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大人の遊び [自分の生き方]

大人の遊びというと、単にお金を使うようなことが多いような気がする。
だがそれが本当に幸せなのかというと,必ずしもそうとは思えない。
たくさん物を買う「大人買い」にしても、結局それで得られる幸せがいかほどのものなのか。

ところで私は幸いにして、大人でも楽しめる、しかしお金勝負でない遊びをしている。それは音楽である。
トロンボーンという楽器を吹いていて、年中なにかの活動をしている。
こういうと「吹奏楽ですか?」「ブラスバンドですか?」と聞かれることが多い。
相手によっては「まあそんなものです」と答えるのだが、実は正確にはあまり吹奏楽をやったことはない。そればかりかどちらかというと「吹奏楽」を忌避しているのが実際だ。

先日、誘ってくれる方があったので「吹奏楽」に参加した。いつものトロンボーンではなく、別の楽器だったこともあって個人としてはそれほどいい演奏ができたわけではなかった。だから偉そうなことは言えないのかもしれないが、それでも「吹奏楽は問題だ」という思いが強くなってしまった。

合奏の形態としての吹奏楽には何の恨みもない。実際、その前に参加した吹奏楽(こちらはトロンボーンだった)はむしろ感動して演奏に参加することができたのである。

何が問題なのか。

残念ながら、吹奏楽の団体は,大人の団体の体をなしていないことが多い。
役員の方から本番開始15分前にステージ袖で「今日の演奏会は・・・」というお説教がなされるというのは、大人相手にはなかなかないことだと思う。それで士気を高めるのは、中高生の部活動ならあるのかもしれないけれど、大人の遊びでそんなことをしてほしくないものである。その団では私は助っ人かもしれないが、自分のできる範囲の準備をして、全力で取り組むべくその場にいるわけである。全力で取り組まなくてはこちらがつまらないわけで、そこは大人として信用してほしいものである。しかしその楽団はそういう方向ではなかった。

大人は遊びであっても自分のできる最大限のことをして、全力で臨むものである。

その参加理由はそれぞれいろいろあるだろうけれど、メンバー個々を尊重するのが大人の団体ではないのか。

私もそういう社会人の団体の運営をしたこともあるので、その苦労はよくわかるつもりである。だがそれでも大人がすべきことは守らなくてはならないし、逆に大人でない人は入るべきでない。

近隣のいくつもの団体について聞くのだが、どこもそんな感じらしい。その理由はわかる。すなわち運営している人たちも、「中高の部活動」しか知らないのだ。それ以外のモデルを知らないのだから、そんな運営になってしまうのは致し方ないかもしれない。

私はこんなことが嫌で、自分が主宰する催しは違うところに運営方針を置いている。音楽団体なのだから、音楽については基本的に妥協しない。各人のレベルは色々であっても、そのメンバーが光って称賛されるように、また各人が少しずつでも向上しようという取り組みができるように考えている。しかし音楽的な方針については妥協しない。一方で参加の頻度や取り組み方はそれぞれだ。このことを尊重してすべてが決まる。

そんな方針で始めたので、演奏レベルはなかなか思い通りにはならない。だが無理をして人前で演奏したりはしない。活動を始め半年ほどになるが、コンサートの予定は全くない。むしろ作らないようにしている。みんなの取り組み方がそれぞれである状況で、期限を切った目標を設定することは、結局ソサイエティの崩壊を招くのが関の山である。

もっとメンバーを増やし、運営上の方針はこういう大人の方針で行く。時間はかかってもそれなりに進めていく。


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