五七調の衰退 [自分の生き方]
朝日新聞「天声人語」2012年2月17日付にこんな詩が引用されていた。
石川啄木「悲しき玩具」にある詩だという。むか~し、今から30年以上も前、高校2年の時に啄木を勉強したような気がする。私の出身校は楽しい観光旅行だけではなく、「研修旅行」と銘打って、一応お勉強する旅行だった。1年の時には箱根に地学と生物の巡検+日本史のお勉強。結構勉強した気がする。そして2年は全員で啄木を勉強し、途中から宮沢賢治も勉強した。旅行では自分は賢治の組で、花巻に行った記憶がある。そして「水仙月の四日」を読んで、何だか宇宙をコロイド視しているという感覚があるなあとレポートを書いたら結構受けたような記憶がある。この詩も当時見たことがあるのだろうが、残念ながら全く記憶にない。詩歌を知らないということはそれだけで教養が低いということだ。もちろんそれは曽布川のことを指す。
だがそんな話はどうでもいい。
検索してみると、この天声人語に共感した人たちの意見もたくさん見つかる(検索は読者諸氏にお任せしよう)。
それはもちろんステキなことなのだが、全然違うことを思ってしまった。
天声人語子はこの詩についてこう続ける。
上述の詩は一応直接的に短歌だとは言っていないとしても、完全に五七五七七の短歌の形式だ。天声人語子はそれに気付いたという書き方だ。ガッカリである。
啄木について語る力などないし、それこそ高校生レベルから衰退こそすれ全く向上していないのだが、今改めていくつか啄木の詩を読んでも、万葉集のような生き生きとしたみずみずしさを感じる。
この歌のみずみずしさは、この歌が五七調のリズムになっていることに負うところも大きいと思うのだ。読者諸兄姉に向かって失礼な解説になるが、古い時代、たとえば万葉などの頃は五七調だったと言われている。それが時代がくだって古今などになると七五調がメインになったらしい。そのことは次の簡単な例でもわかる。以下、失礼な素人講義。
ちょっと季節がずれているが、持統天皇の有名な御製について。
万葉集に載っているのはこの形だという。これはどう見てもこう書きたい
春過ぎて夏来たるらし
白たへの衣干したり
天香具山
解釈は当然こうだ。
春が過ぎて、夏が来たらしい
(ほら)白妙の衣を干してるぞ
天の香具山に
細部では専門家には叱られるかも知れないが、少なくとも句の切り方は当然こうで、五七、五七、7の「五七調」であることは明白である。
しかし、小倉百人一首では伝聞調の
となって、「衣」以下は「下の句」になってしまっている。
「白たへの」については、「衣」に掛かる単なる枕詞だという解釈をよく見る。
しかし小倉百人一首の切り方だと、「夏が来た」ということを「白い」が強調しているようにも見えて、歌の味わいが全く違ってくる。すなわち「白妙」が夏らしさを強調しているように見える。
いい悪いではなくて、そういう風に人々の感覚が変わってきたのだ。
ここではその理由を我流分析してみると次のようになる。
五七調で書かれたものは、次のように読まれたとみるのが妥当だ。
●●●●●×××●●●●●●●×
・・・・・
●●●●●×××●●●●●●●×
・・・・・
×●●●●●●●
音符のように見て欲しい。
●は十六分音符。×は十六分休符。ただし休符は完全な「お休み」ではなくて、最後の音の伸ばしも入る。テンポは四分音符=50か、もう少し遅くか。2行目の・・・・・はテンポのない休符と見てもらおう。
すると、ずいぶんゆっくりな読み方であることがわかる。いや違う。詠み方だ。
さて、忙しい人はこれをどうするのだろうか。キーになるのは、
である。急いでいる人、慌てている人はゆったり休んでいるわけにはいかない。だから
●●●●●×××●●●●●●●×●●●●●×××●●●●●●●×●●●●●●●×
となる。こうなると、読むときにどこかで息継ぎをしようとすれば当然
●●●●●×××
●●●●●●●×●●●●●×××
●●●●●●●××●●●●●●●
となる。これが七五調が主流になった原因に関する曽布川藤四郎説である。
いやいや、歌など詠むのだから急いでいるというのは妙だが、少なくともその人の精神状態が影響するわけで、精神状況には社会状況などが影響するのだと思う。
そこで。
天声人語子が知識として啄木と五七調について知っていたかどうかなんてどうでもいいし、他人の知識がどうだなんて言う資格がチョー浅学の私にあるはずもない。
だが、このコラムをちょっと見て、今の世の中、慌ただしくて生きづらい世の中なんだなぁとつくづく思ってしまった。
追記: リズムの問題について、少しわかっていなかったことがあって、修整を加えました。
ひと晩に咲かせてみむと、 梅の鉢を火に焙りしが、 咲かざりしかな。
石川啄木「悲しき玩具」にある詩だという。むか~し、今から30年以上も前、高校2年の時に啄木を勉強したような気がする。私の出身校は楽しい観光旅行だけではなく、「研修旅行」と銘打って、一応お勉強する旅行だった。1年の時には箱根に地学と生物の巡検+日本史のお勉強。結構勉強した気がする。そして2年は全員で啄木を勉強し、途中から宮沢賢治も勉強した。旅行では自分は賢治の組で、花巻に行った記憶がある。そして「水仙月の四日」を読んで、何だか宇宙をコロイド視しているという感覚があるなあとレポートを書いたら結構受けたような記憶がある。この詩も当時見たことがあるのだろうが、残念ながら全く記憶にない。詩歌を知らないということはそれだけで教養が低いということだ。もちろんそれは曽布川のことを指す。
だがそんな話はどうでもいい。
検索してみると、この天声人語に共感した人たちの意見もたくさん見つかる(検索は読者諸氏にお任せしよう)。
それはもちろんステキなことなのだが、全然違うことを思ってしまった。
天声人語子はこの詩についてこう続ける。
3行書きだが、改行と読点をとばして読むと三十一文字のリズムになる
上述の詩は一応直接的に短歌だとは言っていないとしても、完全に五七五七七の短歌の形式だ。天声人語子はそれに気付いたという書き方だ。ガッカリである。
啄木について語る力などないし、それこそ高校生レベルから衰退こそすれ全く向上していないのだが、今改めていくつか啄木の詩を読んでも、万葉集のような生き生きとしたみずみずしさを感じる。
この歌のみずみずしさは、この歌が五七調のリズムになっていることに負うところも大きいと思うのだ。読者諸兄姉に向かって失礼な解説になるが、古い時代、たとえば万葉などの頃は五七調だったと言われている。それが時代がくだって古今などになると七五調がメインになったらしい。そのことは次の簡単な例でもわかる。以下、失礼な素人講義。
ちょっと季節がずれているが、持統天皇の有名な御製について。
春過ぎて夏来たるらし白たへの衣干したり天香具山
万葉集に載っているのはこの形だという。これはどう見てもこう書きたい
春過ぎて夏来たるらし
白たへの衣干したり
天香具山
解釈は当然こうだ。
春が過ぎて、夏が来たらしい
(ほら)白妙の衣を干してるぞ
天の香具山に
細部では専門家には叱られるかも知れないが、少なくとも句の切り方は当然こうで、五七、五七、7の「五七調」であることは明白である。
しかし、小倉百人一首では伝聞調の
春過ぎて 夏来にけらし白妙の 衣干すてふ天の香具山
となって、「衣」以下は「下の句」になってしまっている。
「白たへの」については、「衣」に掛かる単なる枕詞だという解釈をよく見る。
しかし小倉百人一首の切り方だと、「夏が来た」ということを「白い」が強調しているようにも見えて、歌の味わいが全く違ってくる。すなわち「白妙」が夏らしさを強調しているように見える。
いい悪いではなくて、そういう風に人々の感覚が変わってきたのだ。
ここではその理由を我流分析してみると次のようになる。
五七調で書かれたものは、次のように読まれたとみるのが妥当だ。
●●●●●×××●●●●●●●×
・・・・・
●●●●●×××●●●●●●●×
・・・・・
×●●●●●●●
音符のように見て欲しい。
●は十六分音符。×は十六分休符。ただし休符は完全な「お休み」ではなくて、最後の音の伸ばしも入る。テンポは四分音符=50か、もう少し遅くか。2行目の・・・・・はテンポのない休符と見てもらおう。
すると、ずいぶんゆっくりな読み方であることがわかる。いや違う。詠み方だ。
さて、忙しい人はこれをどうするのだろうか。キーになるのは、
2行目の・・・・・はテンポのない休符
である。急いでいる人、慌てている人はゆったり休んでいるわけにはいかない。だから
●●●●●×××●●●●●●●×●●●●●×××●●●●●●●×●●●●●●●×
となる。こうなると、読むときにどこかで息継ぎをしようとすれば当然
●●●●●×××
●●●●●●●×●●●●●×××
●●●●●●●××●●●●●●●
となる。これが七五調が主流になった原因に関する曽布川藤四郎説である。
いやいや、歌など詠むのだから急いでいるというのは妙だが、少なくともその人の精神状態が影響するわけで、精神状況には社会状況などが影響するのだと思う。
そこで。
天声人語子が知識として啄木と五七調について知っていたかどうかなんてどうでもいいし、他人の知識がどうだなんて言う資格がチョー浅学の私にあるはずもない。
だが、このコラムをちょっと見て、今の世の中、慌ただしくて生きづらい世の中なんだなぁとつくづく思ってしまった。
追記: リズムの問題について、少しわかっていなかったことがあって、修整を加えました。
2012-02-21 11:26
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