SSブログ

言葉を発すること [社会の問題について]

また引き続いて文藝春秋 2008季刊秋号関連。 

福田 健 「言葉は発してこそ,価値がある」

題の通りである。昨今,自ら声をかける人が減ったと嘆く。確かに思いがけない反応で気まずいことになる可能性はあるが,それを恐れていてはいけないという。さらに,それがプラスになるためにすべきこととして,相手を考えて物を言うう必要性を説く。ここでいう「相手を考えて」は,

「相手が自分をどう思うか,悪く思われてしまうのではないか?」 

ということではない。これは自分自身のために考えている内容で,「似て非なるもの」だ。そうではなくて

「相手の立場や周囲の状況を理解し,その上に立ってものの言い方を工夫すること」

が重要であり,その工夫の下に発せられた言葉こそ美しく,人の心に響くのだという。

自分自身のことをよく考え直してみて,悪く思われるかどうかを考えたことはあまりない,というより,特に学生相手にはむしろ相手の耳に痛いことを敢えて言うことが多いが,もっと深い考察が必要なのだと考え直しているところである。

このことを考えていて,先頃読んだ文章を2つほど思い出した。

1つは,士気の上がらない部隊をどうするかという問題で,「挨拶の声を2倍の大きさにせよ」と命令しただけで部隊のムードがガラリと変わったという話。
もう1つは,目の前にいる人ともメールで連絡をしていた部署で,メールによる部内連絡を禁止したら,停滞していたムードが一新され,生産性も目に見えて向上したというもの。

どちらも日経ビジネスonLine のサイトにある,鈴木義幸氏の文章である。鈴木氏はコンサルタント系の会社 Coach A の社長である。

私の研究室では,学生から私に対してメールで連絡することを,余程のケースをのぞいて禁止している。研究室に入ったばかりの頃は平気でやるヤツがいるが,大抵の場合,あとで大説教になる。学生同士のそんなコミュニケーションの仕方を持ち込ませない。自分たちの内輪の方法を目上の者に対して行ってはならない。社会に出てからは誰も教えてもらえない彼らに取っては,これが最後のチャンスかも知れないから。

また,最近は学生同士で情報が行き渡っているせいか回数は減ったが,私の部屋に入ってくるときに,ノックもせずに入ってくる学生がいると怒鳴って追い返すことにしている。さらに「失礼します」と言って入ってくる学生には,「失礼するな!失礼するなら来るな!」と混ぜ返す。用件が終わって帰るときも「失礼しました」というと「何だ,無礼者か?」と追い打ちをかける。きちんと心のこもった挨拶をすることの大切さを味わわなくてはならない。

大学のセンセの仕事か?ということになると何とも言えないのだが、仕方がない。これは相手の立場にたったつもりなのだが・・・
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。