SSブログ

贔屓ってこんな字を書くんだ [日本語について思うこと]

贔屓(ひいき)なんていう字を日常手で書ける人がいるなら,すごいと思う。でも日常使う言葉だから,くだらないなとは思わない。昨今はこうやってコンピュータに変換させてしまうから,すごく難しい漢字・熟語がバンバン使われているのは面白い。

オレはそんな話には与しない(くみしない)
立場を弁えてものを言わないと(わきまえて)

なんていうのは,口頭で使うことばなので,その漢字を知らない自分は恥ずかしいとは思うが。

最近話題の「漢検」について論じた高島俊男「あぁ、漢字検定のアホらしさ」(文藝春秋2009年4月号)は面白かった。

最近,テレビのクイズ・バラエティ番組で「めざせ漢検合格」なんてのをやっている。もちろん受かる人はそれはそれですごいとは思うのだが,そもそもその出題に疑問符がつくというのが氏の主張である。

そもそも漢字の読みというのは,最初から決まっていたものではない。中国から輸入された文字である漢字にはもともと日本語の音があったわけではないのであって,漢字の音を借用して日本語を表す仮名文字と,意味の同じである(という言い方には大いに問題があるが)和語を当てはめて使う訓読みがあったわけである。

明治以降,言文一致運動が広まった後の文章を読むと,このことが味わえてとても楽しい。出先なので例をあげることが出来ないが,和語の意味を深めようとして巧く漢字を当てているのが面白い。昨今は「何でもあり」の当て字名前なども流行っているが,それには独善的な漢字がして賛成できないが,当時の文筆家たちのする様はなかなか味わえる。そこには振り仮名がある場合もあり,読めるのが当たり前だろと突き放されている場合もあり,検定試験で丸をもらうよりもずっと楽しいと思う。何しろそこには

これが正解だ などということはない

のである。我々の生きている世界はそれがほとんどであるのに,何らかの「権威」が「お墨付き」を与えたものにのみ価値を置こうとする発想は本当に貧しいものだと思う。そうやって点数をつけてもらわないと不安で仕方が無い世の中というのはまさに危険だと思う。

改めて言いたい。  心配するな,ダメに決まってる。 
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

郵政民営化贔屓される側 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。