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「大学」の進むべき道 [教育について]

いつも意見を興味深く読んでいる2者が一応議論を戦わせているようなので読んでみた。

アゴラ 言論プラットフォーム

松本 徹三 2013年12月02日
現在の日本の大学教育に必要なのは、「改善」ではなくて「革命」
http://agora-web.jp/archives/1570973.html

辻 元 2013年12月06日
大学は教育環境を提供するところ
http://agora-web.jp/archives/1571829.html

正直に言って、どちらの議論もダメダメです。出発点がずれており、現状認識もずれており、しかも最終到達点もずれています。

本来あるべき姿、そして最終的にもっとも効果を生み出すのは、辻氏が言うように、大学は学ぶ機会を与える場所であるということ。それがもっとも効率的だし、枠にはまらない成果をもたらすものです。だから根本的な意味ではこのスタイルを続けるべきであると私は考えます。

一方、松本氏の主張にも大いにうなずけるところがあります。およそ、アメリカの一流大学の教育スタイルを見本にすべきだというのが基本線であり、実はそれは辻氏が言うところの「学ぶ機会を与えている」ことにほかなりません。

しかしダメダメなのはその出発点と方策。
○ 辻氏は「学問は高尚なものであり、意識の高いものが取り組むべきものだ」という感覚から抜け出していないように見える。
○ 松本氏は「企業に評価されるようなものが良いものだ」「学生は顧客であり,そのニーズにこたえなくてはならない」

私はどちらも反対です。

辻氏が松本氏の意見につけたコメント通り、現状は意識が高くない学生が大半である。したがって辻氏の基本線を強く主張するだけではほとんどすべての大学はよくならない。

松本氏は「大学の教育を企業によって評価させろ」というけれど、目の前の営利を求めている企業が評価するものなんて、その大半は30年後は使い物にならないでしょう。バブル期にやっていた人事策がいかに失敗だったかを見れば、そんなものはあてにすべきではありません。

本当に意味のある教育をするためには、未来を考えなくてはならない。しかし未来なんて誰にも分らないのです。だから辻氏の言うように大学は鍛錬の場ではなくてオープンに学ぶ場であるべき。他方,松本氏の言うような社会で役に立つ人材を供給するためには、自ら考えていく姿勢は強く植え付けるべき。少なくとも大学受験までの段階でそれがひどくスポイルされているからです。

二人の意見を折衷して、まあまあ、と折り合いをつける気は全くありませんが、その両方の精神を取らなくてはならないし、逆にどちらの方法論もあまり使い物にはなりません。

松本氏は 「旧態依然たる教授会支配」 「学問の独立を隠れ蓑にしてこそこそ逃げ回る」 ことを批判されています。それはその通り。教授会支配が多くの場合ネックになっていることは確かなのでそこは解決しなくてはなりません。それをうまくやれた大学だけがこれから生き残っていくことは間違いありません。確かにトップダウンの中には頓珍漢な内容も少なくないのですが。

その上で、上手く行くかどうかわからないことも含めて古臭い大学の発想はもちろん、企業の目先の利益を追うだけの圧力もはねのけ、新しいことにどんどんチャレンジをし、その中から評価されるべきいいものを残していくというのが大学のすべきことです。

とりあえず大きな枠組みでの話はここでやめておきます。

私自身は、そういう「新しい取り組み」について創造しなくてはならない状況なので、自己研鑽も含めながらそちらへ向かっていきます。


人の議論の上前を撥ねたような記事で恐縮ですが、お気に召したらこちらもぽちっと。

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