。

私は割合狭い意味で「覚える」という言葉を使うようにしています。すなわち「考え無しに覚える」です。そこで,小1から高3の理系数学までの間で,(狭い意味で)覚えなくてはいけないのは,2次方程式の解の公式と3角関数の加法定理だけだと言っています。

ある程度のテクニックについては覚えなくてはいけないというのは当然です。しかしここでの「覚える」は「ににんがしにさんがろくにしがはちにごじゅう」ではなくて,理解して覚えるべきです。これも大学1年生へのアンケートですが,数学が嫌いな理由は「難しい公式や解法をたくさん覚えなくてはいけないから」。しかし難しい公式やパターンを覚えるためには理解がいるのです。深い理解がなされていれば,似たような問題の解法を複数覚える必要はない。また一見違う問題でも同じパターンに持ち込める。

そういう指導をすることが「いい受験指導」です。

by sobu (2011-03-01 16:57) 

自由人

sobuさんこんにちは。自由人というネームでお分かりでしょうか(笑)

さて、尊敬するsobuさんに、珍しく疑問がありこのコメント欄にて質問させて頂きます。

sobuさん ≫
私は割合狭い意味で「覚える」という言葉を使うようにしています。すなわち「考え無しに覚える」です。そこで,小1から高3の理系数学までの間で,(狭い意味で)覚えなくてはいけないのは,2次方程式の解の公式と3角関数の加法定理だけだと言っています。

ここの部分ですが、
・2次方程式の解の公式
・3角関数の加法定理
の両方共に、自分で導き出せる物だと思いますが、何故 (狭い意味で)覚えなくてはいけないのでしょうか。

私が、学生の定期試験中に、上記両方共に パーンと飛んでしまい、その場で式を導いた事をよく覚えています。
※ それぞれ別々の機会でしたが…

・2次方程式の解の公式
・3角関数の加法定理
は、生徒自身がよく考えて、自分で導き出せるように指導された方が良いと感じ投稿させて頂きました。
by 自由人 (2013-02-07 08:36) 

sobu

自由人さん 最近マラソンはどうしていますかw

さてご指摘の件、なぜこの2つについて「丸暗記でもいい」というのかと言えば、それはこの2つについては、初めて習う段階では理解しにくく、しかもその後すぐにどんどん応用(適用)して行かなくてはならない定理だからです。

三角関数の加法定理についても様々な証明が知られていますが,図形的な証明を自ら導けというのは,少々ハードルが高い。複素数まで知った上での証明は非常に簡単ですし,行列を用いて回転変換を学べばそれでもいい。しかしそこまで到るのにはなかなか道が遠い。2次方程式の解の公式にしても,もちろん導けるようにする方がいいけれど,あの公式を忘れちゃう生徒にとって,平方完成をして導くなど至難の業です。

貴兄のように本質を理解する力を持っておられる方ならばもちろん自ら導けるように多方面から見るような指導が有効です。でも多くの生徒には難しい。だからこの2つを挙げています。最近は,対数関数の底の変換公式も入れて3つと言うようにしています。

by sobu (2013-02-07 14:20) 

自由人

マラソンは… 先日、丸亀ハーフを走ってきて、足がパンパンです。

Blogでは、式や図が書ききれませんので、また お逢いした時に詳しくお話を聞かせていただきたいです。

ご回答ありがとうございました。
by 自由人 (2013-02-08 08:11) 

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