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辛いけど読みました [自分の生き方]


ルポ 虐待: 大阪二児置き去り死事件 (ちくま新書)

ルポ 虐待: 大阪二児置き去り死事件 (ちくま新書)

  • 作者: 杉山 春
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2013/09/04
  • メディア: 単行本




[2013-10-09 14:28 に書いたこと]
どうしても読まなくてはいけないと思って読み始めたが,50ページで辛くなった。でも読まなくてはならない。一応満天下に公言する。そしてそのうちこの記事も書き換える。
ここに書いたことだし

[2013-10-09 15:45 に書いたこと]
この本。生育歴などについて,高校卒業のところ(3章の途中)まで読んだ。

子どもには母親が必要である。しかしある時期から今度は母親が子離れをしなくてはならないのだ。
自分のことを思うと,私が10歳の時に父が他界し,母は精神的に私に頼っていた感もあったようだが,29歳で岡山大学に職を得たときも,周囲の「なんでそんな遠くへやるの?」という声を無視して送り出してくれた。それも大切なのことなのだ。たまたま周囲に,おそらく母親が子離れしていないであろうと思われるケースを見ているので,余計にそんなことを思う。
ここに書いたことはやはりそうなんだと強く思う。

[2013-10-09 17:35 に書いたこと]
この本。名古屋で子ども2人を抱えて大変な思いをしながらも,周囲に助けを求められずに孤立していく様子(第4章)までを読んだ。

自尊心のある大人が他人に対して助けを求めるというのは,その相手に対して信頼がなくてはならない。
ここまでを読む限り,筆者の見立ては周囲にも強制的に踏み込めない状況があるし,本人もそれにすがろうという信頼がない。その勇気を振り絞って公的なところに保護を求めても,それに対して思うような反応がないときに,自分は見放されたとの感覚を強く持ってしまう。

自分一人の殻に閉じこもって,ほんの少しの情報を悪い方に捉えてしまい,勝手に疎外感を募らせてしまう。たまたま身近にそういう人がいるのだが,そうなってしまうと救いの手をさしのべてもそれにすがることができなくなってしまうというのは,割合実感を持って理解できる。もっとも,私の身近な例においては,長い間ずっと救いの手をさしのべている者に向かってまで毒を吐くので,救いの手も引っ込められてしまうのだが。

この件についてここに書いてからもう3年も経つ。我が子たちはもうずいぶん成長したのだが,親の仕事はまだ終わっていない。子どもたちが安心して巣立っていけるように背中を押してやり,万が一刀折れ矢尽きたときには帰って来てもいいんだという安心できる巣であるように,こちらも幸せに生きなくてはならないのだ。
****************

全編を読み終えて。この社会が,弱者に厳しい社会になってきていることは実感があったのだけれど,改めてこうやって突きつけられると苦しい。子どもを死なせてしまった女性を擁護するのもどうかとは思うが,そしていかなる理由があったとしてもそれは許されるものではないけれど,だからといってあの当時のこの女性に対する無責任な興味本位のバッシングに対する不愉快さは忘れない。

たまたま,こんな記事に,全然違う状況ながら同じことが書いてあったのを読んだところだが,みんななんでそんなにギスギスするようになってしまったのだろうと思う。この女性もそういう社会のなかで,誰からも相手にされず(と思ってしまい,かな),非常に狭い世界しか自分を肯定してもらえないと思ってしまったこと。この辺に悲劇があった。

さて,自分はどうする? 社会を変えるなんて大きなことは簡単にはできない。だが自分の周囲だけはこうならないようにしたい。そのぐらいしかできることはない。まずは自分の家族。そして周囲の学生。少しずつでもやっていくしかない。

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コメント 5

noah

私は県内のK市小学校の非常勤講師(パートタイマー)です。少人数指導で算数を担当しています。
今夏,教員免許更新講習で先生の講義を受講させていただきました。
目からうろこでした。そのキーワードは「算数・数学は言語活動である」,「わかるということは直感的なものである」でした。
現場では指導方法ばかりが研究されていて,本質の追求が話題になりません。
個人的には算数・数学の本質を見ずして,方法は語れないとずっと感じていました。
私は算数・数学がきらいです。今でも分からないし,子どもの時もできなかったから・・・。ましてや教える資格があるのか。
でも,今回の講習で興味がわいてきました。自分の歳を考えるともう遅いかのかもしれませんが。
講習後,今日で先生のブログすべてのカテゴリーを読ませ
ていただきました。楽しかったし,勉強になりました。

今後も先生に算数・数学教育のあり方を大いに語っていただきたいと思います。勉強させていただきます。
更新を楽しみにしています。

突然のコメントで失礼しました。


by noah (2013-10-10 21:23) 

sobu

noah さん

コメントをありがとうございます。
今年の小学校向けの講習は、焦点がぼやけてしまっていいものにならず、申し訳ありませんでした。評判もあまり良くありませんでしたが、何かお役に立てたのならば幸いです。

むしろ、どんどんご意見をください。古い記事に対してもそのコメント欄に感想などいただければ幸いです。

by sobu (2013-10-10 22:41) 

noah

早速のご返答ありがとうございます。
私個人にとって先生の講義内容はピンポイントで,普段疑問を抱えていた私にとっては焦点は明確でした。

四人グループで協議し,先生に与えられた課題を理解できなくて,雑談に終わったグループを見て現在の算数に取り組む教員のレベルの〇さに閉口しました。もちろん,講義を受ける前の自分も同じ穴のむじなだったと思っています。

先週と今週に学校の研究授業で「長方形・正方形の面積を求める公式」を利用して,これを使って複合図形(たとえばL字型図形)を分割し,二つの長方形に分けてそれぞれの面積を求めたあとから足す。または,全体の面積を求めてあとから不要な部分を引く。そうすると答えは求められる。という内容でした。
しかし,授業後5名ほどの児童は,図形を分割すると面積が変化するのではないかと支援員の私に質問してきたのです。
このとき私はハッとさせられました。「量の保存性」の概念が身についていないのではないかと。。。
このような学習行動予測を把握せずに授業を展開した我々に多大な責任があるのではないか。いや責任があるはず。

公式に当てはめると答えは出る。確かにほとんどの児童は正解を出していました。私はこれで授業は成立したとはどうしても思えなくて悶々としていました。

翌日,そのクラスで一枚の長方形の画用紙を横長に提示して(教科書には必ずと言っていいほど横長の長方形が出てくる),次に縦長に見えるように動かして提示し「面積は変わりますか?」と質問してみると半数近くの子どもたちは困った表情になりました。

私個人の考えでは,この現実をほったらかしにして次時を進めるのは滑稽だと思います。しかし,時間数確保を迫られる現場においてどうすればよいのか。そこに葛藤が生じています。

ぜひ,sobu先生からのご批判は覚悟で,指導をいただけたらと思います。よろしくお願いします。

これからも納得のいかないことがあるときは,我々現場の教師が向かうべき方向はどこなのか道標をご教授願いたいと思いますm(__)m。
by noah (2013-10-12 05:36) 

sobu

noahさん 非常に重要な指摘ですね。子供達はいいことに気づきました。紙を動かすと面積が変わって見える。そこで、『面積が同じとはどういうことか?』に議論が向けばいいですね。もちろん技能も大切ですが、こんな本質に気づいてしまったのだから、大切にしてあげたいです。升目数えなら、掛け算の交換法則に話がいくかもしれないし、高学年なら円の面積に行くかもしれません。私は、そういう議論に時間を取ることは、子供たちの心に残る、すなわち定着につながると思いますよ。

by sobu (2013-10-13 02:32) 

sobu

続き。だから結局「出来る」ためになると思うのです。解き方を覚える方法は、問題演習によるトレーニングばかりではないですよ。
by sobu (2013-10-13 02:35) 

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