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評価においては,評価者の力量が問われる [教育について]

ちょっと見落としていたのだけれど,これはおもしろい。

冷泉彰彦
大学入試への「面接導入」、本当に可能なのか?
Newsweek 日本版オンライン2013年10月08日(火)10時55分
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2013/10/post-592.php

60%はジョークと述べておられる。確かにシステムとして導入するという立場からすればジョークかもしれないが,我々大学教員からすると,なかなか厳しい指摘だ。

本学部は「教員養成」という枠がかかっているので,
「お辞儀がどうの」とか「ノックして入れ」などという「上下関係のヒエラルキーを前提としたコミュニケーションのスタイル」

から逃れられるかは,学校教育全体がどうあるべきかということについての社会的な合意が必要となるが,それは「職業訓練校」の性質を持っている,本学部の特殊なケースかも。

いわゆるリベラルアーツの延長であったり,技術者を養成したりするためには,ここで指摘されているぐらいのことが必要。ただしそれには評価する側の力が要る。

評価においては,評価される側だけではなく,評価する側の者の力量が問われる。


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