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蟷螂の斧は折れません [教育について]

アゴラに上がっている色々な方々の意見が面白い。

私が注目している方の1人が松本徹三氏である。@matsumotot68

氏の主張には賛同することが多いのだが、先日少し私との食い違いが見えた。

  情報教育」が何故必要かを総括すべき時 2012年07月09日

ICTの威力は「使い方を知れば」というレベルではない。機器やコンテンツは、打って金儲けしようとする輩の奮闘により、相当に刺激的な物になっている。だからそんな悠長な発想ではダメなのだと私は思う。少なくともそういうものを使って教育することを研究してみての言い分。

ここには、数学者の辻元氏の意見(これとかこれとか)についてもコメントしている。辻氏の意見は同業者として至極もっともなものだし、実は松本氏もそれに反対をしているわけではない。

しかしそれでも松本氏はICT導入をすべきだと力説する。どうにも話がかみ合わないのだ。

そうこうしているうちに、こんなコラムを見た。

橋本治の相変わらず役に立たない話  第4回「日本の議論の進め方」- 週プレNEWS(2012年7月10日15時00分)

このコラムでは、原発再稼働を巡る議論のかみ合わなさを述べているのだが、それが松本氏と辻氏の議論のかみ合わなさにあまりにもぴったりだった。面白いので、そのコラムをパクってコラージュしてみた。是非もとの記事と見比べていただきたい。

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電子教科書導入推進派は、めんどくさいので「電子教科書にデメリットがあるか」の議論をすっ飛ばして、「電子教科書は良いものだから導入します」という論を立てます。賛成派が「電子教科書にデメリットがあるか」という議論を放棄してしまっているので、反対派が「電子教科書を導入するとこんな問題があるじゃないですか!」と言っても議論は噛み合いません。「電子教科書には問題がある!」と言われたって、推進派は、「そういう部分もありますが」と一部は肯定し、「そうなるのかかどうか分かりませんし」と一部は保留し、「そんなことはないでしょ」と一部では反対して、「じゃ、あなたは電子教科書にデメリットがないと言えるのですか?」の問いに対して、「うーん、ムニャムニャムニャ」で、話を「電子教科書にデメリットがあるか」ではなくて、「電子教科書は良いものである」という方向へ持って行きたがるのです。

電子教科書導入推進派が、電子教科書というものを本当にデメリットがないものと思っているのかどうかの答は「本当のところは何がデメリットなのかわからない」なんじゃないかと思います。

電子教科書導入推進派が「そんなデメリットはたいしたことがないから導入させよう」という方向に進んでしまえば、これに対する反対派だって、「電子教科書が導入されたら大変なことになる」と思って、「電子教科書は良いものではない」という方向に転換しちゃいます。いわく、「計算をしなくなるから、計算力が落ちる」とか、「画像で見せてもらうだけで自分の頭で考えなくなる」とか。

ロクに考えなくたって「そんなもの導入したら大問題だよ」という状態だったりすれば、電子教科書反対派は「だから導入させてはならない」と訴えますが、電子教科書導入推進派にとっては、それが好都合なのです。どうしてかと言うと、「電子教科書にデメリットがあるか」という議論から離れて、事態はもう「電子教科書は良いものかどうか」というところに行ってしまっているからです。

「電子教科書にデメリットはないのか?」という議論は、「コンピュータを無自覚に使わせて良いものなのか?」という議論を含んでいて、すでにゲーム機に絡め取られている若者がたくさんいるわけで、この答ははっきりしています。とんでもないことになって、すでにマンガすら読めない子どもが出てくるほど、子どもたちの考える力は衰えてきています。

でも「電子教科書は良いものなのか?」という議論は違います。こちらは「デメリットがある」ということを考えません。こちらでの「デメリット」は、「導入されたら問題が起きるかどうか」のジャッジだけです。「問題が起きるかどうか」は、「デメリットはないのか?」という議論の中に含まれるものなので、それがどっかに行って議論が「電子教科書は良いものなのか」になったら、「導入されて問題が起こったら ――」は考えなくていいのです。「問題が起きないように専門家が研究をすればいいのです」と示すだけで、その「問題がないこと」は保障されてしまうのです。実はその研究すべき専門家が、デメリットを指摘しているのですが。

「計算をしなくなるから、計算力が落ちる」と反対派は言いますが、「デメリットはないのか」という議論をスルーしてしまった推進派は困りません。「はい、分かっています。それらはみんな処置する予定です」と言ってしまえばいいのです。

本当のことを言えば、その処置は「将来に於いてのこと」で、だからこそ現段階では全然安全ではないのですが、それなのにどうして、電子教科書導入推進派が「問題はありません」と言えてしまうのかといえば、それは電子教科書にデメリットはないのかという議論が素っ飛ばされているからです。

「その議論はしなくていい」になったら、話は簡単で、「デメリットは考えなくていい」ということになります。デメリットは考えなくていいわけですから、「計算をしなくなるから、計算力が落ちることはとりあえずは考えない」ということになってしまうわけで、である以上、「ただでさえ考えなくていいはずの問題なのに、心配する人のために専門家が考えてくれることになっているわけですから、電子教科書導入にはなんの問題もないのです」になってしまうのですね。

「そんなバカな」と言ってもしょうがないですね。「電子教科書にデメリットはないのか」という議論を素っ飛ばしてしまえば、そういうことになる。「議論を素っ飛ばす」ということは、「反対だ、問題がある」と言われて、それに対して「そんなことはない!」と言って拒絶することではないんですね。「問題がある」と言われて、それに対して「うーん、そうですねェ――」とうなずいて、しばらく考えて、考えたままで態度保留にしっ放しにしておくというのが、日本でありがちの「議論を素っ飛ばす」ですね。「反対」もない、「賛成」でもない。ただ「保留」の沈黙がしばらく続いて、その後に「初めに結論ありき」だった方針が動き出すというのが、日本式の議論素っ飛ばしです。こういう相手に「こっちの言うことも聞いて下さい」と言っても無駄です。相手は聞いていないわけではないのですから、「聞いてますよ」で終わりです。

電子教科書の導入は多数決による決定ではないので、そこに「議論」のある必要も――よく考えるとありません。しかし、導入に問題点を提起する勢力は多くあって、これを押し切って導入を実現するのは容易なことじゃありません。しかし押し切った、どうして押し切ることが出来たのかという論理の構造は以上のようなもんだと思います。ここまで私の言ったことは、読むだけでイライラするようなもんですが、これが日本の議論なので、これを呑み込むしかありません。

日本での議論の噛み合わなさはこうしたもので、かみ合わない議論だからこそ盛んに戦わせる――そうして収集がつかなくなってからこそ、「賛成か、反対か」の二択に絞れる。大事なのは、「初めに結論ありき」で態度を決定している推進派に対する反対派です。「ああも反対、こうも反対」と言って、反対意見はやたらと拡散して、どの条件がクリアされるべきなのかが分からなくなる。重要なのは、根本の前提がなにかを見定めて動かさないことです。
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曽布川は、各方面に「こんなデメリットがあるがどうか」と投げていますが、誰1人としてこの「杞憂」を打ち払ってくれた人がありません

結局スルーです。辻氏の言われることも同じ数学者・数学教師の端くれとしてとてもよくわかるけれど、「それは単にその先生が偉大だったんでしょ」で一蹴されている。で残念ながらこういう方向へ拡散しても、相手にしてもらえません。

前途多難だ。でも蟷螂の斧は折れません

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