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中間日本語 [英語を勉強する?]

結構古い本なのだが,最近手にしたもの。

日本語が見えると英語も見える―新英語教育論 (中公新書)

日本語が見えると英語も見える―新英語教育論 (中公新書)

  • 作者: 荒木 博之
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1994/10
  • メディア: 新書

この本は大雑把に言えば,「英語で書けるように/話せるようになるためには」という立場の本であり,ちょうど,前に述べた「語順訳」と反対からのアプローチである。

語順訳は英語のままの語順を変えずに,ブロックごとに切り分けて日本語で意味を表し,それをそのまま読み込んで行くという英文の読み方である。

それに対し本書で推奨されているのは,中津燎子氏考案の「中間日本語」である。その意味は「外国語に移行可能な程度に最小限度整理された日本語」だそうだ。読んでみると,なるほどこれが英語で表現するのに良いステップになることがわかる。

本書では最初にオノマトペの豊かな日本語(和語)が,英語(欧米語)と直接対応しにくいことを指摘している。たとえば

「よぼよぼ」 「ぼろぼろ」 「プリプリ」 「ホッカホカ」 「ぼさぼさ」 「しどろもどろ」 「りりしい」 

などの日本語が英語に直しにくいことなどを挙げている。

日本語人の人間関係のあり方と言語のあり方(モノローグ言語とダイアローグ言語),についても詳しく解説されている。また最近は少し使い古された感もあるが,農耕稲作民と遊牧民の言語感覚の違いについても述べられている。どれもなかなかおもしろいのだが,「英語が使えるようになりたい」と思う人にとっては,難しすぎるのかもしれない。

しかしそのあとにズバリ解説がある。中津氏の言だそうだ。
相手にわかるように表現する。これは言語の基本であるが、言語になってくる以前に、本人の頭の中で相手がわかるように材料を整理する訓練が必要である
(p.111)。

このための中津氏のトレーニングが「お絵かき」を含むことに大いに共感した。日本人は「お手本」がないと描けないことが多いのだという。「月を描いてごらん」と言っても丸を描くだけではダメで,それがちゃんと月に見えるようにしなくてはならない。そのためには周囲の景色なども必要である。つまり絵できちんと表現することは実は相当に論理的なのだという。

ずいぶん前に,指揮者のC.デュトワがNHKの音楽番組で,「フランス絵画・音楽の論理性」という話をしていたことを思い出した。日本ではフランスの音楽,例えばドビュッシーの音楽はふわふわしていて割り切れなく,「論理的」という言葉とは相容れないものだと思われがちなのだが,そうではないのだという彼の説明を理解できずにいた。美術関係の人にも質問してみてもなかなかすっきりしなかったのだが,今回のことで一気に疑問が解けた気がする。

結局のところこれも,荒木氏の言う,多くの日本人が
対象を分析整理して、自己の主体性において創造的に描くという訓練に欠けている
ということの現れであると見ることが出来るのだろう。

このところ英語で話す能力も錆び付いていて,バシバシしゃべれるようになるまでにずいぶん時間がかかりそうなのだが,物事を英語的に表現しやすいように分析して,その結果易しい英語で話すというのが良いというのは,ずっと言ってきたことである。それと同時に,数学の勉強を敢えて英語のテキストで行っていることの意義も再確認されたように思う。



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