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辞めること [自分の生き方]

凡そ大人の世界で,「辞める」というのは大変なことなんだと思う。

ダイヤモンド・オンライン
認められたい私、認めてくれない社会~「承認不安時代」の生き方~
【第5回】 2013年10月23日   梅田カズヒコ  (@umeda_kazuhiko) 
なぜブラック企業の社員は、会社を辞めないのか
http://diamond.jp/articles/-/43374

これによると,ブラック企業の社員がそれでもその会社を辞めない理由は,大別して3種類の理由があるという。なるほどと思う。裏を返すと,我々組織の一員として過ごしている者のあり方がが見えてくる。

ブラック企業の話を素人たる私が迂闊に語るのは不適切であるからおいておくとして,組織を辞めるときにはどんなことが起きるかを考えることにする。

多くの場合,どんな構成員でも何らかの意味でその組織内で存在意義がある。存在意義がないとされてしまうとこれはまた辛い話であるが,それも語る資格はないのでおいておく

組織から自分がいなくなるとなれば,組織は何らかの形でそれを埋めようとする。状況によっては人員補充をせずに「何とかしろ」というようなこともあって,それでマタニティハラスメントなどという状況が起きるとも言われているのだが、それもまたおいておく。普通は人員を埋めようとするものだ。

だから組織にポジションを持っている人は,余程のことがない限り「オレは辞めてやる」などとは口にしない。それが通じるのは漫画の世界だけである。一旦そんなことを口にしてしまえば,それが本心でなくても一人歩きをすることがある。それが大人の組織だ。だから転職を心に期す人も,まず辞める宣言をするのではなく,次の仕事を探して確定してから辞める宣言をするべきだと言われるのだ。

そこで思い出すのが,大相撲で大関まで上り詰めた、小錦八十吉である。彼は引退する場所の14日目の朝,師匠に引退の話をしたのだという。千秋楽にはハワイから家族を呼び,最後の取り組みを見せようと準備していたとか。しかし師匠はそれを聞いて即座に引退の手続きを取ってしまったのだという。引退するつもりの者が土俵に上がるのは,本気で相撲を取ろうとする対戦相手に失礼だ,と。厳しいが大人の社会はそういうものだ。

そんなこんなを考えているところでこんな記事を見た。

インパール作戦が敗色濃厚となり部下に自決したい旨を(慰留を期待し)相談すると、「死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。 形式的に止めないわけには参りませんが、責任を感ずるなら腹を切って下さい」と言われ、悄然としたものの自決することなく余生をまっとうした。 ― 牟田口廉也https://twitter.com/Deathbed_Bot/status/394694628458250240

昨日の「インパール作戦」呼ばわりに呼応してこんなのを見つけたので,笑ってしまった。

自分の周囲に起きた出来事に関連して思い出したことあれこれ。

インパール作戦だよ,これ。 [教育について]

皆さん,残念ながら日本も終わりました。もうこの国に未来はありません。

教員数、大幅削減で一致=地方交付税の加算廃止も―財政審
(時事通信 10月28日(月)16時3分配信)
 財政制度等審議会(財務相の諮問機関)は28日、2014年度予算案の編成に向けて、小学校や中学校の義務教育に対する国庫負担金の大幅削減を求めることで一致した。委員からは、少子化に伴って「児童・生徒の減少に合わせ、教員の削減はやむを得ない」などとする意見が相次いだ。  一般会計予算の2割近くを占める地方交付税交付金に関しては、リーマン・ショック後の景気対策として導入された「別枠加算」(約1兆円)の廃止を総務省に求めることでも合意した。ただ、地方自治体からは継続を求める声が強く、年末の予算編成に向けた調整は難航しそうだ。  財務省は28日の会合で、子ども1人当たりの教員数を維持しながら定数を2000人減らし、高い給与水準を地方公務員並みに引き下げれば、14年度の国庫負担金が約370億円削減できるとする試算を提示した。委員から異論は出ず、「良い教育のためには教員の数を増やせばいい、という考え方は古い」などとして大筋で了承された。 


話は財務省が決めることらしい。最悪なのは最後の文句。

「良い教育のためには教員の数を増やせばいい、という考え方は古い」


「古い」って何? じゃあ「新しい」は何で,それは良いものなの? 

バカとしか言いようがない。

教員の給料を一般公務員並みに下げるんだって。アメリカがそうだからかな。

ということは,日本の義務教育水準をアメリカ並みに下げるということだよ。待遇が悪い仕事にだれが一生懸命になるんだろう。増して,最近は精神的に辛い仕事になってるんだよね,教師は。

結局,教員のモチベーションは高いのが当たり前ということなのかな。給料がいくら低くても。
給料は低くても優秀な人材が教員になろうとするということなのかな。

あり得ないね。

つまりはさ,「飯は食わせないけれども気合いで何とかする」というインパール作戦の発想だよね。

その結果日本軍がどうなったのか皆さんよくご存じのはず。

日本の教育における転換の節目が来ました。

こんなものが通るようでは,日本はおしまいです。もう見込みはありません。わが子には海外移住を考えさせます。



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本当にどうしようもない [英語を勉強する?]

本当にどうしようもない。

英語教育、小3へ前倒し 5、6年は正式教科に 文科省が方針
msn産経ニュース 2013.10.23 13:20
正式教科でない「外国語活動」として実施している小学校英語の開始時期について文部科学省が現在の小5から小3に前倒しする方針を固めたことが23日、分かった。3、4年は週1~2回、5、6年は週3回実施を想定。小5からは教科に格上げし検定教科書の使用や成績評価も導入する。  早い時期から基礎的な英語力を身に付ける機会を設け、国際的に活躍できる人材育成につなげる狙い。今後、教科書の検定基準や評価方法などを検討、中教審の議論を踏まえて学習指導要領の改定に着手。平成32(2020)年までの実施を目指す。  日本語教育優先を求める声や「成績評価が英語嫌いを招く」との意見もあり、教員の指導力向上など実現には課題もある。文科省は他教科の時間数を変えず授業時間を純増させる考えで学校や子どもの負担増に反発もありそうだ。  正式な教科となる5、6年の授業では、基本的な読み書きなど中学校の学習内容を一部取り入れる。主に専門教員が担当するが、担任が指導するケースも。


今の英語教育が上手くいっていない理由はいくつもあるのだけれど,少なくとも今の中学校の現状を見ると,中学校の英語の授業時間が少なすぎると思う。何しろ,週に3時間だ。

これではトレーニングの時間は取れない。勢い,家で宿題となる。国語の本読みだってつきあえない親が多いのに,英語の音読につきあえる親がどれだけいるか?

もう過ぎたことなので我が子の恥をさらすが,うちの長男は中1の1学期で落ちこぼれかけた。いや,完全に落ちこぼれていた。親が気づいて手を打ったので今は笑い話にできるが,はっきり言ってうちだからできたことだ。実際,中1の段階での落ちこぼれ率は人々が思うより遙かにひどいだろう。

小学校で週1回とか2回とか。そういう薄いトレーニングを4年もやったところで効果はない。むしろ週に10時間英語なんてしてやればずいぶん効率は良いだろう。週20時間なら,半年もやればちゃんとしゃべれるようになるはずだ。

ある程度時間をおいて次のステップに行くことも,記憶の理論から言って意味がある部分もある。しかしこの英語の導入に意味があるとは思えない。悪い意味の「枠のぶんどり合戦」に見える。

まだこんなことをやっているのかと思うと暗澹たる気持ちになる。



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考える力をどうつけさせるか [教育について]

北尾吉孝氏(SBI ホールディングス)。森信三語録はもちろん,その関係の著作も読んでいる。とにかくいちいち頷くことばかりで,ここに取り上げることをしなかったのだが,これは取り上げざるを得ない。

『「ネット依存」について』 2013年10月17日 16:43
http://www.sbi-com.jp/kitao_diary/archives/201310177424.html

ちょっと引用させていただく。
調べ物をする上で大変便利で効率的であることは間違いないのですが、ネット依存が過度に進行した結果、自らの頭で考えるといったことが薄らいできている部分が無きにしも非ずというような感がするわけです。


ICTですぐに「答え」が得られるならば,自らの頭で考えることをしなくなるのは自明の理。そうやって多数の愚者とそれに乗らなかった一部の賢者がいるだけという社会はいかながなものか。

いやいや,考える力をつけさせるには,答えを与えないことが大切なのですよ。我々はそこを逆手にとって,答えを与えておいて「なぜか?」と問いますが,それとてなかなかできるようにはならない。

若い頃,たとえば10代までは自分の頭で考えさせることが必要なのです。答えを検索させてはいけない。


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コンピュータの使えない年寄り [社会の問題について]

昨日に続いて読んだ冷泉彰彦氏のコラム。

「国際成人力調査」日本トップは喜べるのか?
Newsweek 日本版オンライン 2013年10月15日(火)
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2013/10/post-594.php

「天才は少ないが、スキルの高い中間層」が「日本のものづくりの原動力」などと言いながら、その「ものづくり」の現場では作業レベルのプロセスはどんどん国外に出しています。つまり「分厚く優秀な中間層」が活躍できる仕事は減っている


「コンピュータが使えない管理職が優遇され、使える人間は作業レベルだとして低賃金に据え置かれる」というカルチャーを克服することが重要


全くその通り。私も年寄り組ではあるが,それほどコンピュータが使えないとは思っていない。

さらに言おう。教育の現場ではすでに一生懸命やっている。十分だ。しかし私が電子教科書の導入に反対すると,このコラムでも指摘されているような「ITを使えないと世界とは太刀打ちできない」と言って突っかかってくる人がいる。私は小中高での電子教科書の導入には反対しているけれど,別にITが使えなくて良いと言っているわけではない。むしろ大学生はちゃんと使えるように教育すべきだと言っているし,実際にやっている。

それを使えるようにするには人間の側にそもそも思考力が必要だ。深く考える力がなければ単に情報集めをするだけ,検索オンリーの愚か者を量産するだけだ。だが子どもの頃からITばかり使っていると,その力をつけるチャンスがなくなる


と言っているのだ。だからこのコラムにあることには大いに賛同する。

評価においては,評価者の力量が問われる [教育について]

ちょっと見落としていたのだけれど,これはおもしろい。

冷泉彰彦
大学入試への「面接導入」、本当に可能なのか?
Newsweek 日本版オンライン2013年10月08日(火)10時55分
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2013/10/post-592.php

60%はジョークと述べておられる。確かにシステムとして導入するという立場からすればジョークかもしれないが,我々大学教員からすると,なかなか厳しい指摘だ。

本学部は「教員養成」という枠がかかっているので,
「お辞儀がどうの」とか「ノックして入れ」などという「上下関係のヒエラルキーを前提としたコミュニケーションのスタイル」

から逃れられるかは,学校教育全体がどうあるべきかということについての社会的な合意が必要となるが,それは「職業訓練校」の性質を持っている,本学部の特殊なケースかも。

いわゆるリベラルアーツの延長であったり,技術者を養成したりするためには,ここで指摘されているぐらいのことが必要。ただしそれには評価する側の力が要る。

評価においては,評価される側だけではなく,評価する側の者の力量が問われる。


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やらねばならぬ [教育について]

東工大・三島良直学長のインタビュー記事を見た。

日経ビジネスオンライン  2013年10月23日(水)
理工系国内トップ校でも「欧米基準では『講義の質が低い』」
東京工業大学・三島良直学長が切り込む教育改革
田中 深一郎
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20131021/254828/

今の,そしてこれから自分の進む方向としては,三島氏の以下の発言がすべてである。

三島:イノベーションを創出するには、学生が発想豊かでいられるかどうかが重要だ。教養系科目や(異なる研究分野の)融合分野の科目を充実させ、受け身でチャレンジしない傾向のあった学生に幅広い考え方を身に着けさせる。守備範囲が広く、しかも非常によく考える癖を持つ学生を育てたい。それに加えて、コミュニケーション能力の向上も大事。異分野の人と話をして吸収する能力を磨くことで、全く新しい概念を発想することができる。


そしてそのために必要なこととして,次のように述べている。

三島:ノーベル賞を取るようなレベルの研究者は“仙人”のような人でもいいかも知れないが、そうした人はごく限られる。アカデミアに進む人でも、きちんとした教養やコミュニケーション力を身に付けることが大事だ。大学の先生が幅広い見識を持ち、専門分野以外のこともよく知っていて、学生に「今、世の中はこういう動きになっているよ」と教えられるようでないといけない。こうしたことがうまくできていないのが、今の日本の大学の苦しい点だ。専門分野の研究はずば抜けていても、幅が広い教員というのはなかなかいない。


すべきことはこれだ。やらねばならぬ。


(以下,2013.10.25 加筆)
私が岡山大学に勤め始めてから21年目。その前半は「教養教育切り捨て」の歴史でした。本学でも教養部が廃止され,体育の教員全員と,語学教員の一部が我が方へ配属され,しかし(当時)教育学部で必要な定員よりも遙かに大きな所帯となったことから,知らないうちにだんだん椅子を召し上げられ,しかし一般教育の体育の授業負担は残る。そういう状況の下,こんどは英語教員も減らされ,英語の授業の負担だけが残る。今は英語教育講座以外でもすべての講座で1コマずつ英語専門でない教員が英語を担当させられている。

そんな中,少なくとも中高で英語が嫌いだった,できなかった私が,なぜか英語の授業研究をし,英語の授業を何回も担当することになった。気づいてみれば数学の講義も英語で出している。

だがそんなことがこの三島氏の言う「教養」や「幅広い見識」や「コミュニケーション力」につながっているのではないかと思っている。

来年からはそれを前面に出して任務に当たりたいと思っている。



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辛いけど読みました [自分の生き方]


ルポ 虐待: 大阪二児置き去り死事件 (ちくま新書)

ルポ 虐待: 大阪二児置き去り死事件 (ちくま新書)

  • 作者: 杉山 春
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2013/09/04
  • メディア: 単行本




[2013-10-09 14:28 に書いたこと]
どうしても読まなくてはいけないと思って読み始めたが,50ページで辛くなった。でも読まなくてはならない。一応満天下に公言する。そしてそのうちこの記事も書き換える。
ここに書いたことだし

[2013-10-09 15:45 に書いたこと]
この本。生育歴などについて,高校卒業のところ(3章の途中)まで読んだ。

子どもには母親が必要である。しかしある時期から今度は母親が子離れをしなくてはならないのだ。
自分のことを思うと,私が10歳の時に父が他界し,母は精神的に私に頼っていた感もあったようだが,29歳で岡山大学に職を得たときも,周囲の「なんでそんな遠くへやるの?」という声を無視して送り出してくれた。それも大切なのことなのだ。たまたま周囲に,おそらく母親が子離れしていないであろうと思われるケースを見ているので,余計にそんなことを思う。
ここに書いたことはやはりそうなんだと強く思う。

[2013-10-09 17:35 に書いたこと]
この本。名古屋で子ども2人を抱えて大変な思いをしながらも,周囲に助けを求められずに孤立していく様子(第4章)までを読んだ。

自尊心のある大人が他人に対して助けを求めるというのは,その相手に対して信頼がなくてはならない。
ここまでを読む限り,筆者の見立ては周囲にも強制的に踏み込めない状況があるし,本人もそれにすがろうという信頼がない。その勇気を振り絞って公的なところに保護を求めても,それに対して思うような反応がないときに,自分は見放されたとの感覚を強く持ってしまう。

自分一人の殻に閉じこもって,ほんの少しの情報を悪い方に捉えてしまい,勝手に疎外感を募らせてしまう。たまたま身近にそういう人がいるのだが,そうなってしまうと救いの手をさしのべてもそれにすがることができなくなってしまうというのは,割合実感を持って理解できる。もっとも,私の身近な例においては,長い間ずっと救いの手をさしのべている者に向かってまで毒を吐くので,救いの手も引っ込められてしまうのだが。

この件についてここに書いてからもう3年も経つ。我が子たちはもうずいぶん成長したのだが,親の仕事はまだ終わっていない。子どもたちが安心して巣立っていけるように背中を押してやり,万が一刀折れ矢尽きたときには帰って来てもいいんだという安心できる巣であるように,こちらも幸せに生きなくてはならないのだ。
****************

全編を読み終えて。この社会が,弱者に厳しい社会になってきていることは実感があったのだけれど,改めてこうやって突きつけられると苦しい。子どもを死なせてしまった女性を擁護するのもどうかとは思うが,そしていかなる理由があったとしてもそれは許されるものではないけれど,だからといってあの当時のこの女性に対する無責任な興味本位のバッシングに対する不愉快さは忘れない。

たまたま,こんな記事に,全然違う状況ながら同じことが書いてあったのを読んだところだが,みんななんでそんなにギスギスするようになってしまったのだろうと思う。この女性もそういう社会のなかで,誰からも相手にされず(と思ってしまい,かな),非常に狭い世界しか自分を肯定してもらえないと思ってしまったこと。この辺に悲劇があった。

さて,自分はどうする? 社会を変えるなんて大きなことは簡単にはできない。だが自分の周囲だけはこうならないようにしたい。そのぐらいしかできることはない。まずは自分の家族。そして周囲の学生。少しずつでもやっていくしかない。

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