SSブログ

北村宗彬先生の思い出 [英語を勉強する?]

私が英語を怖くなくなったわけについて語るとき,亡くなった慶應義塾大学名誉教授・北村宗彬(きたむらむねよし)先生のことを述べなくてはならない。

先生には私が大学1年のときに教養において英語を教わった。所属は理工学部で,たまたまその年は私の担任であった。単に必修の英語の先生であって,週1度授業を受ける程度であったのだが,私には色々な意味で鮮烈であった。まず,たまたまその年がそうであったのだが,毎週LL教室が使えるわけではなかったらしい。隔週は普通教室での授業。初回から先生は大いにボヤいておられた。『やりにくい』と。

授業の内容は,

1. アメリカ口語教本のどこかを題材に,まずdictation. 自分でテープレコーダーを巻き戻して聞き直し,また取れないところを文法的に考えて補っていく。
2. それがあらかた完成したところで,発音記号や構文の解説がついている解答を配布。各人でそれをチェックする.
3. 会話形式なので,翌週までに決まっている相棒と練習してきて,先生orコーチの前で披露し,指導・評価を受ける。

構文解説は簡単な記号で分かりやすいものであった。発音記号は何でも「現在日本で使われているものよりもう10年だか後に出来たもので新しくはないが,日本では知られていない,でもその方が発音がよく分かって良いんだ」そうだ。

この授業で発音についてずいぶんよく分かった気がする。 「低い声で」 「どもりながら」 「音節単位ではゆっくりと」 は確かに実際に英語らしい発音に聞こえる。その後これをやることによってそれらしく話せるようになったし,同時に聞き取りも上達したと思う。

さらに良かったのは 英会話のためには,文法なんて中2程度+仮定法(would like to などを含む)で十分だ。これは本当にそうだ。今,大学でこういう話を学生にすると大いに反発するのだが実際これで十分だ。そして だからこれから「話す方法を学ぼう!」

先生の話を聞く限り,当時の「例年」のクラスと比べて出来が悪かったらしいのだがそんなことより私自身にとってはこのときの経験が大いに役立ったと思う。そのおかげで,高校まで英語が得意でなかった私だが,一生懸命英語にチャレンジし直したし,今も特に英語で話すことは得意とは言わないが怖くはない。

北村先生はその風貌から学生は「たこ」と呼んでいた。春の慶早戦第1回戦のあと,先生の自由が丘のお宅に20名ほどでお伺いし,ずいぶん飲んだことを思い出す。確か会費千円で,またやろうと言われたのに第2回がないままその学年は終わってしまった。大学2年になって以降,先生とは全くお付き合いがなかったのが残念であるが,先生の教えをこうして心に留めていることが何よりのご恩返しだと思う。

2005年5月4日,79歳にて。先生のご冥福をお祈りしたい。

(ずいぶん前に書いたことを移設して加筆)
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。