挑発に乗ってみよう [教育について]
中村伊知哉氏のツイート
の挑発に乗ってみたいと思います。見もせずに反対するような人たちと一緒にされても困るので。
中村伊知哉氏のブログ http://ichiyanakamura.blogspot.jp/2013/03/10.html にある彼の指摘のほとんどについて,それは正しいと私も思います。私も大方賛成できる。反論するのは難しいし,意味が無い。
しかしこの質問はいただけない。
私が常々言っていることは,
これは根拠のない杞憂とは思えません。いい例が大学入試です。大学入試センター試験は脅威です。あれは中身は易しいが問題量が多く時間的にきついので,ゲーム的な理解で進めることが戦略として比較的適しています。今の高校教育は「まずセンターの点を取れ」です。だから彼らはすでに「ゲーム的な理解」に気持ちが行っている。実情を知らない人は「だったら個別学力試験で記述式の問題を出せばいいじゃん」と言います。しかしセンター試験のもたらす威力は,記述式試験において「受験者のほぼ全員が白紙」というような状況を生み出しています。すると差がつけられず,入試としての意味が無くなる。結局センター試験で高得点を取ったものが勝つことになります。だから個別学力試験に「いい問題」を出しても意味が無くなるのです。正に悪貨が良貨を駆逐している状態。
近いところでもうすこし別の言い方をしてみましょう。昨今の中高生は数学の勉強をするときに教科書や授業ノートを見ない。もちろん授業の質が低いという問題はあって,そこは地道に解消を図っているので,そこはいくらつつかれても構いません。で,彼らはまず問題集を開ける。そこには大抵「基本のまとめ」とかいう「公式や易しいパターン」を羅列した項目がついています。彼らはそこだけを読んでそれを当てはめて計算し丸をもらう。試験でもそれで対応できる部分で何とか点が取れる。それを彼らは「基本はわかっている」と思ってしまう。もちろんその段階で不快に思って諦めてしまう(これは決しておかしなことではない)生徒もたくさんいるわけですが,彼らはそこまで出来ても
また他の例も出してみましょう。元々は本学の教養部廃止に伴い,教養の語学の教員が減ったせいでその担当が回ってきたのですが,この英語が出来ない私が1年生に「英語」の授業をしている。彼らの大半はどんな文章でも全部単語を辞書で引いて,大抵その一番最初にある訳語を抜き出し,それを並べて「訳して」みる。そこから内容を考えようとする。しかしそれは無理です。なぜならその「訳」が間違っているから。しかし彼らは辞書を引いた=情報を得ただけで,その情報を吟味しようとしない。その習慣は高校以下の英語教育に問題があるわけですが,「情報を得ただけで満足してしまう」状況にある彼らの姿勢を,「内容を考える・吟味する」姿勢に変えるには大きな障害がある。3年生になってゼミに配属された学生たちにはつきっきりで厳しく指導しますし,ある程度覚悟して入ってくるので時間は掛かっても形になりますが,それは特殊なケース。ほとんどの学生はそのまま卒業です。情報リテラシーの議論だというなら,どうぞ教育して下さい。私は情報関係の科目も担当しているけれど,そう思っている彼らの姿勢を変えさせるのは容易ではないです。私の能力が低いというのはもちろんわかっていますが。
これらは一見ICT導入とは関係ない話ですが,構図は同じです。こういう現状と対比したとき,ICT導入でゲーム的に「わかる」ものについてはインセンティブが働いても,そこで止まってしまう,その先に進もうとしないと言わざるを得ない。だから害になると主張しているのです。
だったら新しい別のインセンティブを提示すればいいじゃん,ということなります。他の分野のことは言えませんが,少なくとも数学においてはこれまで2千年もの歴史を経て研ぎ澄まされたものなので,新しいインセンティブなど起こしようがありません。
私は決してICTを使ったことがないわけではありません。ずいぶん昔ですが,米国TI社の「グラフ電卓」を用いた数学教育について,従来型の内容ではダメだから,新しいものを考えなくてはいけないと思い,いくつか論文も書きました。またiPadが発売されたときには即購入して,米国の算数関係のソフトを結構たくさん買って使って見ました。しかし私の危惧を打破してくれるものは残念ながら見当たらず,むしろこの危惧を増大させるものだけでした。
お前が能力がないだけだろう,というならそれでも結構です。世の中には私などよりはるかに立派な方がたくさんおられるわけですから,是非私の言い分などぶちこわしていただきたい。
このことは,機会をいただいて拙稿 「算数・数学教育とICTの不適合性」(コンピュータ&エデュケーション vol.33 pp22-27) にも書かせてもらいました。文章がひどいので恥ずかしいですが,私がそこで主張していることに対する中村氏の反論をぜひ聞きたいと思います。
近隣の県立高校のケース。パワーポイントなどを使ってきれいにプレゼンすることは出来る。しかしその見た目は良くても,もっと大事なこと,エートス・やパッション・ロゴスはいい加減です。世間では割合高く評価されているその高校ですが,表面を繕うことに一生懸命。入学してきたあと本質の話をしようとしてもついて来られない。そういう先行例もみています。
中村氏は我が母校・慶應義塾の教員なわけで,実は私は彼の所属するSFCには行ったことがないのですが,まあ慶應義塾ならばこんな心配はいらないのかも知れません。慶應義塾は,私のような「内部出身のバカ」が受験勉強に毒された周りを上手く感化していい状況を作っていますが(と自負しているわけですが)、一般の学校ではそうは行きません。世間の評価はそれほど低くない国立大学で学生の相手をしていてもこのように思うのです。
中村氏はこのブログ記事の冒頭で
中村氏は書いています。
ぜひ,私のこの不安を解消して欲しいと思います。この不安を解消してくれるのなら,喜んで「反対」の旗を降ろし,「賛成・推進」の旗を揚げます。
長文になりました。おつきあいいただいた方,ありがとうございます。そして識者の皆さん,どうぞよろしくお願いします。
ご賛同くださる方は、どうぞこちらにもぽちっと。
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「デジタル教育反対派への10の質問」をネットに掲げても何の回答も反論もないな、そうか、考えてみれば反対派はネット読んでないか。 http://bit.ly/16aYZp4https://twitter.com/ichiyanakamura/status/318519112689143808
の挑発に乗ってみたいと思います。見もせずに反対するような人たちと一緒にされても困るので。
中村伊知哉氏のブログ http://ichiyanakamura.blogspot.jp/2013/03/10.html にある彼の指摘のほとんどについて,それは正しいと私も思います。私も大方賛成できる。反論するのは難しいし,意味が無い。
しかしこの質問はいただけない。
3 デジタルがもたらすゲーム的なわかりやすさは思考力などと無関係ではという指摘について、では勉強へのインセンティブを高める点で何が問題なのか、インセンティブを高めることに関するアナログの優位性は何なのかを教えてもらえませんか?大変残念なことですが、違う質問にすり替えています。このすり替えたところに唯一の,しかし最大の問題があると私は主張しています。
私が常々言っていることは,
デジタル機器を介して情報を得ることにメリットはあるにせよ,それを用いて考える能力を伸ばすためにマイナスになるということです。ゲーム的にわかりやすい問題についてはそれが出来たことを評価されることでインセンティブが上がるのです。そこまではその通り。しかしそれだけでいいのでしょうか。その先には得られた情報を用いて考え,さらに新しいものを生み出す姿勢を身につけることが必要です。しかし残念ながらその間には大きなギャップがある。彼らは「ここまでできたんだからいいじゃん」となってしまう。ゲーム的に理解出来ることが膨らめば膨らむほど「それでいいじゃん」になってしまう。ゲーム的に理解出来ることへのインセンティブは高くとも,それ以外は「そこまで点が取れたんだからいいじゃん」になってしまう。
これは根拠のない杞憂とは思えません。いい例が大学入試です。大学入試センター試験は脅威です。あれは中身は易しいが問題量が多く時間的にきついので,ゲーム的な理解で進めることが戦略として比較的適しています。今の高校教育は「まずセンターの点を取れ」です。だから彼らはすでに「ゲーム的な理解」に気持ちが行っている。実情を知らない人は「だったら個別学力試験で記述式の問題を出せばいいじゃん」と言います。しかしセンター試験のもたらす威力は,記述式試験において「受験者のほぼ全員が白紙」というような状況を生み出しています。すると差がつけられず,入試としての意味が無くなる。結局センター試験で高得点を取ったものが勝つことになります。だから個別学力試験に「いい問題」を出しても意味が無くなるのです。正に悪貨が良貨を駆逐している状態。
近いところでもうすこし別の言い方をしてみましょう。昨今の中高生は数学の勉強をするときに教科書や授業ノートを見ない。もちろん授業の質が低いという問題はあって,そこは地道に解消を図っているので,そこはいくらつつかれても構いません。で,彼らはまず問題集を開ける。そこには大抵「基本のまとめ」とかいう「公式や易しいパターン」を羅列した項目がついています。彼らはそこだけを読んでそれを当てはめて計算し丸をもらう。試験でもそれで対応できる部分で何とか点が取れる。それを彼らは「基本はわかっている」と思ってしまう。もちろんその段階で不快に思って諦めてしまう(これは決しておかしなことではない)生徒もたくさんいるわけですが,彼らはそこまで出来ても
基本はわかるんだけど,応用力がないと思っているわけです。そういう生徒を個別に指導してみるとわかることですが,実は本当の意味の「基礎」がわかっていない。「基本問題」と書かれたもので得点できても基礎がわかっているわけではないから,応用しようがない。「応用力」という言葉で彼らは表現するけれど,実は基礎がわかっていないのです。だいたい大学入試程度のことで,本当に「応用」することなんかあるわけがないのだし。
また他の例も出してみましょう。元々は本学の教養部廃止に伴い,教養の語学の教員が減ったせいでその担当が回ってきたのですが,この英語が出来ない私が1年生に「英語」の授業をしている。彼らの大半はどんな文章でも全部単語を辞書で引いて,大抵その一番最初にある訳語を抜き出し,それを並べて「訳して」みる。そこから内容を考えようとする。しかしそれは無理です。なぜならその「訳」が間違っているから。しかし彼らは辞書を引いた=情報を得ただけで,その情報を吟味しようとしない。その習慣は高校以下の英語教育に問題があるわけですが,「情報を得ただけで満足してしまう」状況にある彼らの姿勢を,「内容を考える・吟味する」姿勢に変えるには大きな障害がある。3年生になってゼミに配属された学生たちにはつきっきりで厳しく指導しますし,ある程度覚悟して入ってくるので時間は掛かっても形になりますが,それは特殊なケース。ほとんどの学生はそのまま卒業です。情報リテラシーの議論だというなら,どうぞ教育して下さい。私は情報関係の科目も担当しているけれど,そう思っている彼らの姿勢を変えさせるのは容易ではないです。私の能力が低いというのはもちろんわかっていますが。
これらは一見ICT導入とは関係ない話ですが,構図は同じです。こういう現状と対比したとき,ICT導入でゲーム的に「わかる」ものについてはインセンティブが働いても,そこで止まってしまう,その先に進もうとしないと言わざるを得ない。だから害になると主張しているのです。
だったら新しい別のインセンティブを提示すればいいじゃん,ということなります。他の分野のことは言えませんが,少なくとも数学においてはこれまで2千年もの歴史を経て研ぎ澄まされたものなので,新しいインセンティブなど起こしようがありません。
私は決してICTを使ったことがないわけではありません。ずいぶん昔ですが,米国TI社の「グラフ電卓」を用いた数学教育について,従来型の内容ではダメだから,新しいものを考えなくてはいけないと思い,いくつか論文も書きました。またiPadが発売されたときには即購入して,米国の算数関係のソフトを結構たくさん買って使って見ました。しかし私の危惧を打破してくれるものは残念ながら見当たらず,むしろこの危惧を増大させるものだけでした。
お前が能力がないだけだろう,というならそれでも結構です。世の中には私などよりはるかに立派な方がたくさんおられるわけですから,是非私の言い分などぶちこわしていただきたい。
このことは,機会をいただいて拙稿 「算数・数学教育とICTの不適合性」(コンピュータ&エデュケーション vol.33 pp22-27) にも書かせてもらいました。文章がひどいので恥ずかしいですが,私がそこで主張していることに対する中村氏の反論をぜひ聞きたいと思います。
近隣の県立高校のケース。パワーポイントなどを使ってきれいにプレゼンすることは出来る。しかしその見た目は良くても,もっと大事なこと,エートス・やパッション・ロゴスはいい加減です。世間では割合高く評価されているその高校ですが,表面を繕うことに一生懸命。入学してきたあと本質の話をしようとしてもついて来られない。そういう先行例もみています。
中村氏は我が母校・慶應義塾の教員なわけで,実は私は彼の所属するSFCには行ったことがないのですが,まあ慶應義塾ならばこんな心配はいらないのかも知れません。慶應義塾は,私のような「内部出身のバカ」が受験勉強に毒された周りを上手く感化していい状況を作っていますが(と自負しているわけですが)、一般の学校ではそうは行きません。世間の評価はそれほど低くない国立大学で学生の相手をしていてもこのように思うのです。
中村氏はこのブログ記事の冒頭で
やるかやらないかの議論を続けているのは日本だけだという揶揄を海外から受けておりますがと述べています。しかし諸外国,たとえばアメリカではこのサイトなどに書いてあるように,情報を得た後,どう考え,どうコミュニケーションを取って行くか,そしてその延長で新しいものを考えようとすることを小さい頃から教え,鍛えています。残念ながら日本ではそうなっていない。こういう状況でICTの全面導入をするならば,さらに考えない,コミュ障・ボキャ貧の若者を作り出すだけです。それともまたお抱え外国人を大量に雇って,全国の学校に配置して,パックンがしてくれたようにハーバード仕込みの教育をお願いしますか?
中村氏は書いています。
ぼくはメリット99:デメリット1と見ているのでこの数値の意味がよくわかりませんが,私が危惧している方向に進んでしまったら,その「1」が「99」を飲み込んでしまう。バラ色の未来を語るのは大いに結構ですが,この「1」が問題なのです。
ぜひ,私のこの不安を解消して欲しいと思います。この不安を解消してくれるのなら,喜んで「反対」の旗を降ろし,「賛成・推進」の旗を揚げます。
長文になりました。おつきあいいただいた方,ありがとうございます。そして識者の皆さん,どうぞよろしくお願いします。
ご賛同くださる方は、どうぞこちらにもぽちっと。
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2013-04-05 13:21
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拙ブログに関するこんな感想を見つけたので,ご紹介させていただきます。
くるる @kururu_goedel 4月7日
曽布川氏(@sobukawa)の http://bit.ly/16DlmUi がいちいち腑に落ちて困るくらい。こちらでも起こっていることはほぼ同じ。かなり多くの学生は、問題の意味を考えずに正解を導こうとしているし、それをデジタル宿題システムが助長している傾向は確かにある。
https://twitter.com/kururu_goedel/status/320738210823151616
***********************************
米国在住の研究者の方ですが,彼の国でもそうだとすると,なかなかこれは厳しいと思いました。
by sobu (2013-04-09 14:53)
1つお詫びをしておきます。当記事については,私にしては珍しくずいぶん推敲を重ねてから挙げたつもりなのですが,後から見ると「てにをは」が粗くて,お恥ずかしい限りです。しかし私のサイトとしてはずいぶん多くの方が見て下さっているので,途中で書き直して「意見を変えたか?」ということになってもつまらないので,敢えてそのままにしておきます。
by sobu (2013-04-09 14:55)
あらあら,という感じでしたね。
https://twitter.com/ichiyanakamura/status/321794891850063872
見ようとしないものはやはり見えないんですね。
「紙が良くてデジタルがいけない」という議論をしていないです。
次にある「スルーを受けて」の記事も合わせてご覧下さい。
こういう風にしかものを見ない方なんだと,とても残念に思いました。
by sobu (2013-04-10 15:51)
僕も中村さんの10の質問に答えようとしても答えることができませんでした。
僕の師匠の一人が中村さんと仕事をされているので、否定しにくいところがありますが、この質問では、本当に否定している人たちの真意にはアプローチできないと思います。
具体的なところで議論をするために、手っ取り早いところで、デジタル教科書教材協議会のサイトを題材にします。まあ、この協議会の会員、役員に教育関係者が蔭山さんだけというところが、端的に問題を表しているように思います。
by EMTT (2013-04-12 19:27)
さて、「デジタル教科書・教材の普及推進について」というページを見ますと、シーモア・パパートの言葉で「教授法はこの150年で変化していないからだ」を引用していますが、それはアメリカの話で、”Teaching gap”で示されたように、日本は授業研究のおかげで、教授法が劇的に進歩していることが認識されていません。算数数学教育関係者の間では、常識ですよね。
また、ここで「日本に最先端の教育環境を整えましょう」とあります。これに賛成ですが、「最先端の教育環境」とはデジタル化された教育環境を言うのでしょうか。例えば環境、ゴミの問題を学ぶのに、パソコンとネットで学ぶのと、ゴミ処理の現場を見学するのとでは、どちらが最先端なのでしょうか。
ゴミ処理の現場への見学は難しい、その代替としてデジタルだ、というのなら分かります。それを差し置いて、デジタルを最先端と言い切ってしまうのは、野球を実際にするより、野球ゲームのほうが最先端のスポーツだ、と言っているように聞こえます。
最後の段落に「IT産業を成長のエンジンとすべきです」が本音なのでしょう。
http://ditt.jp/about/promotion.html
by EMTT (2013-04-12 19:28)
次に実証レポートをもとに指導法の側面を見ましょう。
http://121.119.176.71/office/DiTTproject2011.pdf
もし、この授業を理想とするならば、やはり反対すべきですね。本気でこれをよい授業と思っているのでしょうか。
31ページ以降で「立体の展開図」の学習があります。なぜPCを使うのか、理由が理解できません。
実際に「展開図のパターンを複数考えられない子どもには実物の立方体を渡している」とありますから、そっちのほうがよいことが明白です。
展開図や立体の学習ならば次のような学習の方が明らかに多様性に富み、理解が深まります(いずれも坪田耕三先生の実践)。
http://www.sinzaemon.jp/hands/hs_071203.html
http://www.sinzaemon.jp/hands/hs_071217.html
http://www.asahi.com/edu/student/teacher/TKY200705020271.html
デジタル教科書の実証レポートで紹介された実践は、実は、決められた範囲でしかなくて子どもの多様な考えにはついていけないでしょう。
PC上で、坪田先生の円柱の展開図を書くことは、ほぼ不可能です。結局はPC上で出来る範囲での発想に閉じ込めています。
そんなところが、中村さんへの反論になります。
長々と失礼しました。
by EMTT (2013-04-12 19:28)
僕は、大学の時にレッサー教授(セサミストリートの製作者)の授業を受けたことがあります。
セサミストリートの根底には、勉強は楽しくないからTV、コマーシャリズムの力で、勉強を楽しくしよう、という発想が流れていると言われています。
デジタル教科書を進める多くの人には、同じようなものを感じます。鉛筆とノートだけでも、知的で、楽しくて、豊かに発想できる学習があります。数学の問題などは、まさにそのようなものだと思います。
デジタル教科書を進める人は、それに気付かない、知らない人たちのように感じます。
by EMTT (2013-04-12 19:40)
EMTTさん,いつもながら根本にまで立ち返った鋭く深い指摘をありがとうございます。
こんなところに埋もれさせておくのはあまりにももったいないので,勝手に別ページに並べさせていただきました。
http://takuya-sobukawa.blog.so-net.ne.jp/2013-04-13
どうぞお許しください。
by sobu (2013-04-13 10:56)
ちゃんとした人はちゃんとわかってまともな議論をしている。
http://agora-web.jp/archives/1557361.html
by sobu (2013-09-07 23:52)
現状は映画を見ずに、その映画を批判しているようなもの
中村氏に彼の理想と考えるデジタル教科書の内容を
国語、理科、社会、算数、英語で、それぞれ
1ページでもいいから具体的に作ってもらって
提示するよう求めるべき
vbで作ってもらってネットでそのソースを
公開すれば十分可能
新しいアイデアみたいなものは頭の中では
バラ色だが、実際に作ると
全然たいしたこと無いなんてのは
よくあること
by り (2013-09-09 05:51)
「り」さん
大切な指摘をありがとうございます。ちょっと厳しすぎる指摘になってるかもしれませんけど。
by sobu (2013-09-09 16:08)