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総括編2:プラハの劇場と他の劇場について [2000-2001在欧記録]

 他の劇場,といってもここでは比較の対象はブダペスト・国立歌劇場とバルセロナ・リセウ劇場の2つであり,それらはごく少ししか見ていない.しかしその中でも比較してみて興味深いことがあったので,ここで指摘したい.

 まず中身の話をする前に、経済的な話をしたい。言われなくてもすぐにわかることだが、オペラを上演するには本当にお金がかかる。ソリストも指揮者も、オケも合唱も、舞台装置も照明も、ととても贅沢なものである。特に練習を積んだオケや合唱、金をかけて作った装置などは、何度も使うのが当たり前である。それでもなかなか投資した分は回収できないのであって、公的な補助やパトロンが必要なのは当然である。

 こうした理由の下、たとえばバルセロナで観た「仮面舞踏会」はほかに English National Opera, Royal Danish Opera との共同製作である。おおざっぱに言えばここで使った装置や衣装などはそのままほかの2つの劇場で使われる。そして演出ほかのスタッフもほかの公演でも同じように活動する。そうして「元を取る」ことを考えているのだ。それに対してプラハの劇場ではそういうことをしていない。それはなぜか・・・

 やはりこれは、共産主義時代の名残や内陸国であることが原因なのだろうとおもう。すなわち、古い時代にはそうした装置を「運ぶ」ということが大変なことであった。費用を考えると作った方が簡単ということもあるだろう。さらに共産主義体制下ではそうしたものを使い回す相手がいなかったと言うこともあるようだ。すなわち、資本主義諸国に持っていくわけには行かず、共産主義国に運ぶことも容易でない。特に水運があまり期待できない状況ではなおさらであろう。

 その代わりに、プラハでは同じ演目が何度も演じられる。リセウ劇場では1ヶ月間、10回から15回程度の公演をして他の都市へ移るが、ここでは1シーズンに10回ほど、そして何年も、何十年も繰り返し演じられる。そうやって「元を取る」のである。その結果、というのは言い訳になるのだが、オケや歌手たちも「この演目、8ヶ月ぶりだよ」と言いながらいきなり本番というのがよくあるようだ。

 それでもレベルが高い彼らのこと、相当な線でいい演奏をしてくれると思う。舞台的にもある程度自由な演技が許されているようで、それが楽しいという向きもあるだろう。

 そこでおもしろいのは、指揮者のことである。指揮者も当然一人というわけには行かず、何人もが交代でやることになる。そして一人の指揮者からすると、連日違う演目を指揮することになる。これは大変なことである。そのとき、その指揮者がどこまでその音楽を自分のものとして取り込んでいるか、というのが重要な問題になる。指揮者の善し悪しが演奏に如実に現れるのだ。

 たとえば、2度観た「売られた花嫁」。序曲はご存じの難曲だが、指揮者がよければちゃんとできる。指揮者が悪いとできない。同じオケでそれがはっきり見えてしまうのは厳しい。同じ日に2度同じ演目を出すと言うことがよくあったようだが、指揮者からするとこれははっきり言って恐ろしいことである。

 一方で、あちこちに使い回すとなると、ある程度インターナショナルなものになってしまう。すると演目も演出もスタンダードなものにせざるを得ない。「売られた花嫁」を例にすれば、プラハでの演出をほかでやろうとすれば、ほかはともかくバレエのトレーニングが大変だろう。

 ブダペストではほかの劇場との使い回しはしていないようだが、こちらは上演回数が少ないことから、合間にがっちりリハーサルをやっているのではないかと思われる。

 ともあれ「座標軸に散らした使い回し」「時間軸に散らした使い回し」の比較をすることはおもしろい一面である。

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