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モーツァルト  楽劇「コシ・ファン・トゥッテ」(Statni Opera) [2000音楽三昧 in Praha]

モーツァルト  楽劇「コシ・ファン・トゥッテ」(2000年11月22日(水)Statni Opera)

 先日同じ演目を Stavovske で見てきた.結構面白かった.それと比べてみたい,と思ってこれを見に行った.まったく贅沢な話である.それをかみしめながらの鑑賞であった.

 Stavovske のほうは,比較的新しい制作だったようだが,こちらは90年にプルミエ.もう11シーズン目に入る.139回目の上演だ.演出は,場面変わりを早くするために,舞台装置をすべて天井からワイヤーでつるして,合間にどんどん入れ替えるというもの.ワイヤーが見えるから少し変な感じもあるが,そういう雰囲気だといえばそうも思える. Stavovske よりこちらの方が舞台がずっと大きいが,この演出なら小さい舞台でもできるだろう.男2人が軍隊に出征する(ふりをする)ところなども,笑わせてくれる仕掛けがある.作品がそうだから,ということもあるが,本当に笑わせてくれる,楽しい舞台だった.

 演奏についても,私はStatni で何回もオペラを見たが,この日の演奏はその最上位に置けると思う.指揮のV.Spurnyは,どこかで見たことがある気がするのだが(資料の大半を日本に送り返してしまったのでちょっと分からない),古楽系を得意とする人らしい.最初の序曲でオケの目が覚めていなくて,弦がついてこられなかったことを除くと,コンパクトな良い演奏だったとおもう.Narodni に比べてこれまで酷評していたここのオケだが,指揮者に応えてか,この日はよかった.特に良かったのはティンパニと金管.こういうモーツァルトが演奏できるのは,世界中でもそうそう多くないのではないだろうか.オケの編成をよく知らないのだが,この曲はヴィオラなしということはないと思うので,おそらく 64222 の弦であったとおもう.どちらにせよ小さい編成ながら,この大きな劇場一杯に溌剌とした良い演奏をしていた.まずは指揮者とオケをほめたい.

 ソリストについても私は割合楽しめたと思う.前回 Stavovske で見たときには,Fordiligi とDorabella の女声2重唱や Ferrandoと guglielmo の男声2重唱の音程が合っていなくてイライラしたが,この日は最初から音程が気になったことはない.Fiordiligi の L.Vernerova は,詳しくは知らないが,突然依頼して急遽代役出演という感じで Special thanks が掲示してあった.しかしDorabellal の S.Cmugrova との息もよく合っていて,良い演奏だった.こちらの S.Cmugrovaは,冒頭のところでは「おい,聞き苦しいぞ,Semple vibrato はやめてくれ~」と思ったが,声が乗って来るに従ってあまり気にならなくなってきた.Ferrando の T.Cerny,Guglielmo の V.Sibera の2人も,声質は特別良いとは思わなかったが,良い演奏だった.とくに2幕のこの4人の絡みの重唱はとても良かった.

 そして Alfonso の A.Hendrych にも大いに好感が持てた.この劇場は大きいので,もちろんベルカント唱法で大きく歌わなくてはならない.しかし声帯を大きく振動させると,口で発音すること,すなわち子音を発音することが難しい.実は私自身が日本語を早口で話すと口が回らなくなるのはそのせいなのだ.その点,この日の彼は太い声がどんどん尻上がりに良くなっていくにもかかわらず,子音をはっきり発音していた,いや,しようとしていた.実際にモーツァルトの譜面でこの2つを同時にこなすのはほとんど無理だと思うのだが,相当良い線でこれをやっていた.だからイタリア語が分からなくてもニュアンスが充分伝わってきた.いくら良い声でも,「おーわーうぉーわー」では聴く気が失せる.この歌手も高く評価したい.

 最後になったがソリストの中で,出てきた瞬間から「おっ,これは!」と思わせたのは,Despina のM.Bauerova だった.最初のアリアから,ちょっと格が上か.劇場でプログラムを見て「どこかで見た名前だなぁ」と思っていたのだが,この感想文を書こうと思って Stavovske の時の感想文を見たら,何と同じ人だった.そしてそちらでも私が絶賛していたのには本当に笑ってしまった.結構聞く耳が肥えてきたのだなぁということを実感した.これら2人を加えた最後の6重唱は本当に絶品.

 このようにとても満足した一夜だった,といいたいのだが,一つだけ,しかも決定的な問題があった.合唱団である.申し訳ないが,合唱団はひどい.ひどすぎる.毎晩違う演目をこなしているということはすごいことだとは思うが,その前に合唱の基本が全くなっていないと思う.常々「ソロとして活動している歌手の人だって,50歳まで歌い続けることは大変だろう,そういう人はどうしているんだろうか」と気になっていたのだが,もしかしたら「ソリストとしてやっていけなくなった歌手を集めて合唱団にしてるんではないだろうか」と思ってしまったほどだ.なぜなら,ほとんど全員がものすごい vibrato をかけて歌っているので,音程が「ない」.変な話だが,そういう言い方が一番正しい.ゴワゴワ歌っていて,全くハモっていない.それでも100人クラスの大合唱になればそれなりの中心線が出てきて,音程があるように,またハモっているかのように聞こえることもあるのだろうが,特にこの日は30人ぐらいでの合唱だったのでこうした問題がはっきり出た.はっきり言って,ハモっている分だけ,ソリスト6人の方がはるかに大きな豊かな声に聞こえた.これでは何のための合唱なんだろう.

 オペラの要素には,舞台装置,衣装,演出といった演劇系と,ソリスト,指揮者,オケ,合唱といった音楽系がある.Statni は D.Dvorak が芸術監督であることもあって,前者については行き届いていると思う.ソリストも,Narodni よりは格下かも知れないが,あまりひどければ次から使わないだろうから,まあ揃っていると言っても良いだろう.指揮者も,大昔はマーラーが振っていたこともあったわけだし,この日のように良いことも多い.オケもまあまあ.この日のように好演することもある.だが合唱に関しては良いと思ったことは一度もない.「アイーダ」の時には問題も感じたが,曲が難しいんだろうと思った.「カルメン」では「?」と思ったが,あのときはそうひどくは書かなかった.だがこの日はがまんがならなかった.終わった後のカーテンコールが,演奏の出来の良さと比べて少なすぎたと思うのだが,それは合唱のせいではないか?他のことについては「Statni は Narodni とは性格が違うオペラハウスだ」と表現したいのだが,こと合唱に関してはひどく大きな優劣の差があると思った.

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