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Hradcany(プラハ城)から見たプラハ市街 [2000 in Praha]

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4月29日プラハ城に遊びに行きました。これはプラハ城正門前から見たプラハの風景です。(クリックで拡大)


Praha市内交通(路線図)  [2000 in Praha]


 

 市内のトラムのステーションに張ってある,市内交通の路線図(2000.9.1)現在です.3種類あります.写している側が見えるのはご愛敬.それぞれに原版の大きな画像が付けてありますので,詳しくご覧になりたい方はどうぞ.これでも市内中心部(ヴァーツラフ広場周辺)などは,ずいぶん前にトラム(路面電車)を廃止して「歩行者天国」にしています.

プラハ市交通局のサイトはこちら(英語版)
ここに挙げてあるものはあくまでも2000年9月のものです。現在の最新版はこちらからご確認ください。

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これは市内を走るメトロ(地下鉄)とトラム(路面電車)の路線図です.よく見ると一つの線を複数のちがう路線が走っています.旅行者には最初は難しく思えますが,なれてしまうととても便利です.

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これはメトロとバスの路線図です.トラムが中心部をメインに,郊外へのびるのに対し,少し外側,特に川を渡った先のバスステーションから出発していて,その路線も大変充実しています.


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これは夜中の特別路線図です.昼間とはちがって,主要部分だけを結ぶ特別路線が午前0時頃から40分間隔で朝まで走っています.こうしたものがあれば,人々は中心街で飲んでも,またコンサートやオペラに行っても家へ帰れるのです.



プラハの市内交通とヴルタヴァ河 [2000 in Praha]

プラハの市内交通・ヴルタヴァ河とのつきあいについて。

 言うまでもないことであるが,プラハはヴルタヴァ(モルダウ)河の畔に出来た街である.古くから都市は川や海に沿って栄えるケースが多いのは水が得やすいから,また交易に便利だからであるが,一方でこれは川の対岸との交通にを考えたときには難点の一つである.現在でも川を来るまで渡る=橋が渋滞のポイントとなっているところが多いことはどこの都市でも共通の課題だろう.ところがこの問題についてこのプラハはすばらしい解決をしていると思う.手元にあるプラハ中心部の地図1:15000は,前ページの地下鉄路線図のほとんどの部分が入るが,この中で数えるとヴルタヴァ河には11本の橋が架かっている.このうちもっとも古い「カレル橋」は,600年からの歴史を誇り,その堅固さには目を見張るものがあるが,現在では歩行者専用で,観光対象としてのイメージが強いが,旧市街からプラハ城のふもと・小地区への交通路として歴史的には重要,見方を変えれば,この橋があったからこそその両岸が発展したのだという言い方も出来るだろう.この橋と,鉄道専用橋の2本を除く残りの8本のうち1本を除くすべてにトラムが走っている.特にカレル橋の南の,国民劇場の前から架かっているレジー橋,その南のパラツケ橋にはたくさんの路線が通っており,芸術家の家・ルドルフィヌムの前に架かっているマーネス橋を越えた路線は,小地区から来るトラムと合流して,ヘアピンカーブを登っていく様は,結構見物である.また北(東)にあるシュテファンク橋を渡ったトラムが,山登りをしているところは遠くからもよく見える.

 近いうちにこれらの状況を写真入りでご紹介するのでこうご期待.

プラハ市内の交通について(2000年9月のようす) [2000 in Praha]

 プラハは人口およそ120万人の都市である.もっとも,常に観光客でにぎわっており,都市別の年間観光客数もヨーロッパで第7位だとか.そんな街であるからか,歴史的に古くから栄えたからか,また共産主義時代の名残もあるのだろう,市内の交通はとても便利である.この歴史を知るために,市内交通博物館が作られている.これもとても興味深い.

 よそから来たお客さんにとってもっとも簡単に使えるのはメトロ(地下鉄)である.これだけの人口であるから,たくさんあるわけではないのだが,これで充分だろう.これが地下鉄の路線図とヴルタヴァ(モルダウ)河の関係である.
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駅名については,出来るだけ和訳して記した.ホレショヴィツェは登山口,ムーステクは小橋,デイヴィツカーは歴史的な場所というような意味だがよくわからないので原語をカタカナ表記にしてみた.ガイドブックなどでもこのようなカタカナ表記を用いているようだ.

メトロと中心部


 ムーステクからデイヴィツカーまでが4駅目でおよそ7分,フローレンツからホレショヴィツェも2駅目で5分ぐらいである.B線,およびA,C線の南の方は郊外まで延びていて,特にC線の走るプラハ4区は住宅地として開発された地域である.ヴルタヴァ河をくぐる形で走る路線が多いため,大変深いところを走っており,エスカレーターが長く,乗るまでに時間がかかるのが少々難点か.しかしこの地下鉄は実は川をくぐるために作ったと言うべき部分もあり,この深さについては我慢しなくてはならないと思う.時刻表ははっきりしていないが,「5分間隔」などと示してあり,プラットフォームには前の列車が出てから何分何秒経ちましたという掲示があるので,だいたいあとどれくらいで来るかわかる.

 上の図を見ると中央に3角形が出来ていることがわかる.この3角形は歩いてでも行ける程度の距離なので,環状線としての役割をになっているとは思えないが,中央を1つの駅にしなかったことは大いに評価できる.ムーステクから博物館までの間は,プラハの中心・ヴァーツラフ広場の真下を通っている.ムーステクから西に行けばナロドニ通りからヴルタヴァ河の畔に国民劇場(ナロドニ・ディヴァドロ),東に行けば共和国広場からフローレンツへとつながっている.共和国広場の近くには国内列車の発着するプラハ=マサリク駅.国際列車は中央駅かホレショヴィツェ駅を発着するものが多い.フローレンツには大きなバスターミナルがあり,国内・国際長距離バスはほとんどここから発着する.従って,この3角部分が交通の要衝と言って良い.

トラムとバスの役割


プラハ空港は,A線の終点デイヴィツカーからバスで約20分ほど西に行ったところにある.ここだけでなく,郊外にはバスもあちこちに,また頻繁に走っているが,その路線は基本的にはこうした中心部から離れた駅がターミナルになっている.私自身がよく知っているのはデイヴィツカーとホレショヴィツェだけだが,どちらからも多くのバスが走っている.これは一つの知恵であろう.すなわち,町の中心部にバスが入ってくると,排気ガスも多く環境や建物に良くない.中世のままの街並みを残していると言われるこの街プラハには,バスの排気ガスはあまり似つかわしくない.

 もう一つ,日本人観光客には難しいようだが,使えるようになるととても便利なのがトラム(路面電車)である.今はムーステク近辺からヴァーツラフ広場,共和国広場南側などはトラムは廃止されて歩行者専用となっている部分が多いが,それでも街中に縦横無尽にトラムが走っていて,それらは平日なら7分から10分間隔の運行.しかも同じようなところを走っている路線がたくさんあり,中心部ならほとんど待たずに乗ることが出来る.また停留所には時刻表の他に「ここに来る○番のトラムはこういう順で止まります.どれだけ時間がかかります」とすべて書いてあるため,大変わかりやすい.これはバスにも同じことが言える.たまたま手元にスキャナなどがないので,インターネットに路線図やそうした時刻表を載せることが出来ないのが残念だが,これになれてしまうと夏場などは,時間的にゆとりがあれば,深いところを通るメトロよりもトラムを使いたくなるというものである.実際,トラムも朝から遅くまで割合混んでいる.あまり詳しくは知らないが,上に述べたメトロの終点がバスターミナルというのは,実は元々はトラムの終点がバスターミナルであったようである.大きなビール工場がよく知られている,トラム16番の終点・ブラニーク駅前はバスターミナルになっている.地下鉄は3路線である.上下合わせて6方向に放射状に伸びていると見るならば,ざっと路線図で数えてみるだけで,トラムは15方向に放射状に伸びていると言えよう.そのすべての終点がバスターミナルになっているわけではないが,この充実ぶりは100年からの長い歴史を誇るすばらしいシステムであることがおわかりいただけるだろうか.
ヴルタヴァ河をどう渡るか,という大問題があるが,この件についてはこちらのページに改めて書くことにする.

 もう一つうれしいことに,トラムは書いてある時刻表通りに来る.日本人にとっては当たり前かも知れないが,世界的には希有なことであろう.

 トラムとバス,それぞれの路線図はこちら.少し見にくいが上の図と合わせてメトロ,トラム,バスの役割について見てもらいたい.

深夜の足


 繁華街がにぎわうかどうかの一つのポイントとして,夜遅くに帰る足があるかどうかがある.深夜・早朝については,メトロは朝5時頃から夜は午前0時頃まで.治安の問題もあるので夜中は追い出される.トラム,バスについては夜中は特別の路線が運行されており,主に繁華街から郊外へ,あちこち回って走る深夜路線が,だいたい20分から40分間隔で走っている.タクシーについての評判はあまり良くないこの街であるが,これがあることと,比較的治安が悪くないので,夜中まで町中で遊んでいても安く家まで帰ることが出来る.
深夜交通の路線図もこちら.とても便利なのがわかる.

料金制度


 各種ガイドブックなどで見ることが出来るが,市内交通(メトロ,トラム,バス)は共通券で乗ることが出来る.料金は大きな分け方をしたゾーン別時間制である.このほか市内には登山電車もあり,これもほぼ共通である.各種チケットの詳細は書かないが,同じゾーン内1時間券がKc12である.こちらの物価を考えても,これは安いと思う.乗り降りのときにいちいち改札はない.基本的に運転手は運転するだけである.自分で改札機に切符を入れて改札すると,乗った日付時刻が印字される仕組みである.バスやトラムの車内でチケットを買えないのは問題だが,一人一人改札していては時間がかかる.それがないから,ぱっと乗ってぱっと降りるだけなので,遅れることも少ない.ではどうやってチェックをするのか.時々私服の検札係が車内に乗り合わせていたり地下鉄構内にいたりして,突然職員証をみせ,検札を始める.チケットを持っていないと直ちに正規料金の15倍から25倍の罰金を取られ,出さないと身分証をチェックされる.券を持っていても,改札機を通していないと無効である.改札をしているひとを見ることが多くないので,旅行者などは,チケットの買い方がわからないこともあるかも知れないが,まあ無賃でも何とかなると思う人が多いようだが,さにあらず.人々の多くは定期券のようなものを持っているのである.定期券は1ヶ月,3ヶ月,1年とあり,月末から月初め,3,6,9,12月末にそれぞれ売り出される.ここには国民全員が持っている登録番号を書かなければならず,またその件のホルダーは写真付きである.従って他人がちょっと借りて,というわけには行かない.

 こうした制度は我が街・岡山をはじめ,日本ではどうなのだろうか.あまり上手く行かない気もする.たとえば検札係に捕まった人が,だってあの人もあの人もただ乗りだ,不公平だ,なんてまぜっかえしたり,逆に検査係に頼み込んでチャラにしてもらったり,そういうことになるだろう.欧米諸国と日本では「公平性」の概念が若干違う.別のところでも書いたが,国の機関の役人でさえ,「あの人にこういうことがあったんだ,自分も同じだ,認めろ」というような主張が受け入れられないこともある.またこの国のことは翌知らないが,検査係はその罰金の歩合制で給料が決まるところがあると聞いたことがある.そうだとすると,その検札係はかわいそうな商売だ.欧米なら「それは彼のビジネス」と割り切るだろうが,日本では「あの人,イヤな人」と,どういうわけか個人批判になってしまうような気がする.そうなったら検札係など誰もやりたがらないだろう.特に岡山のような地域社会では..

高齢者とパートナー


 これはヨーロッパ各国であることだが,犬を連れて乗ることが許されていることが多い.ベビーカーはもちろん,自転車も許されていることがある.またチェコ語が読めない私にははっきりしないが,老人パスのようなものがあると思われる.そこでかどうか,街には高齢者の方々がたくさんおられ,杖を突いていながら犬を連れたご婦人など,当たり前である.全体的にメトロもトラムもバスも運転は荒いと思うが,そうした高齢者の方々に座席を譲るというのはもう至極当たり前の光景で,あちこちで見ることが出来る.仕事をリタイヤした高齢者の方々が,何となく公園に,ちょっとした買い物に,と街中へどんどん出てこられることは,本当にうれしい.これが街の活気を物語っているような気がする.

車との関係


 人々の多くは車を持っているようだが,町中には駐車場が十分でない.特に昔の街並みをそのままとどめるために,ビルを壊して駐車場を建てるなどということがないためも一つの要因であろう.またこの国の人はビールが大変好きである.飲酒運転については厳しい国柄らしいので,それもあって町中に来るまで来るなどというのはバカげたことであるということになる.

 路面電車の良さについてやっと見直されてきた昨今である.地下鉄・バスと組み合わされて出来ているこの街の交通システムは,我がまち岡山も見習う点が多いと思う.

Dejvice-Budenec の街並み [2000 in Praha]

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地下鉄Hradcanska の駅前です。実はここは国鉄 Praha-Dejviceの駅もあるのですが、トラムの方が立派なくらいの田舎駅です。右手前に見えるのは花屋さんです。これはイースターの前の日曜の午後なので人通りはまばらですが、普通はもっと人通りの多いところです。
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駅から住まいまでの間にちょっと寄り道をしてみました。歩道の上に見える黄色と緑の塊は、ごみ箱です。ビン&カン、紙または燃えるごみ、プラスチックなど燃やさないごみの3種分別です。
ヨーロッパのどの街でもそうですが、どこも古い街並みを塗りなおす程度でそのまま残しています。ここも例に漏れず、ゴシック風、バロック風の建物が、塗りなおしたところとそうでないところと混在しています。

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実は上の写真もこの写真も、アメリカ大使公邸を背にして撮っています。この公邸前は必ず銃を持った兵士か警察官が周囲の警備にあたっています。本当はその建物が立派なのでそれをご紹介したいのですが、警備の人にとがめられるのが怖くて、普通の町並みだけをご紹介しています。

プラハ・近所の様子 [2000 in Praha]

近所の様子 praha-nbd1-20000001.jpg最寄駅は地下鉄A線 Hradcanska 駅です。現地の人の発音を聞いていると、ハラチャンスカ、またはラチャンスカと聞こえます。 praha-nbd1-20000003.jpgここはトラムがたくさん通っていてとても便利です。 praha-nbd1-20000005.jpgトラムのプラットフォームが上下線あって、しかもそれらが2つずつ分かれているところからも、いかに多くの便があるかわかります。 praha-nbd1-20000007.jpg駅前からこの道をまっすぐ行きます。 praha-nbd1-20000009.jpgそしてちょっと交通量の多い交差点を渡ってこの道を行きます。右に見えるのはエジプト大使館、左側には子供のための音楽学校があります。 praha-nbd1-20000011.jpgそしてまっすぐ行くと、この迎賓館にたどり着きます。ちなみにこの写真の右側向かいには中国大使館、左側向かいにはチェコの警察本部があります。 praha-nbd1-20000013.jpg 通用口を過ぎてまっすぐ行くと、右側にはブリティッシュスクール、さらに行くとこういう大きな広場に出ます。大体土地柄としては東京・広尾(チェコ大使館があります)のようなところで、さらに緑が多くとても静かなところです。

プラハのおうち [2000 in Praha]

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チェコ科学アカデミーから支給されたわれわれの住まいは、この建物の向かって左の端の窓2つ分です。
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この左側の茶色の建物は、管理人さんの家。とても親切なご一家です。
20000002.jpg子供の遊ぶスペースはたくさんあります。
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これがチェコ科学アカデミーの「迎賓館」のようなところです。元はだれかえらい人のお屋敷だったんでしょうか。この裏庭に、われわれの宿舎が用意されています。
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その大きなお屋敷を裏側から見るとこんな感じです。
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そんなわけで、出入り口は正面ではなく裏にあります。この小さいほうが通用口、大きいほうは車両用です。20000006.jpg
このお屋敷はちょうど道が二股になったところにあります。
そこを左側に行って通用口に入ります。これは裏のほうからみたところ。

プラハの様子 [2000 in Praha]

我が家は2000年4月13日から,2000年12月10日まで中欧・チェコ共和国の首都・プラハに住んでいました。中世の趣を残す,とても魅力的な街だと言われています.街の様子を目に付いたところからお知らせしした記録です.

プラハのおうち  近所の様子  Dejvice-Bubenecの風景 (2000年4月25日)

プラハ城から見たプラハ市街 (2000年5月16日)

旧市街からヴルタヴァ(モルダウ)河を望む   いちご    (5月19日掲載)

トロヤ城 (8月1日掲載)

I.P.Pavlova から ルドミラ教会を望む (9月19日掲載)

ヴィシェフラドVysehrad の風景 (9月20日掲載)

プラハの市内交通ついて思うこと(10月4日掲載)

プラハ・市内交通博物館について(10月16日掲載)

チェコのビールについて
Branik  Plzensky Prazdroj  Mestan  Pivovarsky Dum  Staropramen  
 
あなたはなぜピルゼンに行かないのですか?  (7月24日)

独断と偏見による,日本円-チェコ・コルナの両替レート(2000年9月の感覚)
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