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ウィーンと倉敷 [社会の問題について]

結局8月は1ヶ月間何も書かなかった。この夏は全くミュージシャンをしていた。もちろんこなすべき仕事はたくさんあって,それは大過なく(一応滞貨も無いつもりだが)こなしたつもりなのだが,それでも,教育やら社会のことやらについて書く時間は取れなかったわけだ。

8/27にウィーン楽友協会大ホールでコンサートに出演。

約30年ぶりのステージだったが,こちらの感性が上がっている分,「あのニューイヤーコンサートをやっている,世界最高峰のホールに来た」などという舞い上がった感動ではなく,じんわりとその素晴らしさを心に刻むことができた。

そのための準備に忙しくてこちらはお休みだったわけだが,その間の諸々はFacebookに。私の名前で検索してくれれば当たるわけで,そちらに興味があるかたはどうぞ。

ウィーンに行ったのは10年ぶりである。Ringを1周するトラムは普通のトラムではなく観光用の別料金になっていたり,あちこちで工事が行われていたりと,変化はあったが,山のような日本人観光客はいるし,メインシーズンは過ぎたとは言え,街中にたくさんの「モーツァルト」がいる光景も相変わらずであった。

しかし28年前に行ったときとはいろいろな意味で大きく変わっている。当時はアマチュアのオーケストラが楽友協会で演奏させてもらえることなど夢のまた夢であった。しかしどういうわけか,音楽シーズン(秋~冬~春)の真っ只中の2月末に,私が所属していた慶應のオーケストラが,楽友協会から招待を受けたのだった。

近年は,夏のオフシーズンに日本のオーケストラが演奏させてもらっている話をよく聞く。確かに昔は夏の間は全く閉館だったわけだが,観光客が外からしか眺められないのは寂しい。もちろんウィーン・フィルは夏休みだし,ちょうどこの時期はザルツブルグ音楽祭に行ってるから彼らの演奏は聴けないのは仕方が無い。しかし観光客は中で何か音楽を聴きたいのだ。だから我々のようなものでも演奏するのは街にとってもいいことなのだと思う。実際今回の我々の演奏会も,現地エージェンシーががんばってくれたおかげで,観光客と思しき方々なれど,ほとんど満席であった。専門家から見れば大いに穴のある演奏だったかもしれないが,指揮者の中村暢宏先生の巧みなリードもあり,お客様には喜んでもらえたように思う。

しかし考えてみれば,観光都市・ウィーンとしては当然の方向かもしれない。演奏したい人がいる。ホールに入ってみたい人もいる。それを結びつけてビジネスにするのは当たり前のことだ。

つまり,持っている文化的な資産を上手に使ってみんなが幸せになる方向を目指しているわけだ。


さて、帰国してすぐのこと。

年に数回,大原謙一郎氏を囲む座談会に出席させていただいている。大原氏はあの大原美術館の理事長であり,クラボウ(倉敷紡績),クラレ(倉敷レーヨン)の創業家の当主でもある。その幅広くしかも深い教養にあこがれて,また出席者の活発な議論から刺激を受けながら毎回出席している私である。先日の会では,大原氏の後を受けて倉敷商工会議所会頭としてこれまで9年間,倉敷の街の活性化に取り組んできた,岡荘一郎氏にお越しいただいて,これまでの事業を振り返ってお話をしていただいた。岡氏は,岡山ローカルの山陽放送のラジオコマーシャル「く~らし~きせ~いぼ」で有名な「倉敷制帽」の社長であり,この倉敷まちづくり株式会社の社長も務められている。

我が岡山県が誇る街・倉敷。 
私が住むのは備前岡山。天皇陛下の姉君・池田厚子さんの嫁がれた池田家の領地。
対して備中倉敷は幕府直轄の天領。
色々と状況が違い,市民同士もライバル視しているところもあるようだが,個人的には誇らしく思っている街である。自分が所属するオーケストラも倉敷のオーケストラだ。

そんな倉敷の街もこの30年ほどいろいろなことがあった。

街の中心部には,江戸時代からの町並みがそのまま保存された「美観地区」がある。その中心には,世界に誇る美術館・大原美術館もあり,観光スポットには事欠かないすばらしい街だ。

そして1988年,瀬戸大橋が開通。橋を見よう,瀬戸内の多島美を見ようという観光客が大勢詰めかけ,最大で年間600万人を超える人が来たという。さらに1993年,美観地区からは倉敷駅の反対側に「倉敷チボリ公園」がオープン。当初はそことの相乗効果が期待されたが結局チボリ公園にお客が流れ,美観地区への観光客はほぼ半減するに至る。

大きな商店街や美観地区をかかえた倉敷市中心部の活性化を目指して,大原氏そして岡氏が事業を始めたのは今世紀に入った頃だという。

◯ 中心部にある阿智神社の祭礼に際し,近隣の大きな家々が格子戸を開放し,それぞれに伝わる屏風を飾り、見物客をもてなした「倉敷屏風祭り」の100年ぶりの復活
◯ 江戸時代から伝わる朝市 「三斎市」の復活
◯ 商店街に数メートル四方の大きな展示がなされる写真展・倉敷フォトミュラルの開催
◯ 昔からの薬問屋であった林薬品(株)の使われていなかった社屋を,昔の雰囲気を残したまま改装して作った中核商業施設「林源十郎商店」の開業
◯ 中心街にあった旅館「奈良萬」を改装したオシャレな飲食商業施設「奈良萬の小路」の開業

この話の中で2つ大切なポイントがあったと思う。

その1つは
古くから土地にある文化を大切にしていること。

各家々に屏風があることだけでなく,人々にはそれを使って来客をもてなそうという風土がある。
江戸期からのそうした古い文化だけでなく,明治期以降は「本物を作る」ことがそれに輪を掛けた。大原美術館は世界のトップの一つである。そこには本物がある。本物は必ず大事にされる。町並みにしても,昔からのものを大切にしているのはそのおかげだ。

そしてもう一つは
無私の気持ち。

「そんな祭りをして人を呼んでも,土産物屋に儲けさせるだけだ」という反対論を,「金儲けのためじゃない,このすばらしい街を多くの人に知ってもらいたい,見てもらいたいんだ」という純粋な気持ちで説得したことがその成功の大きな原因である。


こうしてみると,ウィーンで感じてきたことそのままなのだと思った。倉敷は春の音楽祭、秋のフォトミュラル,屏風祭り,そのほかいろいろなイベントをずっと繰り広げ,多くの人たちに来てもらいたいと願っている。

チボリ公園は閉園してしまい,その後に三井アウトレットモールとイトーヨーカドーを中核とした商業施設「アリオ倉敷」ができた。このときには地権者であるクラレが,その場だけで完結してしまう施設の設置を認めず,近隣に対してオープンな施設を作らせたことで,倉敷駅北側のアリオ倉敷と南側の美観地区&えびす通り&林源十郎商店などが共栄の路を走っている。

地元関係の一人として,長く応援していきたいし,我が街岡山でも同じようなことを考えて動いている人がいるのでそちらにもなにか協力できればとおもっている。


今年の倉敷屏風祭りはこちら http://www.kurashiki-tabi.jp/event/969/ 
林源十郎商店 http://www.genjuro.jp/ 
奈良萬の小路 オープン http://www.kurashiki-tabi.jp/blog/?p=13729 
          
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