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意地を張ることは悪いとは言わないけれど [教育について]

ちょうどこのところ、ネット上の私の周りで、2つの議論が起きている。

一つは

JBPress 世界の中の日本 2012.06.29(金) 伊東 乾
東京大学には入ったけれど・・・ああ無常 人生の失敗を始める頭の“良すぎる”学生たち
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35548

を巡る議論。簡単に言えば、「パターン丸暗記でテストをクリアする」ことを強く習慣づけられ、さらにそれに成功体験を持つ学生がそこから抜けられないでいる、ということに対する憂いであると読んだ(他の読み方をする人もいることは承知している)。

大学の教員で、そうした学生がたくさんいることに危機感をもって何かをしなければいけないと考えている人の多くは納得できる指摘だと思う。少なくとも口汚く批判している人の多くは、大学生を相手に仕事をしたことのない人であり、机上の空論だ。もちろん伊東氏の文章を読んで「今時の若い者はなっとらん」という年寄り発言だと言う人もあるのだが、伊東氏はそれに対して欧米の大学のようなやり方で(相当な労力をかけて)教育を施した。特にここに挙げている科目については

東大式 絶対情報学

東大式 絶対情報学

  • 作者: 伊東 乾
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2006/03/23
  • メディア: 単行本


という最低のネーミングの本に述べられている。標題は不愉快だが、中身は悪くない。こういう教育を実践したことがない奴がどんなに吠えても、まあ言いたがりなんだなという括りにさせてもらう。

さてもう一つ。こちらはまだ大きな議論にはなっていないようだが、同じく東大教授の本田由紀氏の次のtweet(アクセスが出来なくなる可能性があるので、全文を挙げさせてもらう)。

ある中堅私大の教員の方から聞いた話。一般入試で入学してきた学生の中には、偏差値が1、2上の第一・第二志望に落ちてその大学に入った学生がかなりおり、そういう層はずっと不本意さを感じて大学生活になじもうとしない。それよりは推薦やAOで入学した学生の方が入学後にずっとがんばるのだと。

https://twitter.com/hahaguma/status/220506788464824320

この手合いについては、我が社でもぽつぽつ見かける。学生がなじもうとしないのはなぜか。それは偏差値による序列こそが全てだとする、凝り固まった価値観から抜け出せないからだ。

我が方の小学校教育コースでもちょっと違うが似たような話がある。我が方では、どこか一つの分野または教科を中心に学んでそこを得意分野にさせるようなシステム(ピーク制)を採用している。それでも小学校は全部の教科を教えるのが原則であるから、配属された分野・教科がどこであってもそれなりに対応できなくてはならないはずだ。ただしその分布に余り偏りがあると指導に支障があるので、希望を取った上で学部として配属を決めることになっている。ところが人気の英語教育講座(小学校なのになぜここが人気なのかについてもそれ自体似た部分があるのだが、ここでは述べない)の選に漏れて数学教育講座(実は人気)に配属されたにもかかわらずそれが不満で、再受験するだの転学部をしたいだのとゴネている奴がいる。これも思い込んだ価値観を揺さぶられていることに対応しようとしないケースだ。

意地を張って自分の価値観に固執するのは構わないが、それでは社会では評価されない。社会における異端児が新しいものを作ってきたのは確かだが、この考え方では新しいものは生まれるはずがない。なぜなら、上のトーダイ生は「先人が作ったものの部分集合」でしかあり得ず、チューケン大学不満分子は、自分の大学を認めないのはまあいいとしても、昔の古き良き時代の学生のように勝手に何かをどんどんやるわけではなく、結局何もしないのだろうから。

そこでわれわれ教師は、また社会の先達は何をしなくてはならないか。

本田氏のtweetに対する私の返信は
そういう価値観を壊す何かが必要です。私はそれは人との出会いだと思っています。そして自分もその候補になるべきだとも考えています。
https://twitter.com/sobukawa/status/220511656957054977

である。彼らがそれまでと違った価値観を持ちうるようなきっかけが必要である。それは人との出会いしかあり得ない。もちろん誰にとって誰がその「いい」出会いであるかはわからない。だが私自身もその候補の1人でありたいと思っている。私の場合は、どちらかというと腕尽くである。相当厳しい圧力を、しかも必修科目という鎧を着た上でやるから質が悪い(と、学生は間違いなく思っているだろう)。だがそれでいいと思っている。全部の学生に気に入られのは無理だ。一部でもいいから社会でどんどん通用するような若者を送り出したいと思っている。


上の伊東氏のコラムに対して2chやFBなどで色々と議論が広がっているようである。それも件のトーダイ生を擁護する意見がたくさんあるという。

ネットはフラットな関係だ。そうした凝り固まった価値観をもった若者たちも、私のような古臭い感覚の持ち主も同格だから、彼らの盛り上がりを食い止めることは出来ない。実際ネットでは多数派をしめるだろう。だから私は諦めてこう言ってしまう。

伊東氏の言うことはわかる。私はそんな学生には頭ごなしに「そんなものが出来るだけでは人間として存在価値がない」と喝破するが。RT @JBpress: 東京大学には入ったけれど・・・ああ無常 人生の失敗を始める頭の“良すぎる”学生たち http://goo.gl/fEgLz
https://twitter.com/sobukawa/status/218377224812892160

基本的に学生なんてこんな奴ばっかり。だから私は最初から喧嘩腰。答えが存在する問題の解法を暗記して試験に備えようなんて奴は、自分は不要な人間だと公言してるようなもの、とやる。 >>>東京大学には入ったけれど・・・ああ無常 http://goo.gl/fEgLz
https://twitter.com/sobukawa/status/218548230957441026


>スナックかえるちゃん(営業中) この東京大学には入ったけれど・・・ああ無常 http://goo.gl/fEgLz が2chでスレッド立っていて、それに対する反応書き込みがすごい・・。この学生支持するのがいる・・・・(T^T) >曽布川拓也 そりゃあ凄いですね。まあそんな奴はシューカツに失敗してクビでも括ればよろしい。つける薬はありません。面と向かって腕づくでもやる覚悟が無ければどうにもならない。
https://twitter.com/sobukawa/status/218662305741799424

例によってきつい物言いだが、まあそんなもんだ。


大学のセンセも大変なんです。。

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