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漢字を大切にしたい [日本語について思うこと]

ヨーロッパ人からよく受ける質問。

漢字を勉強するって大変だろう。何でそんなことするんだ?小学校のときに1000字も勉強する?時間の無駄じゃないのか?

私は彼らに言う。ヨーロッパの知識階級にとってのラテン語やギリシャ語のように東アジアでは中国語は大切なものであり、古くはこの辺りのどの国もその影響を受けてきた。ベトナム語のように言葉そのものはどっぷり国語でも文字はだいぶ前に決別したケース、朝鮮語のようにいま文字の上でも遠ざかろうとしているケースと色々あるが、日本語は言葉そのものは中国語とはずいぶん違うが、表記や造語の面で不可欠な関係にあると言えよう。

そんな漠然とした知識を上手くまとめてくれたのが


訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語 (光文社新書 352)

訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語 (光文社新書 352)

  • 作者: 笹原宏之
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2008/05/16
  • メディア: 新書



子どもの頃から親しんできた漢字について,こうやって改めて分析してもらうととても面白い。

よく,「日本人は物まねばかりしてオリジナリティがない」などと言われるが,漢字(中国語)をうまく取り入れて自国の言語を豊かにした先人たちの功績は誇るべきことなのではないかとも思う。

また,別のどこかで読んだのだが,1つの漢字を状況に応じて読み分けること,しかも初見の文章をいきなり音読するような状況でそれを行うのは,考えてみれば高い能力を要する。こんなことをほぼすべての国民が出来る状況にあるというのはすばらしいことである。日本はとても識字率が高いが,さらにその程度を考えても我々は自信を持っていい。

昔から思っていたことだが,我々は「漢文」をもっとたくさん学ぶべきではないかと思う。言葉の成り立ちを知る上で重要な役割を持つことは当然。漢詩を味わうことや漢籍を通じて物事を考えることが,日本人(東アジア人)としてのアイデンティティにとって必要なことではないだろうか。英語を学ぶのも結構だがそれだけではダメで,物事を考えるための基本的な立場を形成することが,国際化社会で生きていくために必要なことだと思っている。もちろんそれは英語(圏)的なものであってもいいのだが,私は「オリジナリティ」と言う意味で,世界の多数派になろうとしている英語圏的な(アングロサクソン的な)考え方でなく,こうした東アジア的な考え方を持つ方が良いのではないかと思っている。だから,明治時代「脱亜入欧」なんて言ってた福澤諭吉先生には申し訳ないが、私は漢字廃止論には大反対である。漢字は大切にすべきであり,国家を挙げて漢字教育を続け,考えることの基礎としたい。
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